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『聖なる魂』

<現代アメリカ・インディアン指導者の半生>
朝日文庫。
 1993年5月1日 第1刷発行 デニス・バンクス、森田ゆり・共著


文庫本裏の本の内容紹介文。
『現代アメリカに生きるインディアンがアルコール中毒の犯罪者として、潜伏・逮捕、そして投獄という嵐をくぐり抜け、北米大陸の先住民意識に目覚める。その権利回復・差別撤廃に立ち上がった彼は、インディアン運動の指導者として自立する。激動の半生を自ら語った“聖なる魂”の記録。』


昔、朝日ジャーナルという雑誌があって、そこが主催でノンフィクション大賞作品を募集してた。
これはそのノンフィクション大賞受賞作品である。

東京で受賞記念パーティがあった時、私も参加したんだけど、以来デニスにサインをもらっておきたいとずっと思っていたが、それがかなったのは2000年を過ぎてからだった。
デニスが、AIM創立メンバーの一人の息子を連れて来日した際、群馬の山奥に居を構えていたランニング参加者の家にやってきた時、2001年 11月12日のことだ。

私がデニスに出会ったのは1988年の夏のことだった。
その年の夏、20人近いインディアンたちが、アメリカ大陸を横断して広島にやって来た。8月6日に、広島を出発して北海道の幌延まで、太平洋側をリレーランニングで走るために。
〈RUN FOR LAND&LIFE〉 と題されたランニングで、後に「SACRED RUN」 となったものだ。
SACRED RUN はその後、ヨーロッパ、カナダ、アメリカ、オーストラリア、アイルランド、を舞台として、2000年まで続けられた。


私は、日本、カナダ、アメリカ、オーストラリアと、合計で七回参加した。
私の感じによれば、セイクレッドランは、自分の肉体を投げうって走る、大地、及び大自然を癒すための祈りの行為である。
だから、もちろんタイムは問題ではない。
心がけるべきは、感謝と祈りの気持ちだ。儀式のひとつといってもいいと思う。

1985年9月29日朝6時、デニスは、長い逃亡そして刑務所暮らしから解放されて出所した。
そして1988年夏、再び来日したのだ。

妻や子供たち、家族を連れてきていた。
自由になって来日できて彼はとても嬉しかったのだと、今になっては思う。

けれども、
当時、私はなぁんにも知っていなかった。

当時、日本CI協会のマクロビオティックの玄米菜食をする共同暮らしの、武蔵野市にあったミルキーウェイという家にいた私は、友人たちから、このランニングのことと、八八の「いのちの祭り」の情報を得ていて、どちらかに参加したいと迷っていた。  どうせなら、最初から最後まで参加していたかったから。
で、今は前橋の弁天村村長のろくさんからの薦めもあってランニングに参加したのだった。
そして、ろくさんから借りた8ミリビデオで、そのランニングの日本部分をずっと撮影したた。
それは、後に、映画『ホピの予言』を創った宮田雪氏がてがけた、ランニングのビデオ作品に使ってもらえた。
そんなわけで、
私はむしろ88年のランニングが終わってから、ビデオを見直しながら、いろいろと勉強することができたのだった。
宮田さんが要求する映像をすぐに用意提出できるよう、どこにどんな映像があるのかのリストつくりのために、私は何度も見なおしていたのだ。

以来、デニスとはいろんなとこで何度も出会うことになった。

2006年の二月、アメリカ大陸横断のセイクレッドランが久しぶりに行なわれて、一ヵ月間だけ参加した時、お互い歳とったねぇなんていったりした、デニスは70歳をこえて2~3マイル走っていた。(これがミクシィに入るきっかけになった)
あの太ってたオゥンザセイバーも参加してたけど、彼は走れなかった。

デニスバンクス
1937/04/12~2017/10/29
享年80歳。


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