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『狂った果実』。中平康

中平康監督の映画(1956年)で、石原裕次郎と北原三枝が共演したもの。

田山力哉・『市川雷蔵かげろうの死』
 社会思想社、現代教養文庫。1988年2月29日 初版。
他に、「田宮二郎いのち純情の死」 と「闇に堕ちた監督小説・中平康」 を収録。
この本の中から、
「闇に落ちた監督 小説中平康」。

「闇に落ちた監督 小説中平康」。
小説じたてになっている。
あとがきで著者はこう書いている。
【生前の彼らと親交のあった多くの人たちを取材して歩き、彼らゆかりの地を訪ね歩いているうちに、彼らへの他人とは思えぬ愛着が生じ、私なりの人間像が創りあげられていき、、事実の諸断片の総合が私自身の中で生き始め、それはもう私のイメージを通したフィクションといえるものになってきた。】

この小説によれば。
中平康の初監督映画は『狙われた男』。
撮らせたのはプロデューサーの水の江滝子。脚本は中平が頼み込んだ新藤兼人。

昭和29年日活が映画製作再開と同時に、松竹時代からの先輩だった西河克巳が日活で撮る『生きとし生けるもの』のチーフ助監督でついてきていて、その後、新藤兼人がやってきて『銀心中(しろがねしんじゅう)』を監督することになり、中平はこの時もチーフ助監督でついていた。

この『狙われた男』は、水の江プロデューサーの信用が今イチだったのか中平の演出感覚が奇抜すぎたのか、日活首脳部はこの映画の試写をみたきりで公開を決めかねオクラ入りになってしまった。
そうして、水の江滝子が考えたのが、中平康に太陽族映画を、ということだった。 水の江はすでに『太陽の季節』を映画化しヒットさせていたが、古河卓巳監督によるこの映画は出来栄えがパッとせずもっと新鮮な感覚で太陽族ものをやりたいと思っていた。
水の江はまず原作者の石原慎太郎にシナリオを書かせそれを中平にみせた。
中平が『稚拙で、こんなもの絵になりゃしませんよ』といったら、『だからあんた一緒になおしてよ』といわれ、不承不承ホン直しを引き受け、慎太郎と一緒に日活ホテルにこもった。
その間、キャスティングを考えていた水の江はすでに石原裕次郎を出演させることに決めていた。
裕次郎扮する太陽族の青年が、津川雅彦扮する純情な弟が惚れた、北原三枝扮する女を横取りするが、ラストで弟のてひどい報復をうけて死ぬという話だった。
なんとか脚本もでき、中平の初の長編劇映画『狂った果実』のクランク・インが迫った頃、撮影所の食堂で先輩の西河にバッタリ会った中平は彼に愚痴っていた。
『参っちゃいますよ。こんな風俗もの。・・・慎太郎の第一稿がまるっきりシロウトで、芥川賞かなんか知らないけどあんなのがチヤホヤされるんだから』
自分より六歳も若い年下のこの作家に嫉妬しているムキもあるようだった。
しかし、撮影に入った中平の仕事ぶりは丹念だった。 脚本では二三ページのとこを百カットにも細かく割って撮った。 湘南の海をヨットで走るシーンを、ヨットの帆先・海の波・乗ってる人の眼・てのひら、そんな細部の短いカットで撮り、後で丁寧に編集した。 そうかと思えば、太陽族の若者たちがストーリーとは関係なく延々と無駄話する長回しもした。
ここで中平は、チーフ助監督の蔵原コレヨシに『どうでもいいからとにかく食うものをいっぱい用意しろ』と命じた。 カメラマンには『食いながら喋らす。それをそのまま撮ってくれ』『芝居の動きなんか必要ない』『要するに意味を求めちゃダメなんだよ』
こうして映画は完成し、日活首脳部が撮影所内で試写をみたが、彼らにはこの新しい感覚の演出タッチが理解できなかった。やたら忙しい映画にみえた。
日活は半信半疑で封切ったが、結果は大ヒットだった。 これまでの日本映画にないミズミズしい映像感覚が観るものを惹きつけた。
これより一年遅れて大映から増村保造がデビュー、「くちづけ」「青空娘」「暖流」などのドライな演出タッチで話題を呼び、日本映画に新しい世代が現れたと、【中平・増村時代】と称した。 中平康はこの新しい映像世代の旗手だった。
この後、『狂った果実』は『青春の情念』(パシュオン・ジュベニル)と題してパリで公開されロングランになり、フランスの若者たちにも支持された。 それから数年後にフランスにも新しい映像感覚をもった世代、ゴダール・トリュフォーら20代の若い映画監督らが相次いで登場、ヌーベルウ゛ァーグがおこった。
中でも、ゴダールは『勝手にしやがれ』の撮影に入る前に『狂った果実』を繰り返しみたという。・・?(ほんとかなぁ?)
このニュースは中平の自尊心をくすぐった、そうだ。
…………
この後、この小説は、酒びたりになって別の女性へと走り、落ちていく中平を、時にカットバック的に過去描写をまじえながら書いていくのだが。

・・田山力哉の『小説』によれば。
中平康は、いいとこ出のぼっちゃんで、気が小さいくせにエーカッコしいで、『狂った果実』以後数作品まではよかったのだけど、それから三年後の『紅の翼』あたりを最後に急速に作品の冴えを失っていった。そうだ。
初期の映画作品が何の賞もとれなかったし、妻子がいながら別の女性に走り、酒に強くないのに深酒し、私生活が荒れていった。
家庭なんか蹴飛ばして無頼派の芸術家を気取ろうと粋がる気持ちと、気の弱さからくる罪の意識と寂寞感とが、矛盾したまま同居した。
海外出品をねらいカンヌ映画祭で上映された『闇の中の魑魅魍魎』も、結局賞をとれなくて、最後の映画となった『変奏曲』も興行的にこけて、さらに借財をふやしただけに終わった。
一度つまづいたらそのまま落ち目になったまま転げ落ちていってしまった。
中平康の栄光の時代はわずか三年あまりでしかなかった。
昭和54年9月11日夜、死去、享年52歳。

さて。『狂った果実』
今時にDVDでみたのには、やはり無理だった。私には。
1956年の映画(。。!私が生まれた年だ)、と思えば、だけれど、。仮にほとんど同時代に観ていたとしても、あの時代、まだまだ庶民は経済的に貧しく、こぉんなおぼっちゃん映画なんかって感じただろう気がする・・何歳の時に観たかにもよるけれど。
しかし。いつの時代でも富裕層はいるもんなんだねぇ~~
それと、、これはまったく私の個人的嗜好によるものでしかないことをお断わりしておいて書くが、北原三枝、、あきまへん(^_^) 取り合いするよな女性かぁ? このキャスティング異議あり)^o^(
それからもひとつ。石原慎太郎もちょこっと出てた。長門裕之と。殴られちゃう役で。
更に。蛇足。
映画『太陽の季節』は、長門裕之と南田洋子、でした。


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