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カトリック教会による幼児誘拐事件 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

4月26日(金)公開 YEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、T・ジョイPRINCE品川ほか

■あらすじ

 1858年6月。イタリアのボローニャに住むユダヤ人商人モモロ・モルターラの自宅から、6歳の少年エドガルド・モルターラが連れ去られた。実行したのは地元の異端審問所警察で、ユダヤ人家庭で育てられているキリスト教徒を保護するという理由だ。

 エドガルドが赤ん坊だった頃、熱を出したことがある。家に出入りしていた若い家政婦は赤ん坊が死んでしまうと思い込み、誰も見ていないところを見計らって、部屋にあった水差しの水で緊急洗礼を授けたのだ。

 異端審問所はこの洗礼を有効と認めた。そして、一度授けられた洗礼を取り消すことはできない。教皇領であるボローニャで有効な教会法によれば、キリスト教徒の子弟を異教徒が育てることは禁じられている。

 両親や家族の願いも虚しく、幼いエドガルドはローマの修道院施設に移送され、そこで育てられることになった。

 事件は家族や教皇庁の思いとは裏腹に、国際的なスキャンダルへと発展していく。

■感想・レビュー

 これは実在の事件の映画化だ。日本語タイトルは事件の中心になったユダヤ人少年の名前だが、原題はもっとずっとシンプルに『Rapito』で、これは「誘拐」という意味。英語タイトルも『Kidnapped』で同じ意味になる。ここには映画の作り手たちの、シンプルなメッセージが込められていると思う。

 映画は1958年にエドガルドが「誘拐」されるところから始まり、1890年に母マリアンナが亡くなるまでの32年間を描く。エドガルド・モルターラはカトリック教会の司祭(神父)として、その後も1940年まで生き続けるのだが、映画はそれにまったく触れない。それは映画の作り手が、エドガルドの「誘拐」がマリアンナの死の場面で完遂されたと考えているからだと思う。

 エドガルドの家族にとって、誘拐は1958年から長い時間をかけて進行した。教会はエドガルドの身柄を拘束した後、少しずつ時間をかけてエドガルドの心を奪い取っていく。母に向かって「僕は毎晩シェマーを唱えてるよ!」と叫んだユダヤ人の少年は、教会の中で少しずつキリスト教に馴染み、父や母や家族が信じるユダヤ教を蔑むようになっていく。

 彼はやがて叙階を受け、教皇に忠誠を誓い、その命令に従順な青年司祭へと成長する。父が亡くなり、母の臨終の場に立ち会うことになった彼は、最後に母に「洗礼を受けてキリスト教徒になってくれ」と懇願するのだ。この瞬間、母は教会に息子の全てを奪い取られたことを知る。教会は少年の心を、精神を、力を、すべて母や家族から奪ってしまったのだ。

 息子の言葉に耳を貸さず、シーツを頭からかぶって静かにシェマーを唱える母の姿に、彼女の意志の強さと絶望とを感じて胸が痛む。

 30年以上を2時間14分に圧縮しているため、情報量が多い映画になっている。この事件の背後にはバチカンやイタリアの近代史があるのだが、それ以前にこれは「家族の物語」として観るべきだと思う。

(原題:Rapito)

ヒューマントラストシネマ有楽町(シアター2)にて 
配給:ファインフィルムズ 
2023年|2時間14分|イタリア、フランス、ドイツ|カラー 
公式HP:https://mortara-movie.com/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt14137416/


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