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仇討ちと消えた五十両の物語 『碁盤斬り』

5月17日(金)公開 全国ロードショー

■あらすじ

 柳田格之進は謹厳実直を絵に描いたような男だが、今は浪人して江戸の裏長屋で娘の絹と二人暮らし。格之進の篆刻と絹の仕立ての内職でわずかばかりの手間を得ているが、生活は決して楽ではない。

 そんな格之進の唯一の趣味は、碁会所で碁を打つことだ。そこには身分も立場も関係なしに、自分がのびのびとできる自由がある。

 ある日格之進は、行きつけの碁会所で豪商の萬屋源兵衛と碁を打つことになった。自分に勝ち目があるにも関わらず、源兵衛に勝ちを譲る格之進。勝負にこだわるあまり、自分の碁を曲げたくなかったのだ。源兵衛はそんな格之進の人柄に惚れ込み、二人はしばしば碁を打ち合うようになる。

 そんな格之進に、かつての同輩から知らせが届く。格之進が浪人するきっかけを作った柴田兵庫の不正が発覚し、藩を逐電したという。柴田は囲碁の勝負で格之進に負けたことを逆恨みし、格之進が汚職したと上役に讒言し、妻自害の原因も作っていたのだ。

■感想・レビュー

 古典落語「柳田格之進」を脚色した時代劇映画。主人公の格之進に草彅剛。娘のお絹に清原果耶。源兵衛に國村隼。監督は白石和彌。

 落語は庶民のための娯楽。原作の「柳田格之進」は物語の視点が町人である萬屋源兵衛寄りになっていて、格之進の身の上や身の振り方などには謎めいているところが多い。これは「お侍というのはそういうものだ」「武士の娘とはそういうものだ」という約束事の上で、人物が造形されている部分が多いからだろう。

 映画『碁盤斬り』は原作落語のそうした隙間を埋め、歪みを正し、格之進父娘の人物像を掘り下げていく。しかしその一方で、物語の帳尻を合わせたり、理解に足る人物像や展開にしたことで、理に落ちすぎてつまらなくなってしまう部分もある。

 例えば物語の中盤、格之進が仇討ちの旅に出ようとするところに、五十両紛失の話が持ち込まれ、切腹の決意から、娘の身売りへと急展開するくだり。これは娘を身売りさせて五十両作った後、格之進が長屋から忽然と姿を消す理由付けにはなっている。しかしこのくだりは、あまりにもバタバタし過ぎだ。もう少し上手い処理ができなかったのか。

 原作落語では格之進の娘が実際に女郎になり、そのまま物語から消えてしまう。しかし本作ではそれをあまりにも理不尽で哀れなことだと思ったのだろう。お絹が吉原で用立てた金は、女郎屋のお庚が格之進に貸し付けたことにして時間を稼いだ。

 これは同じ古典落語の「文七元結」からのアイデア流用だ。しかし「文七元結」の主人公は腕のいい職人だから、1年がかりで借りた金を返すあてがあった。それに対して、仇討ち旅に出る格之進には借金返済の見込みが一切ない。ならばこの時間稼ぎは、単なるご都合主義の辻褄合わせだ。

 角を矯めて牛を殺すという例えがある。良かれと思って無理に物語の一部を修正すれば、別の場所に新たな矛盾が生じるものだ。本作からは、原作にあった勢いが失われている。

ユナイテッド・シネマ豊洲(11スクリーン)にて 
配給:キノフィルムズ 
2024年|2時間9分|日本|カラー 
公式HP:https://gobangiri-movie.com/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt31522349/

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