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『悪魔のいけにえ』のいけにえたち  町山智浩単行本未収録傑作選29 ショック編3

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2001年11月号

『テキサス・チェインソー大虐殺』って映画を観たかい? ミック・ジャガー(「トゥー・マッチ・ブラッド」より)

 ミシシッピ州ヨクナパトファ郡の田舎道で、都会から来ていた大学生の運転する車が事故で立ち往生し、車に乗っていた女子大生が地元に住む密造酒業者の一家に拉致された。人里離れたその一軒家には、知恵遅れの男、ミイラのように萎びてほとんど動かない老人、それに性的不能のサディストが住んでいた。女子大生はトウモロコシで強姦され、精神的に崩壊した状態で発見された。……というのは文豪ウィリアム・フォークナーが1931年に発表した小説『サンクチュアリ』のあらすじである。これは、都会から田舎を訪れた豊かな若者が、ホワイト・トラッシュ—近代化から取り残された貧乏白人たち—に襲われる恐怖を描いた最初の作品としてセンセーションを巻き起こした。世界一の先進国であるはずのアメリカはいつの間にか国内に「土人」を抱え込んでいたのだ。
 それから40年後、テキサスの「人食い土人」を描いた映画がアメリカを震撼させる。

●1人きりのクリスマス・イブ

「クリスマス・イブだった。僕は1人でデパートに入ったんだ。店内は家族連れで大変な混雑だった」
 1971年、テキサスはオースチンに住むトビー・フーパーはベトナム反戦運動を記録したドキュメンタリー映画で評価されたが収入には結び付かず、将来への不安を感じていた。
「買い物客たちの幸せそうな顔を見ているうちに僕はだんだんムカついてきたんだ。あたりを見回すと日曜大工用品売り場の壁にかかったチェインソーが目に入った。これを使って群衆をかきわけたら面白いな、と思った」
“The Texas Chainsaw Massacre(テキサス・チェインソー大虐殺)“、邦題『悪魔のいけにえ』のアイデアはそのとき生まれたという(チェインソーはウェス・クレイヴンの72年作『鮮血の美学』からパクったという説もある)。
 フーパーはさっそく脚本家のキム・ヘンケルを呼ぶと、死体で家具を作り、人間の皮を着ていた男の話を元に、2週間ほどで『レザーフェイス(皮仮面)』というシナリオを書き上げた(2人ともその男がエド・ゲインという名だったことまでは知らなかった)。
 資金は地元の投資家を回って集め、16mmカメラをはじめとする機材はテキサス大学の映画学科から借りることにしたが、そのため大学が夏休みの5週間以内に撮影を終えなければならなかった。ところがその夏、テキサスは記録的な猛暑で連日38度以上の熱波に襲われたのである。

●死体はすべて本物

 ギラギラ照りつける太陽の下、何者かが墓から掘り出した腐りかけの死体が陽に焼かれて湯気を立ち上らせている。そして灼熱の太陽から噴き上がるプロミネンスの超クローズアップをバックにタイトル“The Texas Chainsaw Massacre”。フーパー自身がシンセサイザーで作った奇怪なアンビエント・ミュージックが重く静かに鳴り響くクレジットに続いて、焼けるアスファルトに転がるアルマジロの死体。『悪魔のいけにえ』のオープニングは、テキサスの猛暑と死体の腐臭をいきなり観客につきつける強烈なものだ(アルマジロのショットは当初、腐りかけた犬の死体の眼球にたかるハエからのズームバックだったが「やりすぎ」という判断で差し替えられた)。
『悪魔のいけにえ』はヒッチコックの『サイコ』(60年)では曖昧にしか描かれなかったエド・ゲインの屍体愛好をリアルに再現するため、大量の死体が撮影に使われた。メイクアップ担当のドッディ・パールが動物病院で働いたとき、動物の死体が埋められている場所を知っていたので、そこを掘り返したのだ。ただ、人間の頭蓋骨だけは、400ドル出してインド製の「本物」を買わなければならなかった。

●弱虫クルッパー対食人一家

 主人公はバンに乗りこんで都会からテキサスの田舎にやってきた男女5人の若者たち。1957年、ジャック・ケルアックが車でアメリカ中を放浪した体験を描いた『路上』がブームを巻き起こしてから、ロード・トリップはアメリカの若者にとっての通過儀礼となった。60年代後半には、バンに生活用具一式を載せてアメリカを気ままに旅することが流行する。たとえばTVアニメ『弱虫クルッパー』は、サイケデリックにペイントしたバンで旅する男女4人の若者が各地で幽霊退治をするお話だった。ところが『悪魔のいけにえ』の男女5人が出会ったのは、幽霊よりも恐ろしい食人一家だった。
 バンは最初にヒッチハイカーを拾う。彼はナイフで自分の手を切り刻んで、それをポラロイドに撮って売りつけ、買ってもらえないとナイフで切り付けてきたので車から蹴り出される。
 次にバンは給油のためにガソリン・スタンドに立ち寄るが、ガソリンは売り切れ。仕方がなく野宿することになる。恋人同士であるビル・ヴァイルとテリー・マクリンは森の中に一軒家を見つける。中を覗いたビルは人間の皮の仮面を被った大男にハンマーで殴り殺される。頭を割られたビルの手足がビクンビクン痙攣し続けるのがリアルだ。
 帰ってこないビルを探しに家に入ったテリーは動物の死体で飾られた部屋を見て逃げ出すが、レザーフェイスに捕まって、生きたまま肉鉤に突き刺されて天井から吊り下げられる。このシーンは、彼女の股に回したナイロンのパンストを背中側で吊る仕掛けだったが、パンストが食い込む激痛にテリーは絶叫した。あれは演技ではない。エド・ゲインの家を再現した「死体で飾られた家」は、脚本家のヘンケルによれば「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の家に通じている。そこに入った者は悪い鬼婆に食われてしまうのだ。

●メインディッシュはお前自身だ!

 レザーフェイスはバンに残っていた車椅子のフランクリンもチェインソーで切り刻み、残る若者はマリリン・バーンズ1人となった。逃げるマリリンはレザーフェイスの家に飛び込み、揺れ椅子に座った老人、「おじいちゃん」に助けを求めるが、老人は動かず、その目には命の光が無い。これは『サンクチュアリ』で拉致された女子大生が死人同様の老人に助けを求める場面が原型だろう。
 家を飛び出して藪の中を逃げるマリリン、チェインソーを振り回して追うレザーフェイス。このチェイスはわずか100メートルほどの距離を何度も行ったり来たりして撮影したが、マリリンの走る速度が異常に遅いのでレザーフェイスが追い付いてしまう。何度も何度も撮り直すうちにフーパーは苛立ちを募らせていった。
「僕は、本当は撮影も編集も何もかも自分でコントロールしたい男なんだよ。それがスタッフやキャストとの摩擦を生み出すんだ」
 マリリンはガソリン・スタンドに逃げ込み、店主(ジム・シードウ)に助けられるが、ホッとしたのも束の間、グリルで焼かれているバーベキューをよく見ると、どうもおかしい。この店では人間の肉を売っている! 気づいて絶叫するマリリンを店主はホウキの柄で殴って気絶させる。このシーンは滑稽だが、フーパーが本気で殴らせたのでマリリンはコブだらけになった。
 店主はレザーフェイスと冒頭の墓荒らしの犯人であるヒッチハイカーの「親父さん」で、彼らは食人一家だったのだ。そしてマリリンを囲んでのディナー・パーティが始まる。ただしご馳走はマリリン自身だ。

●あのメス犬をブチ殺せ!

 レザーフェイスがマリリンの指先をナイフで切って、それを「おじいちゃん」に咥えさせると、ミイラのように動かなかった「おじいちゃん」はチュパチュパと血を吸い始める。このシーンはナイフの刃にスコッチテープを貼って切れないようにして、刃の裏側に隠したチューブから血のりを出す仕掛けで撮影されたが、何度やってもうまくいかない。イラだったフーパーは「5分休憩!」と宣言して、キャストを部屋の外に出し、数分してから撮影を再開した。今度はうまくいった。マリリンの絶叫もリアルだ。それもそのはず、フーパーはこっそりナイフのテープを剥がしていたので、本当に指が切れて本物の血が出てるのだから。
 あまりに酷すぎる撮影にマリリンはもうヤケクソになっていた。食人一家がマリリンをおさえつけて、「おじいちゃん」に金てこでマリリンの叩き殺させ様とする場面では、ヨボヨボの「おじいちゃん」が何度も何度も失敗し、その間じゅうマリリンは絶叫し続ける。「金てこにはゴムが塗ってあるだけだから、ものすごく痛いのよ。だから、あたしは頭に来て本気で悲鳴をあげたの」と言うマリリンは自分の声でフーパーの「カット!」の声が聞こえないほど限界まで叫び続けた。
「彼女の金切り声にはガマンならなかった」とレザーフェイスを演じたガンナー・ハンセンは言う。
「僕らの精神状態は限界に達していたからね。ジムが“このメス犬をブチ殺せ!”と叫ぶけど、みんな本気でそう思ってたよ」

●撮了だよ、全員負傷!

 マリリンは彼らを振りきって窓ガラスを破って外に飛び降りる。スタントを雇ったり撮影用のキャンディグラスを買う金はないので、本人が本物の窓を破らされた。その次のシーンで彼女は血まみれになっているが、実はかなりの割合で本物の血なのだ。
 逃げるマリリンの背中をカミソリで切りつけていたヒッチハイカーは道路で18輪トレイラーに轢かれて即死。道路に叩きつけられた血まみれのヒッチハイカーの死に顔のアップが撮影された。ヒッチハイカーを演じたエドウィン・ニールは回想する。
「あれは夜明けの設定だけど、実際は夕方に撮影されたのでアスファルトは目玉焼きができるほど熱せられてたんだ。だからジューって音が聞こえたよ。僕自身の顔が焦げる音だ!」
 次に、つまずいたレザーフェイスは自分の足をチェインソーで切ってしまう。腿に鉄板を入れ、そこに肉と血のり袋を仕込んで、実際にチェインソーでそれを切ったのだが、刃が鉄板を擦る熱は凄まじく、ハンセンは大火傷した。
 マリリンは通りかかったトラックの荷台に飛び乗って奇跡的に脱出に成功。レザーフェイスは獲物を逃した悔しさで、朝日(実際は夕陽)をバックにチェインソーを狂ったように(元々狂ってるのだが)振り回し続ける。撮影のダニエル・パールは手持ちカメラでうなるチェインソーをきわどくかわしながら撮影したが、フーパーはもう、いくら怪我人が出ようと平気だった。
「これさえ撮影すれば終わりだからな」
 撮影が終わった時、全員が互いに憎みあっていたが、それが『悪魔のいけにえ』の奇跡のようなテンションを生み出したのだ。

●「土人」としてのホワイト・トラッシュ

『悪魔のいけにえ』は74年に公開されるやアメリカでは「許しがたい残酷映画だ」と攻撃され、ヨーロッパの数カ国とオーストラリアで上映禁止になった。外国の人々は、映画の冒頭に流れる「この映画はテキサスで実際にあった事件を元にした」というインチキなナレーションを信じてしまったのだ。
 この映画が観客にリアルに迫ったのは、当時、ホワイト・トラッシュの恐怖を描いた映画が次々と公開されていたせいでもある。都会から来たヒッピーのバイカー2人が南部の農夫に「ホモ野郎」と決めつけられてショットガンで殺される『イージー⭐︎ライダー』(69年)、都会からカヌー遊びに来たヤッピーたちが地元の猟師たちに犯される『脱出』(72年)、都会から来た少女をめぐって2つの農家が互いに殺しあう『ロリ・マドンナ戦争』(72年)などだ。それらの映画で、南部や中西部の白人は「土人」として描かれている。60年代から70年代初めにかけての黒人やインディアンの公民権運動、ベトナム反戦運動のため、映画で有色人種を差別することは許されなくなった。そこで、黒人やインディアンを差別し、ベトナム戦争を支持していた南部や中西部の白人ブルーカラーが、大っぴらに差別しても許されるスケープゴートとして浮上したのだ。

●スピルバーグとの激突!

 スティーヴン・スピルバーグは『悪魔のいけにえ』を観て驚いた。彼のTVムービー『激突!』(71年)とそっくりだったからだ。『激突!』は都会からアリゾナにやって来たセールスマンが、前を行く巨大なタンクローリーにクラクションを鳴らしたというだけで、タンクローリーに追い回される物語で、運転手の顔はレザーフェイスと同じく最後まで画面に映らない。セールスマンはタンクローリーから逃げるうちに、文明人としての常識や理性を剥ぎ取られていく。そして、最後にタンクローリーを倒した彼は夕陽を背に狂ったように笑い続ける。レザーフェイスから脱出したマリリンのように。
 フーパーに自分との共通点を見たスピルバーグは、自作脚本『ポルターガイスト』(82年)の監督にフーパーを指名した。
『悪魔のいけにえ』の大ヒットはスタッフとキャストの誰一人も幸福にしていなかった。契約した配給会社のブライアンストンの正体はマフィアで、2千万ドルの興行収入のうち、たった47ドルしか支払わなかった。フーパーたちは裁判を起こして勝訴するが、それでも手に入れたのは40万ドル。全員で分けるとわずかな額だった。『いけにえ』のメンバーは続けて『悪魔の沼』Eaten Alive(76年)を作るが、旅行者を殺してワニに食わせていた男の話で、『いけにえ』の二番煎じと酷評された。
 不遇の日々を送っていたフーパーはスピルバーグの誘いに喜んだのだが、現場ではプロデューサーのスピルバーグに激しく干渉された。『ポルガーガイスト』はヒットしたが、世間は「フーパーは途中から演出をスピルバーグに乗っ取られてドラッグに逃避していた」と噂された。

●『いけにえ2』はスラップスティック

 86年、フーパーは12年ぶりの続編『悪魔のいけにえ2』を作った。
「『悪魔のいけにえ』は本来、ブラック・コメディなんだ。今回はそこを強調してみた」
『いけにえ』の晩餐シーンはH・G・ルイスの『2000人の狂人』(64年)と、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のキチガイ帽子屋のお茶会シーンがベースになっており、ヒロインを不条理の限界に追い詰めることでスラップスティックへと突き抜ける。実際、マリリンが何度も「おじいちゃん」に殴られる場面で観客席は爆笑に包まれた。
『いけにえ』の食人一家は人肉チリソースのビジネスで成功しており、彼らに復讐を誓う狂信的キリスト教徒レフティ(デニス・ホッパー)と対決する。レフティが全身にありとあらゆる大きさのチェインソーを装着するシーンで観客を期待させたが、いざとなると関係ない柱をせっせと切り刻む大ボケ。彼の狂いっぷりと比べるとチェインソー一家がまともに見えるという批判も多かった。
『いけにえ2』でフーパーは東京ファンタスティック映画祭に招待され、筆者はインタビューすることができた。彼は終始沈鬱な表情で、特に『ポルターガイスト』の話になると彼の口は重くなった。取材後、一緒に会場の渋谷パンテオンに行くと、行列を作った観客たちがフーパーを見つけて殺到した。熱狂的なファンに囲まれたフーパーは初めて幸福そうに見えた。

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