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『デリンジャー』ここは西部だ。伝説と事実があるなら、伝説を語れ。ジョン・ミリアス第1作に込められたウエスタン・アウトローの挽歌 町山智浩単行本未収録傑作選19

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2012年9月号

「さあ、現金を引き出しに行こうぜ!」
 それがデリンジャーが銀行強盗に行く前の掛け声だ。
 拳銃を突きつけて銀行員たちに金庫から金を出させて彼は言う。
「デリンジャーに強盗されたなんて、孫子の代まで語り草だ。これは、あんたの人生で最高の瞬間だぜ!」
『デリンジャー』(73年)はジョン・ミリアスの監督第1作。ドライブイン映画の老舗AIP製作の低予算アクション映画だ。プロデューサーは後に『ダイ・ハード』(88年)を作るラリー(ローレンス)・ゴードン。
 同じ実在の銀行ギャング、ジョン・デリンジャーを描いた映画にはマイケル・マン監督の『パブリック・エネミーズ』(09年)がある。そちらは製作費1億ドルの超大作で、上映時間も『デリンジャー』の2倍近いが、29歳のミリアスが初めて作った映画に比べるとなんと空虚なことか。
「俺たちはみんな金次第」
 大恐慌を描いたミュージカル映画『ゴールド・ディガース』(33年)の主題歌で『デリンジャー』は始まる。背景は当時の写真。仕事を失って途方にくれる農民や失業者、飢えて骨と皮のように痩せた子ども、食料の配給に並ぶ黒人たち。1929年、銀行家や証券会社が作り上げた株式投資バブルが弾け、大恐慌時代が始まった。銀行が次々に倒産し、市民の預金はパアになり。中小企業や自営農は破産し、全米に失業者があふれた。特に壊滅的だったのが、農業以外に産業を持たなかったカンザスやミズーリなどの中西部だった。
 しかし、そのいっぽうで都会の資本家たちはローリング・トゥエンティーズ(狂乱の20年代)の続きで、華やかな生活を楽しんでいた。ルーズベルト大統領のニューディール政策で、バブルを引き起こした銀行も政府から公的資金で救済された。『デリンジャー』はオープニングの写真で田舎の貧しさと都会の豊かさを対比する。その最後に出てくるのはギャングたちがマシンガンを振り回す姿。
 貧困のドン底に落ちたカンザスやミズーリから銀行ギャングたちが次々に登場した。カップル強盗ボニー&クライド、プリティ・ボーイ(美少年)フロイド、ベイビーフェイス(童顔)ネルソン……。この大恐慌を引き起こした銀行を襲うギャングたちに貧しい人々は喝采を送った。なかでも最大の人気者はジョン・デリンジャーだった。
 1903年、インディアナポリスに生まれたデリンジャーは軍隊に入るが26歳で脱走してしまう。時は大恐慌時代の1929年、デリンジャーに仕事はなかった。彼は強盗で刑務所に入り、そこで仲間を集め、出所後はムショで知り合ったハリー・ピアポイント、ホーマー・ヴァン・メーターたちと組んでインディアナ、オハイオ、イリノイで暴れまわり、銃撃戦を繰り広げた。彼らに殺された警察官は13人に及ぶ。
「私はギャングどもに復讐を誓った」
『デリンジャー』はFBI捜査官メルヴィン・パーヴィスの語りで進められる。この映画でパーヴィスは同僚をギャングに殺され、その復讐のためにデリンジャーたちを仕留めることを誓ったという設定。パーヴィスは死んだ同僚からもらった高級な葉巻を出して「彼らを1人殺すたびに1本ずつ吸うことにしている」と言う。
 これらは全部ミリアスが創ったフィクションである。まず、当時、FBIはまだBOI(捜査局)と呼ばれていた。クリント・イーストウッドの『J・エドガー』(11年)で描かれたように、フーヴァーがBOIを設立した当初の目的は社会主義運動の調査だった。しかし、禁酒法時代にギャングが増え、彼らが州境を越えて活動するようになると、州を越えた連邦警察の必要性をアピールするため、BOIはギャングと闘うようになった。パーヴィスはパブリシティをやらされたのだ。
『デリンジャー』でパーヴィスを演じるベン・ジョンソンは西部劇の巨匠ジョン・フォードが俳優に抜擢した元カウボーイ。撮影当時54歳だが、本物のパーヴィスは1933年当時、まだ30歳。デリンジャーも同じ年だった。デリンジャーを演じるウォーレン・オーツは45歳だったが、デリンジャーにそっくり。『パブリック・エネミーズ』のジョニー・デップはデリンジャーにまったく似てない。パーヴィス役のクリスチャン・ベールはベン・ジョンソンよりは本物のパーヴィスに近いが。
 BOIの目的は宣伝だったが、デリンジャーも自己宣伝が大好きだった。指名手配されてるのに、素顔で強盗して「俺がデリンジャーだ」と名乗ったり、酒場で「俺の顔、誰に似てる?」とナンパする。女の子がお世辞で「ダグラス・フェアバンクス(当時の二枚目俳優)」と答えるとぶち切れて「俺はデリンジャーだ!」と叫んで拳銃を出して、勢いで店の客から金を取り上げ、でも、そんなことしてもしょうがないのでお金は返して(笑)、女の子だけさらっていく。
 無理やりデリンジャーの彼女にされてしまったビリー・フレシェットは、先住民ネノミニー族とフランス人の血を継いでいて、写真を見るとかなりの美人。演じるはミッシェル・フィリップス。「カリフォルニア・ドリーミング」で知られるロック・バンド、ママス&パパスの元メンバーで、デニス・ホッパーと結婚していたころ、夫婦喧嘩でホッパーに殺されそうになった。娘シンシアは「ホールド・オン」のウィルソン・フィリップスのメンバー。

●『デリンジャー』も実は西部劇

 パーヴィスのギャング狩りが始まる。最初の獲物はウィルバー・アンダーヒル。オクラホマの銀行を荒らしたアンダーヒルは、自分の恋人を人質にしてオクラホマのコテージに立て篭もり、警察に包囲された。現場に現れたパーヴィスは、例の葉巻をくわえ、黒い革手袋をはめ、銀色に輝くニッケルメッキのコルト45を2挺構えて、単身、家の中に入っていく。静寂。銃声。ドアを開けて出てきたのはアンダーヒル。パーヴィスは負けたのか? いや、アンダーヒルの喉には穴があいて血が噴き出している。アンダーヒルが崩れ落ちると、パーヴィスが人質の女性を抱いて悠々と出てきた。先に出てきたほうが勝ったと思わせて崩れ落ちる、というこのシーンはジョン・フォード監督の『駅馬車』(39年)のラスト、リンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)とプラマー兄弟の決闘シーンへのオマージュだろう。
『デリンジャー』も実は西部劇だ。デリンジャーは自分たちを西部無法時代のアウトロー、ジェシー・ジェームズやコール・ヤンガーになぞらえる。ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟は、南北戦争のとき、ひとつの州で南北にわかれたミズーリ州で南軍のゲリラとして北軍と闘ったが、北軍が勝った後はギャングになり、北部に遠征して銀行を襲った。戦争で負けた南部は経済の基盤である奴隷制を失ったので貧困に陥ったから、ジェームズ兄弟を応援した。それから半世紀が過ぎたが、状況は同じ。貧しい農村地帯は都市部の資本家たちに踏みにじられている。
 だから『デリンジャー』は執拗に中西部の田舎の風景を映し出す。地平線の彼方まで広がるトウモロコシ畑。まだハイウェイなどない。未舗装路を土ぼこりを蹴立てて進む自動車は馬の代わり。デリンジャーが好きだというカウボーイ・ソング「赤い河の谷間」が何度も流れる。この歌はハワード・ホークス監督の西部劇『赤い河』(48年)のタイトルにもなった。
 次にパーヴィスはジャック・クルータスという誘拐犯を仕留める。クルータスは当時、次々にマフィアの組員を誘拐して身代金を得ていた。『ザ・セブン・アップス/重犯罪特捜班』(74年)の犯人のモデルにもなった度胸のある奴だ。パーヴィスはクルータスを待ち伏せしてマシンガンでいきなり射殺する。撃たれて階段を落ちたクルータスの体にも何発も撃ちこむ。実はクルータスやウィルバー・アンダーヒルを射殺したのはパーヴィスではない。彼は現場にいさえしなかった。ミリアスはパーヴィスを西部の凄腕保安官のように描くため、嘘をついているのだ。
 パーヴィスはメンフィスに飛び、マシンガン・ケリーのアジトに踏み込む。トンプソン機関銃を愛用することで機関銃ケリーと呼ばれたこの誘拐犯を、BOIは当時はまだ普及していなかった指紋による科学捜査で突き止めた。寝室に飛び込んだパーヴィスはマシンガン・ケリーに向かってマシンガンを乱射。威嚇射撃だったが、ケリーは「撃つな! Gメン!」と命乞いをする。Gメンはガバメント・メン(政府の男たち)という意味だが、これ以来、FBIはGメンと呼ばれるようになった。しかし『J・エドガー』でも暴かれているように、これは嘘だ。実際はケリーの妻が「Gメンはあたしたちをほっといてくれないね」とグチっただけだった。しかしフーヴァーは宣伝のためにケリーが「撃つな! Gメン!」と叫んだことにしたのだ。
 デリンジャーはアリゾナで逮捕されるが、木彫りの拳銃で看守を脅してまんまと逃げおおせる。大胆にパーヴィスに直接電話をかける。2人はいよいよ対決へと向かっていく。
 デリンジャーは応援に、既に有名なギャングスター、プリティ・ボーイ・フロイドとベイビーフェイス・ネルソンと合流する。童顔ネルソンを演じるは童顔リチャード・ドレイファス。ネルソンはいわゆるトリガー・ハッピー(やたらと人を射殺する男)で、銀行強盗している最中に警報を鳴らされてカッときていきなり窓の外に無差別射撃する。このシーンは実際にネルソンが交通整理警官を無意味に射殺した事実に基づいている。こういうガキっぽいイカれた奴を演じると若い頃のドレイファスは最高だ。
 ちなみに『パブリック・エネミーズ』のネルソンはコルトのマシンピストルを愛用していた。実際にネルソンがコルト38スーパー拳銃をフルオートに改造し、フォアグリップと長いバナナ弾倉をつけたものだ。これは『デリンジャー』には出てこない。ガンマニアのジョン・ミリアスらしくないが予算がなかったのだろう。

●アウトローの魂を鎮めていく仕事

「しかし、とうとうデリンジャーもしくじった」
 パーヴィスは言う。1934年3月14日、アイオワ州メイソンシティの銀行を襲ったデリンジャー一味は警官隊との銃撃戦で負傷し、ウィスコンシン州のリトルボヘミアという山荘に隠れる。4月23日、そこをパーヴィスが急襲。凄まじい銃撃戦の末にデリンジャー一味は散り散りに逃亡。1人ひとり、パーヴィスたちに狩られていく。
 ピアポイント(ジェフリー・ルイス)は橋の上で警官に撃たれ「カンザスに帰りたい」と『オズの魔法使』のドロシーみたいなことを言い残し、妻の名を叫びながら川に転落。ネルソンはトウモロコシ畑でBOI捜査官サミュエル・P・カウリーと向かい合って機関銃を真っ向から撃ちあって壮絶な相討ち。ホーマー(ハリー・ディーン・スタントン)は車をジャックして逃げるが、小さな町で地元の農民や在郷軍人から撃たれてハチの巣。ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟も1876年、ミネソタ州ノースフィールドで銀行強盗をして、武装した住民から集中砲火を浴びて崩壊した。
 プリティ・ボーイ・フロイドは畑のど真ん中にポツンと建つ農家に逃げ込む。老夫婦が2人だけで住んでいた。フロイドは礼儀正しく挨拶する。
「こんにちは、道に迷ったんです」
「あなた、ギャングでしょ」
「はい」正直に認めるフロイド。
 老夫婦はフロイドとともに食卓を囲む。まるで帰ってきた放蕩息子を迎える両親のように。
 彼らは中西部に典型的な福音派クリスチャンなのだろう。フロイドに聖書を読ませようとする。フロイドは礼儀正しく断る。
「僕は罪を犯した。でも、楽しんだ。たくさん人は殺したけど、殺されて当然の奴ばかりだった(フロイドは警官を大勢殺した)。聖書は僕には手遅れです。でも、本当にありがとう」
 もう2度と得られないと覚悟していた平和な家庭の団欒を与えてくれた老夫婦に感謝して握手すると、フロイドは家を出て、荒野に向かって走っていく。物悲しいハーモニカが聞こえる。ライフルやショットガンで武装したパーヴィスたちの軍団が追う。「止まれ!」パーヴィスの指示で全員、そこに立ち止まり、フロイドにゆっくり狙いをつける。
「撃て!」
 一斉射撃を全身に浴びてフロイドは倒れる。死にゆく彼にパーヴィスが問う。
「お前が美男子フロイドだな? カンザスの」
「あ……あんたはパーヴィスだな。あんたに殺されて……良かったぜ」
 このフロイド射殺は『デリンジャー』で最も素晴らしいシークエンスだ。パーヴィスはただの国家権力ではなく、別の仕事をしているように見えてくる。西部開拓時代に滅んだはずなのに、資本主義の20世紀に生き残ってしまったアウトローの魂を1人ひとり鎮めていく、という仕事を。
 ミリアスの映画は時代遅れの男たちの物語だ。彼が脚本を書いた『ダーティハリー』(71年)は現代のサンフランシスコに蘇った西部の保安官だった。『ロイ・ビーン』(72年)は西部の首つり判事ロイ・ビーンが石油による開発に取り残される。『地獄の黙示録』(79年)ではグリーンベレーのカーツ大佐が古代の戦士に戻って暴走し、『風とライオン』(75年)ではモロッコのベルベル人の族長が、アメリカや西欧に反抗する。『ジェロニモ』(93年)については説明する必要もないだろう。
 そして、彼らの荒ぶる魂を鎮められるのは、彼らを最もよく理解する男なのだ。『地獄の黙示録』の脚本では、暴走したカーツ大佐暗殺を命じられた主人公ウィラード大尉は、カーツの戦士の魂に魅かれて、彼と一緒に、迫りくる北ベトナム正規軍を迎え撃つ。
 パーヴィス役のベン・ジョンソンとデリンジャー役のウォーレン・オーツがサム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』(68年)で兄弟役だったことは重要だ。2人は終わりゆく西部のアウトロー時代に抗うように機関銃を撃ちまくりながら死んでいった。『ワイルドバンチ』は、ロバート・ライアンの視点から描かれていた。彼はかつて強盗の一味だったが時代の流れに合わせて、彼らを狩る側に回った男だ。滅んでいくアウトローの悲しさを誰よりも知っていたのは彼だった。
『デリンジャー』と同じ73年にペキンパーが撮った『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』も、実は連続射殺魔ビリー・ザ・キッドを追い詰めて射殺した保安官パット・ギャレットの物語だった。親友だったビリーを撃ち殺した後、ギャレットは鏡に映った自分の心臓にも弾丸を撃ち込む。ビリーとは時代遅れの自分自身だったのだ。
 仲間が全滅した後、デリンジャーは1人、故郷に向かう。遠くから草原の向こうの生家を見つめる。父と妹が気づく。妹はデリンジャーに向かって金色に輝く草原を走っていく。アンドリュー・ワイエスの絵画『クリスティーナの世界』のように美しい。デリンジャーの車は妹が来る前にUターンして去っていく。もう2度と故郷には帰れない。また「赤い河の谷間」が聞こえる。
 デリンジャーがシカゴでクラーク・ゲーブル主演のギャング映画『男の世界』(34年)を観た後、パーヴィスたちに射殺されたのはあまりに有名だ。『デリンジャー』は最後に、パーヴィスは引退した後、デリンジャーを撃った拳銃で自殺した、と字幕が出る。また、デリンジャーの恋人ビリーは生涯独身を貫いたとも語られる。
 残念ながらそれは嘘だ。ビリーはその後に2回結婚したし、パーヴィスが自分を撃ったのもデリンジャーを撃った拳銃ではない。なぜなら、デリンジャーを撃ったのはパーヴィスではないからだ。『パブリック・エネミーズ』ではカウリーが撃ったことになっているが、それも違う。名もない別のBOI捜査官たちだ。また、実はフロイドもネルソンも、射殺されたのは、デリンジャーの後だ。
 禁酒法時代のBOIとがギャングの戦いは、フーヴァー長官が宣伝に利用しようとしたため、誇大に歪められて報道された。ところがパーヴィスの人気が出すぎてしまったので、フーヴァーは嫉妬し、パーヴィスを辞職させた。
『デリンジャー』の製作時、フーヴァーはまだ存命中だったが、撮影に協力しなかった。『デリンジャー』のいちばん最後にはフーヴァーが書いた撮影協力を拒否する手紙が朗読される。
「デリンジャーは合衆国が駆除すべきネズミだった。映画で美化するのは感心しない。このようなフィクションは若者を今以上に間違った方向に導くだけだ。よって私は協力を望まない」
 しかし、いちばん事実を歪めてFBIを美化していたのがフーヴァーだったことは『J・エドガー』を観た人ならご存知だろう。
 ミリアスが『デリンジャー』で描いたのも、事実ではなく、伝説だ。西部の無法者たちへの鎮魂歌だ。伝説は歴史において事実ではないが、魂において真実なのだ。

「ここは西部だ。伝説と事実があるなら、伝説を語れ」(ジョン・フォード監督『リバティ・バランスを撃った男』1962年)

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