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BOOK REVIEW 『仁義なきヤクザ映画史』 遂に出た映画史家による決定版! 江戸末期から令和まで、日本アウトロー像の何が変わり、何が変わらなかったのか?

『映画の奈落 北陸代理戦争事件』(国書刊行会→講談社+α文庫)で、世の読者の度肝を抜き、以後、松方弘樹に角川春樹への取材本と圧のある映画書籍を世に問い続ける伊藤彰彦、待望の新刊が『仁義なきヤクザ映画史』だ。『文藝春秋』での連載に、日活のヤクザ映画史、大映の「悪名」シリーズ、安藤昇の松竹からの映画デビューなど、どうしても東映を中心に展開されがちなヤクザ映画史に一撃を食らわせる「任侠映画を批判する虚無的ヤクザ映画」、『山谷 やられたらやりかえせ』で2人のドキュメンタリー監督がヤクザに殺された事件を追う「ヤクザが殺した二人の映画監督」、そして小林旭にインタビューした「義は時代も国境も超える 孤高のヒーロー・小林旭インタビュー」が新たに書き加えられた。


『仁義なきヤクザ映画史』

 著者自身が「『仁義なきヤクザ映画史』の決定版だ」とあとがきに記すように、本書は世に溢れ出ているヤクザ映画関連書籍とは一線を画している。多くのヤクザ映画本は1963年の東映『人生劇場 飛車角』の興行的成功から鶴田浩二・高倉健の明治から第二次対戦前までの過去を舞台にした任侠もの(着流しヤクザ)が人気を集め、これがマンネリになってくると現代ヤクザ(背広もの)へと軸を移し、本物のヤクザの抗争に題をとった『仁義なき戦い』で実録路線がスタート……といった具合に、どうしても東映を中心にした路線の変化やスター俳優たちの来歴が語られるといった具合だ。
 しかし映画史家としての伊藤彰彦はこの定型を外し、暴力団排除条例が施行された令和の時代からヤクザ映画というジャンルを語り始める。西川美和の『すばらしき世界』は社会復帰しようとする元ヤクザと彼を取り巻く人々の姿を描いた映画でスマッシュヒットとなり、テレビ局主導のドキュメンタリー『ヤクザと憲法』、東映のニューウェーブ・プロデューサー紀伊宗之が白石和彌と組み、警察小説という人気ジャンルから『孤狼の血』を生み出す。
「現在の若い観客は保守化し、彼らにとってかつての東映ヤクザ映画はハード過ぎてもはや受け入れられない。白石のこの見立ては、前回の西川美和も共有していた」 しかしコロナ禍、不正だらけの東京五輪、先の見えない不況に疲れた観客が、令和の新しいヤクザ映画を支持したのだ。ヤクザ映画は歴史的に振り返られる過去のジャンルではなく、アクチュアルなものとして存在している。例えば「ヤクザVシネはもう終わりだという大方の予想を裏切り、巨大なサーガに成長した『日本統一』は過激な描写を抑えることで女性ファンを増やしたという。
 ここで著者の伊藤は日本映画史上、初めてスクリーンに現れたヤクザとして、「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助が1910年に出演した『侠客 祐天吉松』があることを指摘する。フィルムもなくスタッフ名もわからない、この謎の映画からヤクザという存在の歴史を遡っていく。室町時代から戦国時代に現れた無頼たちがその源になり、江戸時代には侠役たちは口承芸能から舞台に立つ叛逆のヒーローになっていく。その代表が国定忠治だ。これが映画に反映されるのは1914年の『国定忠治 日光円蔵と国定忠治』で牧野省三が監督した。以後、「忠治もの」が人気を呼び、さらには作家・長谷川伸の小説を映画化した『瞼の母』『沓掛時次郎』といった股旅ものが舞台化、そして映画化されていく。
 こうして大きく過去を掘り返しつつ、亡くなった青山真治が『東京公園』で長谷川伸について触れるセリフを書いたことを指摘するなど、時代もジャンルも違うが、ヤクザ映画という文化は絶えることなく生きている、その生々しさを伊藤は追っていく。その作業は民衆文化とはぐれものが生み出す芸能をルポした竹中労や朝倉喬司の仕事を継承している。
 伊藤は映画史の軸を決して曲げることなく、東映『人生劇場 飛車角』より3ヶ月先に、アフガニスタンで医師と用水路を作り、国から見捨てられた人々を救った中村哲の祖母マンの半生を描く『花と龍』を作ったことを指摘する。それまでの無国籍アクションが飽きられてきた頃に石原裕次郎に和服を着せ「任侠アクション」として本作はヒットし、日活ヤクザ映画がシリーズ化される。日活ヤクザ路線を支えたのは50本以上の出演作を誇る高橋英樹だと伊藤は指摘する。その後、渡哲也の『無頼』から始まる日活ニューアクションは高い評価を得るが客足は遠のき、1971年にロマンポルノに路線を変更、活劇俳優たちは東映をはじめ活動の場を変えていく。また松竹では『悪名』が、松竹からは『血と掟』で安藤昇がスクリーン・デビューし、加賀まりこが『乾いた花』に出る。この『乾いた花』は明治〜昭和の日本に回帰する風潮に対して、一片の仁義もなく人を殺す“異端”のヤクザ映画になっていた。
 以後、本書は中島貞夫の『日本暗殺秘録』でテロリストたち、また被差別部落や在日コリアンといったマイノリティとヤクザとの関係(深作欣二の初期3部作)とジャンルの深淵に降りていき、『仁義なき戦い』とコッポラの『ゴッドファーザー』の受けた受難(本物の人たちからの因縁である)と様々な角度からヤクザ映画が変質していく様と時代を描き、『仁義なき戦い』を超える大ヒットとなった『山口組三代目』2部作と警察からの圧力で幻に終わった『山口組三代目 激突編』を任侠プロデューサー俊藤浩滋が『やくざ戦争 日本の首領』で実現したとする(余談になるが、自分がかつて東映実録ヤクザ映画の本を作ったとき、その締めは『北陸代理戦争』においた。これに対して杉作J太郎から『日本の首領』は入らないのか?と意見されたことがある)。
 本書はこの後、『北陸代理戦争』モデルの射殺事件、東京のドヤ・山谷でドキュメンタリー監督2人を殺したヤクザ組織と血生臭い話題が続くが、それを覆すように小林旭の堂々たるインタビュー、Vシネマに軸を移したヤクザ映画(銀幕からテレビにメディア・チェンジが起こる)、そして最後に先だってお亡くなりになった中島貞夫監督のインタビューで、この長大な反乱する民衆映画の歴史は閉じられる。特に心に刺さるのは、伊藤と中島監督の次のやりとりだ。

−−六九年の『日本暗殺秘録』の製作と並行して、「明友会事件」(山口組による大阪猪飼野の在日朝鮮人愚連隊組織の壊滅作戦)に取材した『殲滅』を自ら企画し脚本を書きます。
中島 『日本暗殺秘録』のように暴力の奥にある心理を描くのではなく、背景に思想や情念がない、血を血で洗うような容赦ない暴力映画を、即物的にニュースフィルムのように撮ってやろうと思ったんです。

 中島の幻に終わった『殲滅』がもし実現していたとしたら、これは深作欣二の『仁義の墓場』と並ぶ東西一大バイオレンス映画が並ぶことになっただろう。
 時代は進み、昭和の映画現場を知る者が減っていく中、伊藤彰彦は疾走した。あちこちに潜んでいるヤクザ映画のかけらを集め、『仁義なきヤクザ映画史』は完成した。『鉄砲玉の美学』に頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」を流したのは荒木一郎だったこと。80年代後半、ヤクザ映画の客層が40代以上の男性観客に固まってしまったので、夭逝した俳優兼脚本家の金子正次から始まる「ニューウェーブヤクザ映画」を打ち出したこと。鶴田・高倉・菅原・松方といったヤクザ映画のペルソナの裏に流れ続ける血まみれの映画史。それは今も表情を変えつつ、日本人の深層心理をざわつかせているのだ。(文中敬称略) 田野辺尚人

『仁義なきヤクザ映画史』
伊藤彰彦著、文藝春秋刊、2150円+税


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