『マニトウ』!「グリズリー』! 稀代の二番煎じ映画監督 B級映画界のスピルバーグ、ウィリアム・ガードラー一代記
文:山崎圭司
初出:別冊映画秘宝『衝撃!超常現象映画の世界』
●『マニトウ』と悪魔の胎児
サンフランシスコに住む若い女性、カレンの顎窩(俗に言う盆の窪。つのだじろう先生によれば、そこは霊体の出入り口!)に現れた小さな腫瘍。それは急速に胎児の姿に成長、強大な魔力を秘めた古代インディアンの邪霊・ミスカマカスであることが判明する。カレンの元恋人で心霊術師のハリーは、インディアンの呪術師と共に必死の祈祷を続けるが、月満ちた悪魔の胎児は400年の時を越え、遂にカレンの背中から生まれ落ちる……。
妊婦さんとおできに悩む人を不安のどん底に突き落としたオカルト映画『マニトウ』(1978年)。監督はB級映画界のスピルバーグと評された若き才人、ウィリアム・ガードラー。本作完成直後にヘリ事故で急逝したことでご記憶の方も多いだろう。1947年、ケンタッキー州に生まれた彼は、空軍を除隊後、CM製作を経て映画界に進出。処女作は悪魔の診療所に捕らわれた美女の恐怖体験を描く『アサイラム・オブ・サタン』(1971年)。正直、出来は散々だったが、技術顧問にアントン・ラヴェイのチャーチ・オブ・サタンを迎え、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)用に作られたショボい着ぐるみ悪魔を登場させるなど話題作り(だけ)は万全。続いて敬愛するヒッチコックの『サイコ』(1960年)を基に、悪名高きエド・ゲイン事件に着想を得て『悪魔のセックス・ブッチャー』(1972年)を発表。『悪魔のいけにえ』(1974年)より2年も早く食人農夫の血まみれ大殺戮を描いた。初期2作は宣伝も不十分で満足な収益は上がらなかったが、実地で映画作りを学ぶ彼にとって重要なのは次回作を撮ること、更なる成功を収めることだった。大衆の興味を惹くためにショッキングな題材を! 確実に利益を上げるために二番煎じ企画を! ついでに怪しい撮影秘話での話題宣伝も忘れずに。
●『グリズリー』と空の因果
辣腕製作者サム・アーコフに認められ、AIPで撮った黒人版『エクソシスト』の『アビィ』(1974年)では、撮影隊が竜巻に襲われ、出演者が肋骨を折り、主演女優が悪魔憑きの扮装でセットに入るたび電源が落ちる怪事が続発。だが、おかげで映画はスマッシュヒット。『JAWS/ジョーズ』(1975年)の成功に最速で便乗し、本物の巨大熊を撮影に引っ張り出した『グリズリー』(1976年)では世界収益3千9百万ドルを達成。大作感を求めて撮影にはトッドAO・35(パノラマ感を強調する特殊撮影法)が導入されたが、そういえばトッドAOを広めた興行師マイケル・トッドの死因は飛行機事故。『グリズリー』に出資した独立系製作者のエドワード・L・モントロも事故で映画業に転身した元パイロット。ガードラーの身辺には、なぜか空に関する不吉な巡り合わせが渦を巻く。再びモントロと組み、『グリズリー』の出演者(人食い熊役のテディも含む)を集めて撮った『アニマル大戦争』(1977年)は思ったほど振るわず、ついでにモントロが『グリズリー』の配当を出し渋ったため両者は決別。商用でイギリスに向かったガードラーは、空港で1冊のペーパーバックを手にする。英国ホラー作家、グレアム・マスターソンの『ザ・マニトウ』。機上で夢中になって読破したガードラーは、ロンドンに到着すると即座にエージェントに電話。事務所の備品を売っ払ってでも「今日中に」映画化権を取得するよう告げた。
●コケ脅かし映画『マニトウ』
1977年、スティーヴン・キングの『シャイニング』が出版され、映画界でも『吸血こうもり/ナイトウィング』、『プロフェシー/恐怖の予言』(79年)など、先住民を神秘と純粋さの象徴として捉えたホラーが流行の兆しを見せていた。『マニトウ』の映画化権を5万ドルで買ったガードラーは3日で脚本を執筆。3ヶ月後には撮影を完了させた。重要なのは時代の先を読むこと。ガードラーの映画は粗雑だが、その生きざま同様に前のめりな勢いと、大風呂敷のケレン味が融合した不思議な魅力に満ちていた。
「ヒッチコックのサスペンス理論は尊重するが、俺が好きなのはコケ脅かしだ」
悪霊ミスカマカスとの最終対決を、隕石とパワービームが飛び交う四次元空間の宇宙に描き切った『マニトウ』は、東京で15歳の少年の胸に瘤ができ、診察の結果それは胎児だったと見事なオチをつけて終わる(『マニトウ』の原作者マスタートンは、少年を介して再び転生を図るミスカマカスと、心霊術師ハリーの戦いを描く続編『マニトウの復讐』を発表している)。
●死してなお話題作り
悪霊との対決を人類の勝利で飾ったガードラーは、次回作のロケハンでフィリピンのマニラへ飛ぶ。
「映画作りは楽しい。俺が弁護士や工場経営者だったら、30歳で酒浸りになってたよ」
だが、アル中になるより悲しい運命がガードラーを待っていた。1978年1月21日。彼を乗せたヘリは悪魔の怒りならぬ、高圧送電線に触れて爆発。30歳で迎えた非業の死は祟りとして最高で最後の話題宣伝となった(『マニトウ』日本公開時には、横浜の港の見える丘公園=外人墓地で降霊会が開かれ、ガードラーの魂はUFOの目撃談と霊の呪いを語った)。『マニトウ』のNY公開日からジャスト1年後、ミスカマカス似の宇宙人が大暴れする『ザ・ダーク』(1979年)が封切られた。製作者はエドワード・モントロ。その後、彼は離婚と大病に悩まされ、人工衛星スカイラブと共に異星人が地球に落ちてくる『エイリアン・プレデター』(1987年)の製作総指揮を最後に、会社の金を持ち逃げして失踪。その消息は現在も不明だ。そしてガードラーの13回目の命日。彼の親友で、映画の常連俳優だったチャールズ・キッシンジャーが心不全で世を去った。死してなお、話題作りに余念がないガードラー。夜空を見るたび、僕は彼の名前を思い出す。
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