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『ブリット』なぜ刑事アクションの革命だったのか? マックィーンの壮絶カーチェイスでド肝を抜いた本作、カーチェイスのために英国からピーター・イェーツを招いたが、よく観ると脚本が破綻している……町山智浩単行本未収録傑作選20

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2014年6月号

●マックィーン自ら製作した『ブリット』

 脚本は映画の設計図だとか骨組みだと言われる。いい脚本なしにいい映画はありえないと。
 果たして本当にそうだろうか?
 映画史上最高のカー・チェイスで有名な『ブリット』(68年)は子どものころから何十回も観てきたが、ストーリーがまるで頭に入らなかった。DVDが出てから、脚本に集中して観てみて、驚いた。
 完全に破綻している。
 しかし、それでも『ブリット』は素晴らしい。脚本以外のすべてが。
 冒頭からして凄い。魚眼レンズのようなものにギャングたちの姿が映っている。カメラが引くと、それは鏡のような表面のランプ・シェードだとわかる。カメラがパンする。ギャングたちはオフィスに押し入って、そこにいる男を殺そうとする。この映像に、メイン・タイトルの文字が上下左右から飛んでくる。時にはその文字が切り抜かれて次のカットが見える。
 クール! としか言いようのない、このタイトルをデザインしたのは、ソウル・バスと並ぶ巨匠パブロ・フェロー。スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(64年)のメイン・タイトルで、B52爆撃機の空中給油に重ねられる細長い手書き文字を書いたのがフェローだ。『ブリット』の後、マックィーンの『華麗なる賭け』(68年)のモンドリアンのような分割画面によるタイトルをデザインしたのも、『ナポレオン・ダイナマイト』(04年)のタイトルもフェローだ。
 音楽も最高。『スパイ大作戦』のラロ・シフリンによるサウンド・トラックはジャズ・アルバムとしても傑作で、ロングセラーを続けている。参加ミュージシャンも超一流。ママス&パパスの名曲「夢のカリフォルニア」の間奏の、あの素晴らしいフルート・ソロを吹いたバド・シャンク、TV版『トワイライト・ゾーン』のテレレレテレレ、『バットマン』のデケデケデケデケなどのギターを弾いたハワード・ロバーツ、MJQやオスカー・ピーターソンなどとの名盤で知られるベースの巨人、レイ・ブラウンなど錚々たるメンバーだ。
 マフィアに命を狙われているのはジョニー・ロスというチンピラ。チャルマーズ上院議員(ロバート・ヴォーン)がサンフランシスコで開く公聴会で彼がマフィアについて証言を行うことになったからだ。そして、サンフランシスコ警察の刑事ブリット(スティーヴ・マックィーン)たちが、公聴会のある月曜日まで、証人ジョニーを警護することになる。
 原作は、「三文探偵シュロック・ホームズ」シリーズなどで知られるロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク(意味はカワカマスという魚)名義で63年に発表した『沈黙する目撃者』。その前年にあったマクレラン公聴会をヒントにしている。殺し屋だったジョー・バラキの証言によってマフィアの存在が初めて公に認められたことで有名な公聴会だ。
『沈黙する目撃者』の主人公クランシー警部補はベテラン刑事。映画化は当時65歳をすぎていた名優スペンサー・トレイシーの主演で進められていた。しかし、67年にトレイシーが死亡したので、映画化権は、自分で設立したプロダクションの最初の映画の題材を探していたスティーヴ・マックィーンに買い取られた。主役もクランシーという大人しい名前から、弾丸(Bullet)を思わせるブリット(Bullitt)に変更された。
 マックィーンにとってストーリーはどうでもよかったのだと思う。なぜなら、『ブリット』で最大の予算と時間と命を賭けて撮影されたカー・チェイスは、シナリオには書かれていなかったからだ。自身もレーサーであるマックィーンは最初、カーレースの映画を作ろうと企画していたが、『沈黙する目撃者』にカー・チェイスを盛り込むことにした。
 当時、ハリウッドには、まだ高速のカー・チェイスを描いた映画はなかった。そこで、マックィーンとプロデューサーのフィリップ・ダントニはイギリス映画『大列車強盗団』(67年)を観て、その監督をアメリカに招いた。ピーター・イエーツである。
『大列車強盗団』は1963年にロナルド・ビッグスが列車強盗で史上最大の金額を強奪した事件を基にしているが、基本的にフィクションで、最初に宝石輸送車の強奪シーンがある。強盗団は奪った宝石を持ってジャガーMk2で逃げる。それを警察のMk2が追う。車で混み合う真昼のロンドンでタイヤをきしませて展開するチェイスは、正真正銘の猛スピードで撮影され、それまでのハリウッド映画でのもたもたした追っかけとは一線を画していた。小学生の通学の列に車が突っ込んでいくサスペンスは、ダントニが後に製作する『重犯罪特捜班/ザ・セブンアップス』(73年)でも使われている。
 イエーツがマックィーンに最初に出した要求は、「アリフレックス・カメラを用意してくれ」というものだった。当時、ハリウッド映画の多くは大きく重いカメラと「遅い」レンズとフィルムで撮影されていた。「遅い」というのは「光量が必要な」という意味だ。ハリウッドのスタジオでは、大きなカメラをでーんと三脚の上に置き、強力なライトを好きなだけあてて撮影していた。しかしイエーツは作り物でない本物の街の中で全編ローケーション撮影して、ドキュメンタリー・タッチの映像が撮りたかった。それで、アリフレックスが戦争記録映画のために開発した小さくて軽いカメラ、ライトが少なくても撮影できる明るいレンズと高感度フィルムを使うことにした。
 撮影は映画デビュー作『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)で見事なニューヨーク・ロケの腕を見せたテレビ出身のウィリアム・フレイカーに決まった。実はフレイカーは、その前に『俺たちに明日はない』(67年)が第1作になるはずだったが、当時のワーナー・ブラザーズの会長ジャック・ワーナーが「私の目の黒いうちは、映画を撮ったことのない奴には映画を撮らせん」と反対したので、ベテランのバーネット・ガフィに変更されたのだ。『ブリット』の資本はワーナーだったので、イエーツとダントニは、ハリウッドからの介入を避けるため、舞台をロサンジェルスからサンフランシスコに移した。急坂で有名なサンフランシスコに。

●俺たちのマックィーン兄貴が汚いポリ公を演じるなんて!

 当時、マックィーンが刑事役と報じられると「ミスキャスト」と言われたという。『大脱走』(63年)でマックィーンが演じた脱走王は、少年院にも入れられた自分自身を反映していた。いつも彼は革ジャンにジーンズにスニーカーで反抗的なアウトローばかり演じてきた。ましてや60年代後半はベトナム戦争の真っ只中で、反戦デモの学生たちを警棒で殴る警官たちの姿がテレビで放送され、警官は人々の憎しみを浴びていた。ファンは「俺たちのマックィーン兄貴が汚いポリ公を演じるなんて!」と思っただろう。実際、『ブリット』で、白いワイシャツにネクタイ、ネイビーのジャケットで登場したマックィーンの似合わないこと! まるで貸衣装みたいだが、実際、イエーツ監督が私服を貸したらしい。
 ところが翌日、ブリットは濃紺のタートルネックのセーターにヘリンボーンのスポーツ・ジャケット(狩猟用)を羽織って出動する。これがカッコいい! タートルネックの上につけるホルスターは、コルト・ダイアモンドバックをアップサイドダウン(上下逆)に収納する(バネではさんでいる)。これはクイックドロー(早抜き)用で、今も「ブリッド・ホルスター」として売られている。
 実はブリットが背広にネクタイで登場したのは、ストーリーの上で金曜日だったからだ。公聴会は月曜日なので証人ジョーをそれまで護衛するのが使命。当時、SFPD(サンフランシスコ市警)では平日の出勤には背広にネクタイ着用が義務付けられていた。ただ、週末だけはラフな服装が許されていた。タートルネックは50年代のビートニクスから、反抗的でクールな若者たちの象徴だったので、権力に屈しないブリットのキャラと合致した。また体にぴったりしたセーターは「弾丸」という名前にもふさわしかった。それまでの映画の刑事は背広にソフトと決まっていたが、ブリットで一新されてしまった。
 証人ジョーをホテルに隠したブリットは護衛を仲間と交替して、恋人のキャシー(ジャクリーン・ビセット)とデートする。その間にホテルに殺し屋が押し入って、ショットガンで刑事と証人を撃ってしまう。撃たれた時の血の飛び散り方が凄まじい。30年代からハリウッド映画ではヘイズコードによって血を見せることを自主規制していた。67年にコードが撤廃され、同年の『俺たちに明日はない』では、スクイブ(血のり袋)によって、ボニーとクライドが蜂の巣になるエンディングが撮影された。
 ブリットはキャシーと寝ているベッドで、証人暗殺を電話で知らされる。
「どうしたの?」
「君には関係ない」
「あなたのことは関係あるわ」
 ブリットは答える代わりにキャシーの口を唇で塞いでしまう。ブリットの恋人もシナリオになく、監督が追加させたものだ。ビセットがあまりに美しいので、2人のラブシーンは一見、ただの観客サービスかと思うが、実はテーマに関わる要素だ。
 重傷を負った仲間の刑事と証人が救急車で運ばれ、病院で手当てを受ける間、ブリットは為すすべもない。フレイカーのドキュメント・タッチで撮られたこのシークエンスは長いが重要だ。なぜなら、この罪悪感によってブリットは獲物を絶対に逃さない猟犬になっていくからだ。もし、これが『踊る大捜査線』とかだったら、「俺が彼女とイチャついてたせいで、あいつは撃たれたんですよ!」とか叫ぶだろうが、マックィーンは、撃たれた同僚の横で彼の妻が涙を流すのを、じっと見るだけで、表情も変えず、何も言わない。それが当時の映画の作法だった。
 チャルマーズ上院議員に激しく責められてもブリットは黙って耐える。結局、証人は病院で死んでしまったが、ブリットは医師の協力でそれを隠す。殺し屋をおびき寄せるためだ。
 土曜日、殺し屋はエサに引っかかった。ブリットは彼らが乗る黒い68年型ダッジ・チャージャーを見つけた。ヘッドライトがエンジングリルによって隠されているので「邪悪な顔をしている。殺し屋の車にぴったりだ」とイエーツは言う。ブリットが乗るのは濃緑の68年型フォード・ムスタングGT。ムスタング(荒馬)のエンブレムと「GT」のロゴも取り外している。
「ムスタングにしたのは、これが西部劇だからだ」
 イエーツ監督は言う。マックィーンはもともとTV西部劇『拳銃無宿』の賞金稼ぎでスターになった。
「西部劇の決闘シーンの拳銃を車に変えたのが、このカー・チェイスなんだ」
 ムスタングはチャージャーの背後にゆっくり近づく。西部のガンマンが腰の拳銃にゆっくり手を近づけるように。チャージャーのルームミラーにマスタングが映る。殺し屋はシートベルトを締め、いきなりハンドルを切ってアクセルを踏み込み、ホイールスピンさせながら逃げ出す。ドッグファイトの始まりだ。

●映画史上最高のカー・チェイス

 ムスタングは急カーブを曲がり切れず、マックィーンが窓から身を乗り出して切り返す。これは演出ではなく、アクシデントだ。
「スティーヴはスタントマンを使わずに自分で運転したがった」
 イエーツは言う。マックィーンは『大脱走』でスイスとの国境線をオートバイで飛び越えるシーンでも自分でやろうとして止められ、バド・イーキンズというスタントマンがやった。それを恥じていたマックィーンは『ブリット』では今度こそ自分でやろうとして、殺し屋役のビル・ヒックマンと猛練習を繰り返した。ビル・ヒックマンはスタント・ドライバーで、カー・マニアのジェームズ・ディーンやマックィーンと個人的にも友人だった。
 しかし、撮影直前にマックィーンの当時の妻が反対したため、最も危険なシーンではマックィーンの代わりにバド・イーキンズが運転している。ムスタングとチャージャーはサンフランシスコの坂を跳ねながら降りていく。もちろんサスペンションとシャーシは強化してある。音楽はなく、ただ腹の底に響くエンジンの重低音と、タイヤの叫びだけが聴こえる。ラロ・シフリン自身がこのシーンに音楽はいらない、と言ったからだ。
 郊外に出た2台は限界までスピードアップする。実際に177キロまで出したという。殺し屋は走りながらショットガンを撃ってくるが、コントロールを失ってガソリンスタンドに突っ込み、大爆発炎上する。この10分間のチェイスに3週間の撮影と、それより何倍も長い準備期間と、製作費のかなりの部分が費やされた。最大の見せ場は終わった。同僚を殺した犯人も倒した。そこからさらに延々と話が続くのが、この映画の構成の難点でもある。
 日曜日の朝、モーテルで女の死体が発見される。ムスタングがオシャカになったので、モーテルの殺人現場にブリットは恋人キャシーの運転するポルシェ356ガブリオレで急行し、喉を切り裂かれた死体をキャシーに見られてしまう。彼女は死体よりも無表情で死体を検証するブリットのほうがショックだった。
「何も感じないの? そんなに慣れてしまったの? あなたはドブの中に生きてるのよ。暴力と死に囲まれて。あなたの世界は私が知ってる世界とはかけ離れてる!」
 別れを望むキャシー。
 結局、実は金曜の夜に殺された証人ジョーは全然別人のレニックというセールスマンだとわかる。本物のジョーはマフィアの金を200万ドル横領しており、レニックを金で雇った。レニックは証言する前にローマに逃げる計画だったが、ジョーとしてマフィアに殺された。これでジョーは消えた。モーテルで殺された女はレニックの妻だった。
「ジョーが口封じのために彼女を殺した」
 ブリットは推理する。
 そして、本物のジョーは今夜、サンフランシスコ空港からローマに逃げるらしい。空港に駆けつけたブリットたちは、ローマ行きの飛行機を探すが、乗客のなかにそれらしき人物はいない。しかし、離陸寸前のロンドン行きの乗客名簿にレニックの名を見つけた。その飛行機を引き返させろ!
「ジョーは私の証人だ」
 チャルマーズ上院議員は空港までブリットを追いかけて言う。
「明日の公聴会で証言した後で君に引き渡そう」
 この申し出をブリットは「ブルシット」と拒否する。「牛のクソ」すなわち「たわごと」という意味だ。しかし、なぜ? その理由はひと言。
「あんたが嫌いなんだ」
 ロンドン行きの飛行機が戻って来た。ブリットが機内に入ると、ひとりの男が後部の非常口を開けて飛び出した。ジョーだ。5メートルほどの高さから滑走路に着地。ブリットもそれを追う。
 滑走路の横の草むらでジョーは背広の胸からコルト45オートを抜いてブリットを撃つ。こんなものを持って飛行機に乗ってたのか? 昔のセキュリティはどうなってたんだ?
 滑走路を走って逃げるジョー。追うブリットは前進する旅客機の着陸脚の前を横切る。操縦席からマックィーンは見えないから命がけのスタントだ。
 ジョーはターミナルに戻って来た。今まさにドアを開けて空港の外に逃げる寸前でドアの向こうに空港警備員が立ちはだかった。彼をジョーは射殺するが、ブリットに射殺される。これで証言はできない。チャルマーズ上院議員は落胆して車に乗って去った。車のバンパーには「地元の警察を支援しよう」と書かれたステッカーが貼ってあった。
 え? これでいいの? 
 結局、ブリットは結局、証人を殺してマフィアを喜ばせただけじゃないの?
 翌朝、アパートに帰ると、ベッドには出て行ったはずのキャシーが寝ていた。ブリットはさっき犯人を射殺したばかりの拳銃と銃弾を置いてベッドに行く。一見、甘いハリウッド・エンディングのようだが、カメラはそこに残って銃弾を見つめ続ける。2人の仲は長くは続かないだろう。なぜなら、狙った獲物にわき目もふらずに飛んでいく弾丸こそがブリットの本質なのだから。
 どう考えても、この脚本は破綻している。当初の予定通り、カー・チェイスも恋人もなかったら、どれだけ空疎な映画になっていただろう。シナリオはダメでも、マックィーンの存在感と、イエーツのアクション演出、フレイカーのリアルな撮影、ヒックマンの凄まじいスタント、シフリンのクールな音楽、それにタイトな編集が『ブリット』を傑作にした。編集のフランク・P・ケラーはこれでアカデミー賞を受賞した。
『ブリット』はその後の世界の刑事ドラマを変えた。プロデューサーのフィリップ・ダントニは次作『フレンチ・コネクション』(71年)で再びヒックマンと組んで地下鉄対自動車のチェイスを実現し、アカデミー作品賞を受賞した。サンフランシスコを舞台にはぐれ刑事が官僚主義と戦う現代版西部劇というコンセプトは『ダーティハリー』(71年)が引き継いだ。かくして70年代前半はカー・チェイスと銃撃戦の刑事アクションが世界中で作られた。
 ちなみにカー・チェイスでは同じフォルクスワーゲン・ビートルを何度も追い越すというミスがあるが、アカデミー編集賞には影響なかったようだ。ビデオのない時代でよかったね!

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