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ドット道東に関わってみて #ドット道東ではたらく

こんな題をもらい、書くことになった。

3年前となる2019年9月、浦幌移住1年目にも同じようなドット道東との関わりについてのnoteを書いていた。

当時はまだ道東の人が開催するイベントに何度も行ったり、時々ボランティア的にTwitter触らせてもらい始めたり、そんな関わりだけだった。そんな折、法人としてのドット道東が立ち上がったが、1年以上前から関わっていた自分はそこに参画することはなく、別の場にいる感覚や申し訳なさを持っていた

あとは、浦幌という新天地に行き、数か月、時には心無い言葉をかけられることもあり、相談できる仲間や先輩が町内にいないかったこともあり、孤独を感じることも多々あった。この町での未来を描けていなかった。ある飲みの場で町外との関わりを持つことや発信していることについて強く言われて絶望し誰かに相談しようとしたが、町内の人のLINEを遡るも相談できる人もおらず、泣いたままひどく遅い時間に、ドット道東のたくろーさんに電話をかけたこともあった。

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そこから2年7か月。どんな変化が、どんな想定外の未来があっただろう。


地域で楽しく暮らし合う仲間が増えた

2019年11月の自分のつぶやきがきっかけで始まった「#札幌discover」というムーブメント。ここにいち早く共感・応援・共創してくれたのも、道東の人たちだった。

この流れからメディアの人たちとの繋がりが生まれた。いち早く連絡をくれたUHBの廣岡アナウンサーは今では浦幌に個人的に遊びに来てくれたりサプライズを仕掛けられたりするようになった。NHKでは、イベントに登壇させていただいた後、その後も継続的に取り上げていただいたり遊びに来てくれたりするようになった。メディアの中にも人が見えるようになった。

ドット道東のガイドブック.dotoでも企画として「#道東discover」なんてものも実施してくれた。そこからさらに、紙面として掲載することにもなり、教育畑の人間が本づくりに関わることもできた。

あるときには、東京で開催されていた、リトルドートーというイベントにも行き、ありさとはここで初めましてをした。上記「#道東discover」企画の紙面を一緒につくったりもした。その後ありさは2021年の春から浦幌のハハハホステルで働いている。

若者が道東との新しい繋がりを持ち関わりしろを見つけ、道東、しかも浦幌に移住して来る。その一部始終を目の当たりにした。今では同じ町の友だちとして一緒に遊んだり話したり相談し合ったりしているが、これも当時は信じられない未来だ。

浦幌移住したての頃は、道東の人が浦幌に来るということもほとんどなかったが、徐々に足を運んでくれるようになった。そのときには、もりけんさん小松さんという浦幌の先輩たちと一緒に時間をともにするようになっていった。

共通の友人たちと共通の時間を過ごすことで、共通の言語や体験が生まれ、同じ時間を過ごすことがより増えていった。ともに語れる想い出やつくりたい景色ができてきた。その先には、互いのチャレンジを応援し合うような楽しみ合うような未来が待っていた。

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そんな浦幌という土地に足を運んだみっきーが、「北海道で本屋をやりたい」という理想を言葉にし、実際にその後浦幌で本屋イベントにチャレンジをするという本当に最高の瞬間も生まれた。

応援し合う関係が増えていった浦幌という土地が、次の世代の理想へのチャレンジをも後押しをし理想を実現し始める場面に立ち会えた。

それでも自分の奥にしまったはずの想いは無意識的にあふれていて、気付くとスマホの検索履歴は「北海道 移住」、「十勝 天気」、「知床 動物 写真」…と続き。

そこで#道東discoverのハッシュタグを発見し、アンオフィシャルガイドブック「.doto」に出会いました。

あとなによりも、冒頭で、飲みの場で町外との関わりを持つことや発信していることについてボロクソ言われて泣いたエピソードを出したが、その人とは今では仲良くなった。なんならこの時の話を今では思い出話としてすることもある。このnoteも見ているのかな。いつもありがとうございます。また飲みに行く約束をしたので、連絡しますね。

楽しく暮らし合う関係が増える。とてもゆたかな未来が待っていた。


地元に関わる仕事ができた

Twitter担当として関わらせていただいていた中で、あるときには仕事として対価をいただきSNSの運用を担当させていただいたことがあった。

それも、地元オホーツクの案件だった。いつかは関わりたいと思っていたが、こうした関わりが生まれるとは思わなかった。「戻る」以外の関わり方を体感することができた。ドット道東に関わる人たちとの出会いが、田舎でも楽しく暮らしていける希望を捨てずにいられる手段をくれた。

いつかは、「オホーツク」ではなく、地元遠軽町での仕事に関わってみたい。嫌な経験もした地元。「戻る」ことは今も怖くてできないとは思うが、様々な関わり方を選択肢に入れて、探っていきたい。


今後はもっと次の世代と


もちろん関わる中で、課題やもやもやが全くないというわけではない。

もとから互いに離れた道東という広大な土地で行っていたプロジェクトがくだんの感染症でさらに顔が見えにくくなり、よりハイコンテクストなコミュニケーションが必要になってきている側面もある。その中で、たくさんのプロジェクトが分散的に行われているので、だれがいつどのような方法・業態で行うか、その意志決定の共有や理解や担当、包括的なマネジメントやケア(対話)が追い付かずに、「読みあう」こともあると感じている。

そんな中で必要な「伴走」するっていうこと。大学時代に対高校生・大学生に3年間、浦幌時代には対中高生に3年間やってきたが、そんなに簡単に言える言葉でないと思っている。誰が良い悪いとかではないのに、ちょっとでも前提を疑うことや学び続けることが抜け落ちると、伴走する側が一つの伴走の方法のみを暗黙の了解として行い、伴走される側=立場の弱い側(例えば年齢など、そうみなされることもある側)が無言のプレッシャーを感じたり言いたいことも言えなくなる状況なんかもすぐに起きてしまう。

ともに、走る。人によって、その温度感のギャップがある。仕事を「振る」伴走もあれば、「一緒に」悩み創るタイプの伴走もある。コーチングや1on1的な伴走もあるだろうし、「放任」とはき違えた伴走もあるだろう。これらのあり方を巡るコミュニケーションと、その実際との間をうまく行き来できるようになりたい。何よりも自分がそこで圧やしんどさを感じ、疲れ果ててきた人種なので、どんな人種でも関われるような入り口を創っていきたい。

もっと楽しく暮らし合う関係が広がっていくために、そして次の世代の人もそうした関係を持っていけるように。これまで数年間で目の当たりになってきた周囲の景色からわかってきた「理想」の状態と、道東においてもまだそうした関わりしろはオープンなようで限定的な側面もあるという差分を埋めていくために、できることをしていきたい


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古賀 詠風(えいふう)
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