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mustお片付け計画①

mustで育てられてきた人間は
大人になってからなかなか生きにくい


「〜しなければならない」に囚われて
自由な発想ができなくなる

あなたの周りにもこんな人いませんか?
・(作文でも絵画でも造形でも)自由に作っていいよ、が何より恐ろしい
・テストよりレポートの方が嫌い
・今何欲しい?どこ行きたい?何食べたい?にすぐに答えられない

私もそうだった。
自分のやりたいことよりも
やらなくちゃいけないことをしていたし
欲しいもの、行きたいところ、食べたいものを伝えたところで怒られた記憶しかない。
…何が欲しいか、どこに行きたいか、何を食べたいか、聞かれて答えられなくても怒られていた気もする。

そして周りの同級生から変わってるとよく言われていたのが、
テストよりもレポートの方が嫌い、ということ。

答えがないと書けないから嫌い。
自分の気持ちとか考えとか
アウトプットしたら怒られてたから、
アウトプットできなかったから、
やり方を知らなかったから、
レポートは今でも嫌い。

それでも今はまだマシになったと思う。

大学の選択はその後の人生に大きく関わるとよく聞くけど
本当にそう思う。
それは就職先だけの話ではない。
一緒に過ごす人たちとの時間
それによって人間形成は加速していく。

どんな人たちとどんな時間を過ごすか、
大学だけに限った話ではないが、
小学校、中学校は同じ地域の同級生、
高校は似たような学力の同級生、
それじゃ大学は?
もちろん学力も関係するけど、
たくさんの大学と学部からそこを選んだ、何かしら通じるものがある同級生。

なりたい職業だったり、深めたい知識だったり、
何が通じるかは人それぞれ。
でも人間は、自分の中のかすかな部分だけでも
通じるものを持っている人とは仲良くなれるもの。

その意味で、小学校〜高校までとは違って
大学選びは人間形成に大きく関わる時期だと思う。

私が通った大学のあの学部を選んだのは
恥ずかしながら"昔からの憧れ"もあった。
ただ8割くらいは、
「高校までの自分を少しでも変えたい」
という気持ちだった。

もう想像がつくかもしれませんが
私は音楽、美術、家庭科、技術といった副教科よりも、
国数理社といったメイン教科の所謂"座学"の方が得意だった。

だから自分のやりやすいように大学を過ごすには座学か多いような学部を選択すればよい。
それは容易に考えられた。
でも、それは選択しなかった。
なぜなら、
座学の学部、例えば経済学部等を選択すれば、
きっとそれなりに知識が増えて賢くなっただろう。
でも私が目指しているのはそんな人ではなかった。

私が目指していたのは、
人とちゃんと話ができて、
人と協力するができて、
誰かのために動けること、
そんな当たり前のことだった。
でもその当たり前が当時の私には難しかった。

そのためには、座学ではないことを学ばないといかないと思って、自ら辛い道を選択した。
こんな人間だったから
実習はとても辛かった。
仲間たちと作品を作ったり、
自然の中を散策したり、
いろんな経験を重ねていくことは楽しかったが、
何週間も住み込みの実習は辛かった。

そこにいるほとんどが、
なりたい職業を目指して通うような専門的な学部だったので、
私みたいな、将来はわからないけど、
とにかくいろんな経験をしたくて、
と言う変わり者は片手で数えられるほどだったと思う。

それでも、大学でさまざまな経験を積んだことと、
関わってくれた人たちのお陰で、
高校生の私と大学卒業した私では、
全然違っていたと自分では思う。

そしてさらに、
大人の社会に出てから、
もっと変わったと思う。

いい意味でテキトーを身につけた。
常にmustに囚われて身動きできなかった私が、
今となってはだいぶ気楽に生きていけるようになった。

平日は仕事があるのでなかなか自由にとはいかないが、
休日には行きたいところに行き、
食べたいものを食べ、
眠たくなったら寝る、
そんな当たり前の生活ができるようになった。

そして旦那。
今でもアウトプットが苦手な私の話を
ゆっくり聞いてくれるし、
理解しようとしてくれる。
そんな人が近くにいてくれるから、
私はまだまだ成長できると思う。

大切なmustは残しつつ、
ほどよいテキトーさのある生活。

それを目指して生きていきたいと思います。

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