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シャルル6世のタロット②~エステンシタロットとは?

その昔…シャルル6世のタロットと誤認されたタロットは、
現在は「エステ家のタロット」=「エステンシタロット」と呼ばれています。
その名の通り、イタリアのエステ家で1470年前後に製作されたと推測されています。

エステ家とは、イタリアのフェラーラを統治した名門貴族です。
以前お話したミラノのヴィスコンティ家とも婚姻関係がありますが、当時は敵対関係にもありました。

中世のタロットデッキを再現したことで有名なマルコ・ベネデッティ氏は
ミラノのヴィスンティ家スタイルとフェラーラのエステ家スタイルは異なる系統のタロットデッキであると考えています。

エステ家のタロットはフェラーラもしくはフィレンチェで作られたとベネデッティ氏は考察しており、
このことからエステ家のタロットを「フィレンツェスタイル」、ヴィスコンティ家のタロットを「ミラノスタイル」と二派に分けて呼称しています。

*この当時タロットカードは「トリオンフィ」=「勝利のカード」「凱旋のカード」と呼ばれていました。


文献で見るエステ家のタロット

初出の文献

フィレンツェスタイルのタロットについて現存する文献の初出は1440年9月20日で
アンギアーリの公証人・ジュストがリミニの領主・マラテスタにトリオンフィをプレゼントしています。
彼はそれをフィレンチェで注文したそうです。

エステ家の文書に初めてトリオンフィが登場するのは、1442年2月10日で、エステ裁判所の記録として遺されています。
そこには、画家のサグラモロにトリオンフィの制作報酬が支払われたことが記されています。
サグラモロはカップ、ソード、コイン、ワンドの4つのスートの全てに色を塗って描き、
一組には赤で、もう三組には緑でバッキング(背面)も作り、円形の装飾をしたと詳細がに記録されています。

これは「トリオンフィ」と呼ばれているものの、大アルカナを含めない4つのスートを各々1セットとしたカードデッキ…つまりはトランプの製作ではないかと思うのです。

(原文)
MCCCCXLII Maistro Iacomo
depentore dito Sagramoro
de avere 10 fiebraro per sue merzede de avere cholorido e depento le chope e le spade e li dinari e li bastoni e tute le fegure de 4 para de chartexele da trionffy,
e per farle de fora uno paro de rosse e 3 para de verde,
chargate de tonditi fati a olio, le quale ave lo nostro Signore per suo uxo;
tanssa i prexii per Galiota de l'Asassino chamarlengo de lo prefato Signore de chomissione de lo Signore,
in raxone de lire zinque per paro .......... L.XX"

(英訳)
1442: 10th of February, the painter Sagramoro is paid 20 lire
"for having coloured and painted the cups, swords, coins and batons and all the figures of 4 packs of trump cards
and making the backs for a pack of red cards
and 3 packs of green ones, embellished with roundels painted in oil, which our Lord has for his use".

https://www.oocities.org/autorbis/sagramoro.html より)

(和訳)
1442年:2月10日、画家サグラモロに20リラが支払われる
「カップ、剣、コイン、バトン、そしてトランプカードの4パックのすべてのフィギュアに色を塗ってペイントし
赤いカードのパックと緑のカードの 3 パックの裏面を作成します。
油絵の円形装飾が施されており、
それは私たちの主がご自分のために持っておられるものです。」

その後のトリオンフィに関する文献

次にトリオンフィについての記述が見られるのは同年7月で、
当時のフェラーラ侯・レオネッロ・デステの弟たちのためにトリオンフィを取り寄せたことが記されています。
この時、レオネッロの弟のエルコーレは11才、シジスモンドは9才でした。
代金が安かったことから、これは子供向けのゲーム用トランプであったと推測がされています。

(原文)
"E adi dicto per uno paro de carte da trionfi; ave Iacomo guerzo famelio per uxo de Messer Erchules e Sigismondo frateli de lo Signore.
Apare mandato a c, - , L. 0.XII.III"

(英訳)
1442: July, for a pack of "carte da trionfi" intended for Ercole and Sigismondo (two of Leonello's brothers),
delivered to their servant Iacomo "guercio", the "merciaio" Marchione Burdone received the sum of 12 soldi and 3 denari.
https://www.oocities.org/autorbis/sagramoro.html より)

(和訳)
1442年:7月、エルコレとシジスモンド(レオネッロの兄弟の2人)向けの「カルテ・ダ・トリオンフィ」のパックが、
彼らの使用人イアコモ「グエルチョ」に届けられたため、
「メルチャイオ」マルキオーネ・ブルドーネは12ソルディと3デナリの合計を受け取った。

その後、フェラーラでは1450 年から 1463 年にかけて、
トリオンフィ カードに関する約 30 件の記載がエステ家の会計簿に見つかっています。

レオネッロは美術・芸術に造詣が深かったと言われていますので、トリオンフィの製作もさせていたことが想像できます。

ミラノとの繋がり

また、これらの記述に先立って1441年1月1日キリストの割礼の祝日のために、画家のサグラモロがミラノのビアンカ・マリーア・ヴィスコンティに14枚のトリオンフィを送った逸話がエステ家に伝わっています。

この当時ビアンカはフェラーラに滞在しており、政治的思惑からレオネッロとの婚約が計画されていた…という話もあります。
レオネッロからビアンカにこのトリオンフィがプレゼントされたのかもしれませんね。

(原文)
...a Magistro Iacopo de Sagramoro depintore per XIIII figure depinte in carta de bambaxo
et mandate a Madama Bianca da Milano
per fare festa la scira de la Circumcisione de l'anno presente .

(英訳)
... to Master Jacopo of Sagramoro painter for XIIII figures painted on cotton paper
and sent to Madam Bianca of Milan
to celebrate the evening of the Circumcision of this year

(和訳)
この年の割礼の夜を祝うために、サグラモロの画家ヤコポが
綿紙に14の人物像を描きミラノのビアンカ夫人に送った

ところが、1441年の10月にビアンカはかねてより婚約していたフランチェスコ・スフォルツァと結婚をしており、ヴィスコンティ家のタロットデッキの1つもその時の記念に作られたのでは?という説があります。

他にミラノでは、フランチェスコ・スフォルツァとビアンカ・マリア・ヴィスコンティの書簡にトリオンフィについての記載が1450年と1452年に見られます。

エステ家のタロットの成立

いつ誰が作らせたのか?

このようにエステ家ではタロットを絵師に製作させて来た証拠が残りますが、
では「シャルル6世のタロット」と呼ばれた「エステンシタロット」はいつ頃作られたものなのでしょうか?

1469~1471年にボルゾ・デ・エステ公爵のために作成されたものだという学説が有力なようです。

ボルゾは先代のレオネッロの弟です。
彼の宮廷はフェラーラ派の絵画の中心地でした。
スキファノイア宮殿のフレスコ画やボルソ・デステ聖書と呼ばれる美しい彩色の写本が特に有名です。
ただ、アーティストたちへの報酬は渋かったという逸話も残されています。

ボルゾ・デステ(ボルゾ・デ・エステ公爵)とは?

ボルゾの治世は1450年~71年です。

トリオンフィは当時、家族の慶事の記念品として作られることが多かったようです。
エステ家でトリオンフィを作るようなお祝い事としては以下のことが挙げられます。

1452年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世によって、モデナ・レッジョ公及びロヴィーゴ・コマッキオ伯に任命。
1471年4月12日には、教皇パウルス2世によってフェラーラ公に任命。

ですがフェラーラ公になったその年の夏にボルゾはマラリアで亡くなっています。

ボルゾ・デステ聖書の成立が1455~1461年、ステファノ宮殿のフレスコ画が描かれたのが1469~1470年です。
その間に作られたのではないでしょうか?

ボルゾは多分、1471年4月以前に自らがフェラーラ公になることは知らされていたと思いますので、
その祝祭に合わせて作らせていたのではないかと私は考えます。

ステファノ宮殿のフレスコ画もボルゾのフェラーラ公任命のお祝いのために描かれたと言われているからです。

誰が描いたのか?

エステ家のタロットは誰が描いたのかはわかっていません。
大事な祝祭のためのトリオンフィであることを考えると、宮廷のお抱え絵師に作らせたことが想像できます。

先程登場したトリオンフィ画家のサクラモロは1459年には亡くなったとみられており、ゲラルド ダンドレア ダ ヴィチェンツァという画家がその仕事を引き継いだようですが、詳細は不明です。

当時のエステ家の宮廷画家としては、コスメ・トゥーラ(イル・コスメまたはコジモ・トゥーラとも)がいますが、当時はステファノ宮殿のフレスコ画に従事していましたので
タロットの製作が同時期であれば、同時に二つの仕事をこなしたとは考えにくいです。

高名なボルゾデステ聖書はその彩色の美しさが傑出しています。
トリオンフィの製作ではその手法が共通していそうです。
聖書を描いたとされる画家としてはタッデーオ・クリヴェッリやフランコ・デイ・ルッシ、グリエルモ・ジラルディ、ジョルジョ・ダレマーニャ、若きジローラモ・ダ・クレモナ等が名をつられます。
この後世にも名を遺すこのような画家たちによってこのトリオンフィが描かれたかは不明です。
ですが、この聖書に関わった画家やその弟子がトリオンフィ製作に関わっていないと考える方が不自然ではないでしょうか?

どこで作られたのか?

このタロットが収蔵されているパリの国立図書館の説明では「フェラーラ、もしくはボローニャで製作された」とされています。

1473年までに、クリヴェッリはボローニャでサン・プロコロ修道院での仕事に取り組んでいたと伝わります。
また、スキファノイア宮殿のフレスコ画を描いたフランチェスコ・デル・コッサはボルゾと報酬面でもめ、フェラーラを去ってボローニャに工房を構えたそうです。
ボローニャとフェラーラのこのような繋がりを考えますと、確かにこの識別は難しそうですね。

また先述したように、ベネデッティ氏はフィレンチェまたはフェラーラで作られたと考察しています。

なぜシャルル6世のタロットと誤認されたのか?

シャルル6世のタロットと誤認された経緯としては、
1698年に歴史家で印章・図面・彫刻の収集家のロジェ・ド・ガニエール(1642~1715年)の家でこのデッキを確認した英国の医師が誤解しことがきっかけだと、フランス国立図書館のHPに記載があります。

個人的にひっかかるのは「英国人医師」です。
サイトはフランス語なのですが「médecin」とあります。
英語で「doctor」です。
英語では大学教授(博士)も「doctor」ですよね。
後世、ロジェ・ド・ガニエールのコレクションの一部はイギリスのオックスフォード大学にも寄贈(または買上げ?)されています。
このことを鑑みると…医者ではなく研究者だったのではないかと思うのです。

もしくは「メディスン」という発音から…魔術師だったのかも?という妄想も出来てしまいますが。
(medicineには薬の他に魔法という意味もあります。)

お互いにカタコトだったり、通訳さんが間違えたら起こりそうなことかと思われます。
(例;スキヤキ(歌)やカンガルー(現地語でわからない)など。)

その他に、フランスの歴史家でトランプコレクターでもあるコンスタント・レベール(ジャン・ミッシェル・コンスタン・レベル (1780 - 1859)Constant Leber)がこのトリオンフィを「シャルル6世のタロットだ」と紹介した説もありますが、私の調べによると証拠とは出会えませんでした。

もう一つのエステ家のタロット

現存するもう1組のトリオンフィ

実は「エステ家のタロット」と呼ばれるトリオンフィはもう1デッキ現存しているのです。
こちらは16枚が確認されていて、現在はイェール大学に収蔵されています。

いつ作られたのか?

このデッキのソードのクィーンとワンドのクイーン、ワンドのナイトにはエステ家の紋章が、
ソードのキングとワンドのナイトにはアラゴン家の紋章が描かれています。

このことから1473年、ボルゾの跡を継いだ弟のエルコレ1世が、エレオノーラ・オブ・アラゴンとの結婚式を記念して作られたか、あるいは結婚後に記念日を祝うために夫婦に贈られたものだと推察されています。

誰が描いたのか?

このふたつのトリオンフィの画風を比べてみますと驚くほど違います。
トリオンフィの絵柄にはオーダー主の趣向や好みが大いに影響していると思いますので、明らかにこの2つのデッキは異なる人物によってオーダーされ、異なる画家が描いたことが推察出来ます。

保存状態の違いを鑑みても、ボルゾ版の方が色鮮やかで、エルコレ1世版の方が繊細で少し写実的に見えます。

絵柄も大きく異なる表現のものがあります。
特に月。
どちらもコンパスを手に、月を中心とした天体観測をしている天文学者のような占星術師のような絵柄ですが、ボルゾのタロットには男女と思しき二人が、エルコレ1世の方には隠者のような老人が描かれています。
これだけを見てしまうと逆に、ボルゾ版にエルコレ1世とエレオノーラが、エルコレ1世版にはボルゾが描かれていて、天体から世の流れを読み解こうとしているかのようにも見えてしまいます。

こちらのトリオンフィも残念ながら作者は判明していません。

まとめ

以上、エステ家のタロットについてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
まだまだ深堀が出来るテーマですが、どんなに掘っても作者は判明しそうにないところが悔しいですね。

2つのエステ家のカードの絵柄が御覧になりたい方は、それぞれの収蔵場所のリンクを貼っておきますので、ご自身の目で違いを考察してみてください。

また「ここは違う」「このような考え方もある」「こういうエビデンスがありますよ」という方はコメントを下さると嬉しいです。

🃏フランス国立博物館のエステ家のタロット🃏 https://catalogue.bnf.fr/rechercher.d...

🃏イェール大学のエステ家のタロット🃏
https://collections.library.yale.edu/...

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