閉店から早1ヶ月

2月に閉店のお知らせを書きかけて、また下書きに置いたままでした😓
これも下書きに埋もれそうだと思いながら書き始めています。

閉店前は本当にたくさんの方々の暖かさに感謝の日々でした。
この場を借りて本当にありがとうございました。

「怒涛の」という言葉、マイペースな自分には無縁かと思っていましたが、閉店作業はまさに怒涛の日々でした。
3/20閉店から3月末の鍵の引渡し、そして山となった荷物の片付け(実は片付けは終わっていませんが)
人生イチ気持ちも体もいっぱいいっぱいの時を過ごしました。

実家だった文光堂ビルは、1階が文具店、2階は喫茶店だったスペースと、週2回私がやっているフランチャイズの学習教室、3階が両親が住む自宅(中学から結婚するまで暮らした実家でもあります)でした。
そのどこを取ってもモノと思い出に溢れた場所で、そこを一気に片付けて離れるということは、覚悟していたものの、思ったよりもハードでした。

1階の文具店で絵本日和の本棚は間借りして本を置いていました。
棚を借りて本を置き始めてからの3年はとても楽しく充実していて、ここはこれからに繋がっていく思い出となってくれることと思います。

そして片付けの中でバックヤードから出てきたたくさんのレコード
思い返すと文光堂は開店当初はレコードも売っていて、中学生だった私は休みの日だけアルバイトしてレコードを買うのが楽しみでした。
当時店では、シングル売上BEST10を飾る場所があり、中森明菜や松田聖子のシングルジャケットは今も覚えていますし、洋楽の新譜のカセットテープを作って店内で流していて、デヴィッド・ボウイのチャイナガールやABCのルックオブラブ、ポリスのシンクロニシティなどの曲と共に、シルバーグレーのレコード専用のショップバッグと、当時の店の雰囲気やアルバイトのお兄さんお姉さん達が記憶の片隅から思い出されました。
アルバイトも何人かいて、その中で後で結婚した人達もいるという話も聞いたので、どうされているかなと思ったり。

文具も時代を経てきたものも多く、内田洋行の製図用品や漫画のスクリーントーン、昆虫採集セットまで出てきました。
また、年賀状を版画で作るための版木やゴム板、鉛筆を削る肥後の守やミッキーナイフ(ボンナイフ)、プラ板など、ワークショップで使えそうだと思うものは選り分けて取ってあります。

2階の学習教室は、コロナ以降人数が増えず、卒業などで見送るばかりで、通ってくれるお子さんは半分ほどに減ってしまいましたが場所を変えて細々継続することができています。
そして2階には以前喫茶店をやっていたスペースがあり、今回思い知らされたのは自分にとって、この喫茶店(MEMORYという店でした)はとても大切な店だったということでした。
MEMORYについては、店の名前通り思い出があり過ぎてまとまらなくなってしまうので別の機会に書けたらと思います。

喫茶店の物を整理するうちに、またやりたいなという気持ちも湧いてきました。
ただ、MEMORYの空間はもう蘇ることはないということはわかっていて、本の場所に喫茶コーナーのような形ができたら良いなというイメージです。
折しも昭和喫茶ブームで、せっかくのテーブルや椅子、食器類は残っているし、メニューもコンパクトにして展開すれば可能なので。
そして、私がやっても良いけれど他の人がやってくれてもそれはそれで良いと思っています。
今は本の場所を第一に考えていて、そこに喫茶店があれば場としても良いと思うということと、MEMORYで使われていたものがまた身近で活かされれば嬉しいということ、本(特に新本は)は利益が出しにくいのでということもあります。
そこで文光堂で取り置いていたレコードを流したり、懐かしの文具を使った様々なワークショップや鉛筆の活版名入れ体験などもできたらいいなと過去から未来へ繋がる妄想を膨らませています。

妄想で終わらない為に、できることをしていきたいと思っています。
どうぞこれからも宜しくお願いいたします。

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