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日本の特許第一号って?

1867年(慶応3)、福沢諭吉が自著『海外事情外編』にて欧米の特許制度を日本に初めて紹介し、その後1883年(明治16)には特許権などの国際的保護に関するパリ条約が締結されました。これらを受け、日本では、開国以来の懸念であった不平等条約改正問題を解決し、国際的地位を向上させるためにも特許法を制定すべきという声が高まり、1885年(明治18)4月18日に『専売特許条例』が公布されます。
当時、彫刻家・漆工芸家として世に知られた堀田瑞松は、そのころたまたま政府要人の間で語られていたある話に研究心を刺激されます。それは、「世界の鉄製船舶が海水によって船底を浸食されるため、6ヶ月ごとに入渠して塗装しなおさなければならない。もし、もっと強力な防錆塗料が開発されて入渠周期を延長できれば、わが国はもとより世界の大きな利益となろう」というものでした。さっそく瑞松は漆を主成分とする船底塗料の研究に着手し、横須賀造船所の周辺海域で実験を繰り返し、海軍の船で実船テストを行い成功を収めます。
テストの結果に自信を得た瑞松は、1885年(明治18)7月1日に農商務省工務局の専売特許所(今の特許庁・当時の所長は高橋是清)へ出願し、同年8月14日付で特許を取得しました。

日本化工塗料株式会社サイトより引用

錆び止めの特許が日本第一号なんですねぇ。

しかも特許制度は現代の物かと思っていたら予想以上に古い(;゚Д゚)
こうやって様々な発明が繰り返され、発展していったと思うとなかなか興味深い。

いまだに盗作や模倣品とかがよくあるのに、特許の重要さにいち早く気づいた福沢諭吉はすごいなぁ。
どれだけキャッシュレス化が進もうと、私は福沢諭吉が大好きです。

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