Cage. #13【裏返り】

将棋会館屋上。
雨。
ドアを開ける音がして菊田が駆け込んでくる。
あたりを見回して身を潜めるところを探し、周壁から下を覗き込んで喉を鳴らす。
上山が追いつく。

上山「ハァハァ……菊田ぁ!」

菊田「ひっ!」

上山「ハァハァ、将棋指しなんてインドアもやしっ子かと思ってたが、ハァハァ、意外と体力あるじゃねえか」

菊田「来るな!」

上山「なぜ逃げる?」

菊田「なんなんだあの女!?」

上山「は? 女がどうしたって?」

上山、近寄ろうと足を踏み出す。

菊田「来るな! 飛び降りるぞ!」

上山「わかった落ち着け! とにかく中へ戻ろうや、今日は傘置いてきちまったんだよ」

菊田、首を振る。

上山「チッ……。あの女は何だ、知り合いか?」

菊田「あんなヤツ知らない!」

上山「そうか、もうあいつは近寄らせないから安心しろ」

立花が飛び込んでくる。

立花「ハァ、ハァ……」

上山「おい、何だあんた?」

立花、上山を見て指を差す。

立花「警察?」

上山「そうだ。何か用か? 今取り込み中だからあとにしてくれ」

立花、菊田を指差す。

菊田「ヒィッ!」

立花「菊田!」

上山「よせ、刺激するな。おい!?」

上山、立花を遮るが振り払われる。
立花、菊田に駆け寄って殴り飛ばし、フロントチョークで首を締めながら引き起こす。
上山、立花の腕をつかんでやめさせようとするが、すごい力で動かない。

上山「やめろ!」

立花「お前が右筒を……お前のせいでキッカが!」

上山「キッカ? 相澤のことか? おい、何を言ってる!」

菊田「ぐッ……! たす! け……」

上山「くそっ! おい、離せ! 逮捕されたいのか?」

上山、拳銃を抜いて構える。
立花、菊田の背後に回ってバックチョークに移行。

立花「警察には連れて行かせない」

上山「わかった、連れて行かないからとにかく手を離せ!」

立花、バックチョークを解き、腕を下からねじり上げて菊田の動きを封じる。

立花「ぬしさまが戻るまでは生かしておいてやる」

上山「あんた誰なんだ? そいつが、菊田が何をしたって?」

立花「お前には関係ない」

上山「ある! 俺は刑事だ。犯罪者を捕らえ、その証拠をかき集めるのが仕事だ。そいつが何か罪を犯したというのなら、きちんと調べ上げて——」

立花「お前たちの法律じゃこいつの罪は裁けないんだよ!」

上山「……どういう意味だよ?」

橘香「邪魔しないでって言ったよね?」

屋上入り口から、すっと現れる橘香。

立花「キッカ!」

上山「相澤?」

橘香、上山には一瞥もくれず、立花に抑えられた菊田の前に進む。

菊田「くっ! 来るな!」

橘香、菊田の眼を覗き込む。
顔を背ける菊田。
橘香、両手で菊田の顔を挟んで乱暴に自分の方へ向ける。

立花「キッカ! 潰すな!」

橘香「……八百長? バカな事を……。それが封印? ……これは何? 誰かに意識を乗っとられた……え? お父さんどうして——」

菊田「ひぃ!」

立花「よせ、キッカ!」 

立花、体をひねって菊田を橘香から引き離す。

橘香「ふう……。左丸、あんたの片割れの右筒は、封印を解いたその男に取り憑いてお父さんをここに呼び出した。あの日の夜中、間宮溢の件で話したいことがあると言って」

立花「鶴の?」

橘香「そう、あの女の姑息な手口で、周りでは愛人関係だと噂になってた。お父さん、電話で断ればいいものを、どこまでお人好しなのか、ここに出て来てしまった。待ち伏せていたそいつ……、その男の中にいた右筒は延々と恨み言を吐き続けた末にお父さんに乗り移った」

立花「何だって!?」

橘香「解放されたその男は、お父さんがそこから飛び降りるのを見て恐怖のあまり逃げ出した。転げるように階段を駆け下りて外に出ると、ちょうど駐車場の真ん中で、警備員がお父さんから離れてフラフラと歩いていくところだった。そしてその男は警備員と逆方向へ走って、新宿の飲み屋街まで逃げた」

立花「やっぱり自殺じゃなかっ——」

橘香「そうよ! 殺されたのよ!」

菊田「違う! 俺じゃない! 俺のせいじゃ——」

橘香「逃げたじゃない! あの時まだお父さん生きてた! アンタ目が合ったのに、あの時救急車呼べば助かったかも知れないのに……。殺したのよアンタが!」

菊田「うわあああーーー!」

上山「菊田!」

茫然とする立花の手を振り払って外壁に駆け寄り、飛び降りようとする菊田。上山がすんでのところで止める。

菊田「ああああ……」

上山「菊田しっかりしろ! 菊田! ……相澤ぁ! お前一体何した!」

橘香、答えずに屋上入り口を振り返る。

橘香「いい加減出て来たら」

岡嶋、ビニール傘をさしてゆっくり現れる。

岡嶋「相澤さん! 何でこんなとこにいるんですか?」

岡嶋、相澤の隣に行き、傘に入れる。

上山「大輔!」

岡嶋「探しましたよ上山さん。あ! やっぱりホシは菊田で決まりですか? 何だ捕物終わっちゃったのかー、俺も参加したかったのに」

上山「呑気なこと言ってんじゃねえよバカ!」

岡嶋「バカって……。ねえ相澤さんコレ酷くないですか? 俺結構がんばってますよねぇ?」

橘香、岡嶋の持つ傘を何気なく取り、岡嶋の眼を視る。

橘香「いつから?」

岡嶋「え?」

橘香「本官って言わなくなった」

岡嶋「あ、ああ何かカタいって言われちゃって」

橘香「しっぽ出てるよ」

岡嶋「えっ!」

慌てて後ろを見て手で尻を触る岡嶋。

橘香「ごめん、今だった。しっぽ出したの」

岡嶋の雰囲気が、じわりと妖しく変わる。

岡嶋「……やるねえ。左丸でも気づかないくらいの擬装だったのに」

立花「お前!?」

橘香「それだけ無理やり力を押さえ込んでれば、不自然だって気づく」

岡嶋「へえ、半分とはいえ、強く受け継いだみたいだな。香澄の血を」

上山「おい大輔、どうなってんだコラァ!」

岡嶋「上山さんありがとうございました。ゴールデン街に行かせてくれたおかげでヒットポイント全快ですよ」

上山「どういう事だよ? わかるように説明しろ!」

岡嶋「説明? やだな、ちゃんと頭では情報整理できてるんでしょう? 偏屈とはいえ優秀なキャリア組の刑事さんだ。でも変に常識持ってるからどうしても受け入れることが出来ない。あの署長くらいぶっ飛んでりゃすんなり理解もできたろうに」

上山「どういう意味だ!」

岡嶋「この一連の事件を起こしたのは人間じゃない。バケモノの仕業ですよ」

上山「何、だと?」

岡嶋「本人たちは妖怪と言ってますが、まあそんな事はどっちでもいい。とにかくあなたの領分じゃないんですよ」

里見「その通り!」

屋上入り口から里見が現れる。
松原、その後から出トチりのように現れる。

里見「ここは我々の領分だ! ……って!」 

松原、現れた勢いのまま里見の頭を叩く。

里見「何しやがるマツバラ! せっかくの見せ場を……『ここは我々の領分だ!』って断定でカッコよくキメるとこなのにお前、『領分だって!』って伝聞形じゃねえか。又聞きかよ!」

松原「黙れサトミ! バカかお前、応援来るまで待てっつったろ?」

里見「バカはお前だ。見ろ! 絶好のタイミングじゃねえか! ……あれ?」

呆気に取られて誰一人リアクションできない謎の空気。
上山、我に返って首を振る。

上山「誰だお前ら!」

里見「おう! 流れが戻ったぞ。わかってるヤツがいたな」

松原「あ、警察の方? 今、万歳橋署にうちの代表が出向いて、署長さんと話してると思いますが、ここは一つ我々にお任せ下さい」

上山「だから誰なんだ!」

松原、懐から名刺を取り出して上山に渡す。

上山「……UTF?」

松原「妖怪犯罪対策チームです」

里見「アンネクスペクス、テック……妖怪犯罪対策チームだ!」

松原「覚えてねーなら言うなよ!」

里見「うるせえ! 昨日風呂で練習した時は言えたんだ!」

橘香「しゃがんで!」

里見「なに? うわっ!」

隙を見せた里見の頭部めがけて飛び掛り、貫手を突き上げる岡嶋、振り返ると同時にしゃがむ里見。

里見「あいかわらずこすっ辛いヤツだなキツネ野郎」

岡嶋「いつからそんな警察ごっこを始めたんだ?」

里見「ちょうどお前が封印されたあとにな!」

岡嶋「似合いすぎて笑っちゃうよ。このイヌっころが!」

橘香「下!」

岡嶋の左アッパーをスウェー気味にかわす里見。

里見「いいねあんた! 丹下段平みたいだ」

橘香「誰?」

里見「え? 知らない? あしたの——」

橘香「上!」

岡嶋の右フックをダッキングでかわす里見。

里見「こりゃいい。ようし! ノーガード戦法だ。オラオラ打って来いよ!」

里見、両手を下げて顔を出し、プレッシャーをかけて岡嶋を退がらせる。(二人袖奥へハケ)
橘香、袖奥に向かってアドバイスする。

橘香「上! 右! 下! 左! 右2回! ※適当に」

拳が空を切る音が聞こえる。

立花「すごい……。あれ?」

少しづつヒットする音が混じり始める。

橘香「右! 左! 右! 右! 上! 上! 下! 下! 左! 右! 左! 右! B! A!」

松原「ちょ! 待て! ストップストップ! 1ラウンド終了!」

松原、叫びながら止めに行く。
里見、顔を抑えながら出て来て橘香の前に。

里見「あのさ、体の向きが入れ替わったとき左右がこう逆になるよね。あれうまいこと逆に言えたりしない? あと最後の方なんか変なの混じってなかった?」

岡嶋と松原、手四つに組んで力比べ。
松原がじわじわ押され、退がりながら出てくる。

里見「マツバラ何やってんだ! 河童が相撲で負けんな!」

松原「うるさい! 俺が得意なのは右四つなんだよ!」

里見、松原の背中を自分の背中で支えて足を突っ張るが、それでも止まらない。

松原「くそっ! どこからこんな力が?」

岡嶋「さっきゴールデン街に行ったついでにドーピングをしてきたんでね」

里見「ゴールデン街? まだ飲み屋開いてないだろ?」

松原「違う! あの隣にあるのは……」

里見「新宿有数のパワースポット!」

松原・里見「花園神社――――――!」

さらに力を増す岡嶋。

立花「右筒! もうやめろ!」

岡嶋「やめる? 何を?」

立花「復讐したいなら俺だけにしろ! あの時お前が堕ちるのを止めなかった俺に!」

動きを止める岡嶋。

岡嶋「復讐……そんなものどうだっていい。今の俺は野に堕ちた「野狐(やこ)」。遍く世の中に害悪を撒き散らす事のみが存在の証明」

橘香「嘘」

岡嶋「なに?」

橘香「あなたの中ではまだ、深い哀しみと後悔が渦巻いてる」

岡嶋「そんなものは無い! あるのはただ憎しみだけだ!」

橘香「あなたは復讐しようとして出来なかったんだ、お父さんに!」

松原「おいやめろ! そのやり方はそいつには、ぐあっ!」

岡嶋、手に力を込め、松原の話を邪魔する。

岡嶋「相澤は俺が取り憑いて殺した」

橘香「違う。お父さんはあんたに支配されるのを拒んだ。取り憑かれてなお、自分の意志で体を動かし、そこから飛び降りた。運の悪い警備員がやってこなければあんたも消滅してたはず。あんたはお父さんに負けたんだ!」

里見「それ以上煽るな! そいつの思うツボだぞ!」

橘香「え?」

松原「ダメだ! 裏返る!」

岡嶋「おおおーーーーーーーーー!」

岡嶋の体から溢れ出した闇が急速に広がる。
橘香、闇に包まれて意識を失う。

暗転

§

Cage. #14 【闇の果て】へ続く

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