多様性は認め合うことから始めよう

自然はもともとすべての生命にとって平等であった。

たとえば、サバンナでは多種多様な生き物たちが同じ場所で共生している。
たとえば、赤平の山奥では多種多様な野鳥たちが共生している。

種族が違うからと言って無益な争いはしない。
ちょっとした喧嘩や小競り合いはあるかもしれないが、
相手の存在を弾圧したり排除しようとはしない。

すべての生命がともに暮らしていくのが大自然。
そこに上下関係があるとすれば弱肉強食の理のみ。
種を繋げるための食べるためにのみに殺生を行う。

食事以外の目的で積極的にいのちを狩るのは自然的はない。


人間はその社会性を構築するにあたって、
多くの部族と戦い、吸収し、規模や文化を向上させてきた。
そのために仮想敵をつくってしまう。

村社会などは、自己コミュニティを守るために
異物を排除するようになってしまった。
異物は従来のコミュニティを破壊するリスクがあるからだ。
それは良いことかもしれないが、悪いことかもしれない。

しかし、変化がない社会や文化はいずれ廃れてしまう。
あらたな血を受け入れなければならない。
伝統であれ、どこかで時代にあった変化を求められる。
変化がないものはいずれ失くなってしまう。


古来日本では、外来文化を認め合い、吸収し、発展を遂げてきた。
(仏教文化・大陸文化・秦氏・高麗人・西欧列強)

八百万の神に代表するように多様性がもともと認められやすい
素質を持っている民族だと思う。

世界各地の先住民族などと同じように
自然に対して畏敬の念を持って接してきた。
すべてのものには魂があり、見守ってくださるという気持ち。
物や道具に名前をつけるのもそういった民族性から来ている。

また、ロボットやアンドロイド、AIにも心があるという考えも
受け入れやすい。IT業界はもともと多様性との親和性が高い。

古都では多くの商人たちが出入りし、珍品名品、
大道芸、多種多様な人種や職種が入り乱れていたが、
民はそれらを受け入れて、ともに暮らし楽しむことができた。


人間社会が文化的に向上するためには、多様性を認め合うことが重要
価値観を押し付け合うのではなく、それぞれの生き方や有り様を認識し、
相手を批判するのではなく、そういう考えもあるのか〜程度で受け入れる。
または、赦し合う。

自分の考えを主張するのは大切かもしれない。
しかし、まわりを巻き込んで同じ主張を求めることは少し違う。
相手がそもそも持っている考えを尊重していかなければならない。


いずれ大自然と同じように振る舞える日が来る


ポイント
・多様性は大切
・差別は防衛本能
・認め合うことが大事
・赦し合おう
・批判や誹謗中傷はやめよう
・弾圧や排除はやめよう
・多様性のない文化はいずれ廃れる