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チエちゃんマインド

「じゃりんこチエ」を読んだことがあるだろうか。私と同世代なら、聞いたことはあるが読んだことはないといった方が大半であろう。私も半年ほど前はそうであった。

先輩から「チエちゃんに似ている」と言われた(顔なのか性格なのか、雰囲気なのかは定かではない)ことをきっかけに、YouTubeでアニメを視聴した。YouTubeでは3話ほどしか視聴できないが、直感的にどうしてもこの作品のすべてを見てみたいという思いに駆られた。そして漫画を購入したことのない私であったが、「じゃりんこチエ」の2期であるチエちゃん奮戦記を全巻購入することとなる。

結論から言うと「じゃりんこチエ」の主人公であるチエちゃんは、現代を生き抜くために必要なことを心得ているように感じる。私は、初めて読んだ際にそう感じ、現在ではそれを確信している。そして私はそれを「チエちゃんマインド」と称し、自身のメンタルケアに用いている。

まず「じゃりんこチエ」という作品について軽く紹介する。

大阪市頓馬区西萩を舞台に、仕事をしない父・テツに代わり、自分でホルモン焼き屋を切り盛りする元気な女の子・チエと、彼女を取り巻く個性豊かな人々の生活を描いている。

Wikipedia

上記の通り、どうしようもない父親と超しっかり者の娘の生活をコメディ的に描いた作品である。

主な登場人物として
主人公 チエちゃん
父親  テツ
母親  ヨシえ
祖父  おじぃ
祖母  菊
猫   小鉄

他にも、マサル、ヒラメちゃん、百合根さん、ミツル、花井親子、カルメラ兄弟、コケザル、猫のアントニオ、アントニオJr
などがいる。


チエちゃんは、現実をあるがまま受け取る力に長けており、大人の罪悪感さえも利用できる強さを持っている。また、諦めるということを容易に行うことができる。 
それでいて卑屈な感情を持たないし、いわゆるグレるということもしない。(それはチエちゃんが小学生であるためかも知れないがチエちゃんの特性を考慮するに、この先もグレたりしないと考える。)

ここでは、チエちゃん奮戦記の中でそれらが見て取れるチエちゃんの発言についていくつか記す。


①あるがまま受け取る

この場面では、イヤな状況になったと感じた際のチエちゃんの思考が見て取れる。この場面に至るまでにチエちゃんは、少し思い悩むが、自ら体験を振り返り、事実のみを認識し直している。そのことにより、感情をより単純で、消化しやすいものに変化させている。ここでは、様々なことを考えた末、最終的には「怒り」としてその感情を自らの仕事に活かす形で消化している。

これは、コケザルが吸っていたタバコをチエちゃんが取り上げて手に持っていた際に、たまたまミツル(警察官)が登場した場面である。チエちゃんの発言通り、運が悪かったと言える。しかし本来それだけを受け取るということは難しい。例えばこの場面に私を置き換えると「なぜ私がタバコをもった瞬間にミツルが来たのか」「良い行いとしてやったことがどうして私を貶めるような結果になるのか」「私は運が悪くなるような生き方をしてるのだ」など事実から想像し、その想像で色付けた状況を認識してしまうだろう。また時には「私はよい行いをしたに違いない」「私は正しくて、間違っているのは周囲である」といった自分のみを強く肯定するような想像をしてしまうだろう。


②諦めの天才、期待ゼロベース

これは、祖父がテツに対して、変わるかも知れないと期待していることに対してチエちゃんが呟いた場面である。人間誰しも、周囲の人間や、社会に対して、時には自分自身に対しても「こうあってほしい」「こうあるべき」といった期待を持っている。しかしその期待を持つことは、期待を裏切られ、絶望する未来も同時に持つこととなる。もちろん期待通りに運ぶことも少なからずあるかもしれないが、裏切られることの方が圧倒的に多いと感じる。チエちゃんは、テツや周囲の人間、また自分自身に一切の期待を持たない。

これは百合根さん(元ヤクザ、バツイチ子持ち、現お好み焼き屋のおじさん)がチエちゃんに相談する場面である。「マジメになってシアワセになれるのはまあまあの不幸の場合」というのは、努力をすれば報われる環境がある場合の努力はした方がよいが百合根さんも、チエちゃん自身も、そのような環境にはいないということを言っていると私は考えている。また、そのような環境にいることを察知し、早々に諦めていることが見て取れる発言であると感じる。チエちゃんの言う「まあまあな不幸」の環境下にいる現代人は少ないのではないだろうか。


③罪悪感を利用できる強さ

これは、あるがままを受け取る能力からくる強さである。チエちゃんは、小学生でありながらホルモン焼き屋を毎日営業している。そしてその事実が、世間的には不幸であることも認識し、また父のテツがだらしないことや、そのような状況を作った罪悪感を祖父母が持っているということも認識している。感情を踏まえて認識しているのではなく、事実として認識している。それゆえ、その罪悪感を利用し物事がうまく運ぶ言動をする。例えば感情を付け加えて認識していたとすれば、私は不幸である、悲しいというところから始まり、祖父母に罪悪感を感じさせまいと動くか、もしくは心の底から恨むであろう。

そしてこの罪悪感の利用は、頻度こそ少ないが、テツ自身に行う場面も見られる。テツは、罪悪感が薄いため祖父母よりも効果は薄いが、額の汗を見る限り効果ゼロではない。


①②③からくる、底なしの明るさ

例えば自分がチエちゃんの状況だったら、卑屈になり、とうとうグレ始めるだろう。しかしチエちゃんはそうではない。
底なしに明るいのだ。はじめてチエちゃんを読んだ際にはなぜ笑っているのか不思議であったが、何か能力や方法があるのだと感じた。「じゃりんこチエ」を読んで私はその能力や方法を知ることができた。そして私もチエちゃんのような底なしの明るさで生きることができればと日常生活に取り入れている。
その効果は実に絶大で、特に②の諦め、期待ゼロベースという考え方を使うことで耐えられない苦しさや悲しみを感じることが減った。
これが「チエちゃんマインド」である。


最後に「じゃりんこチエ」という作品の魅力について述べる。先述したのはチエちゃんの魅力であるが、この作品自体とてもよくできたものなので紹介したい。
「じゃりんこチエ」には、度々ねこが登場する。そのねこの発言を見ていただきたい。

卑屈
罪の意識
関係①
関係②
正直
原罪
哲学
ヤケクソ

「じゃりんこチエ」において、人間たちを描いた場面では、こういったシリアスな雰囲気は絶対に用いられない。正確に言うと、そう考えることもできるという想像の余地を残した表現しかされない。しかし、ねこたちが話す場面では、このような直球な言葉で様々なことが描かれる。例えばこのような会話を人間がするような漫画であれば、これほど有名にならなかったのではないかと私は考えている。なぜなら、かなり悲惨で、深刻な物語になるからである。ねこたちの言葉で言わせるということに作者の優しさというか、ウマさを感じる。また、深刻になっても仕方がないのだからというメッセージも作品全体を通して感じることができる。
そのメッセージを、物語自体が深刻にならないよう、コメディ的に描いたことも素晴らしいと言わざるを得ない。そして深刻になっても仕方ないというメッセージをより強化する材料となっている。


随分長くなってしまった。この文章を書くことにより、チエちゃん、そして「じゃりんこチエ」の魅力を再確認することができた。感謝する。

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