カブトムシ・クロニクル
第1章 親から子へのペイ・フォワード
カブトムシを飼っている。
いや、正確には飼っていた。
先日、夏の終わりと共に(まだ暑いが)、最後の1匹が天に召されてしまったのだ。
カブトムシを飼い始めたのは、去年の夏から。
きっかけは、小学生の長女の「カブトムシを飼ってみたい」というおねだりだった。
死にかけて地面にひっくり返りながら、ブルルンッと羽を震わせているセミの横を通るだけでギャーギャー騒ぐ娘なのに、果たして昆虫を飼育できるのか?という疑問は正直あった。
しかし、子供のチャレンジ・スピリットを無下に摘み取ることもしたくない。
それに、僕も子供の頃はカブトムシを飼っていたことがある。
あれも親が与えてくれたものだ。
ならば、今度は自分の子供に返そう。
虫全般を触るのが嫌な奥さんは微妙な表情をしていたが、この際無視することにした。
とはいえ、何をそろえたらいいのか、どうやって育てるのか、ほとんど忘れていたため、まずは飼育本やネットで勉強することから始めた。
(実際に購入した参考図書)
第2章 スイカと落ち葉の価値逆転
改めて勉強すると、知らない情報がたくさんあった。
たとえば、飼育箱に入れる土は、公園にあるようなただの土か園芸用の土でいいと思っていたが、カブトムシが潜って眠れるように、クヌギやコナラなどの落ち葉や朽ち木を腐らせたふかふかの腐葉土が必要らしい。
メスはその中に卵を産み付け、ふ化した幼虫は腐葉土を食べて成長する。
それは昆虫マットという名前で売っているらしい。
そういえば、近くの100円ショップで見たことがある気がする。
ほかにも、エサは基本的にゼリー1択。なければバナナやリンゴでもいいらしいが、スイカはダメ。
水分が多すぎてお腹を壊すらしい。
……なんやて? 腹壊す……!?
子供時代に飼っていた時は、エサと言えばカブトムシ用の蜜だったが、たまにごちそうでスイカを与えていた。
ごちそうを与えていたつもりが、真逆のことをしていた。
悪気はなかったとはいえ、今さら申し訳ない気持ちがこみ上げた。
そんなことを思いながら、本を参考にAmazonで飼育箱と昆虫マット、ダイソーで落ち葉、朽ち木、エサ台、ゼリーなどを買いそろえた。
朽ち木はともかく、落ち葉までダイソーで売っていたのは衝撃だった。
封を開くと本当に落ち葉しか入っていなかった。(当たり前か)
本来なら燃えるゴミ扱いで売れるはずがないものが、「カブトムシの飼育用」と付ければ売れる。
商売とはこういうものだ、という真髄を教えられた気がした。
第3章 何でも買えるネットショッピング
話を戻すと、これで飼育する環境は整った。
あとはカブトムシ本体を迎えるだけである。
……どうやって?
手に入れる方法は、おそらく買うか捕まえるかの2通りだ。
しかし、僕が住んでいるのは東京・江戸川区。
カブトムシを捕まえられる自然はあるのか。
(後に探すと結構あったが、やっぱり遠かった)
あっても、カブトムシは夜行性だというのは飼育本に書いてあった。
夜中に遠出して探しに行くのもしんどいし、収穫ゼロだったらもっとしんどい。
そうなると、買うしかないのだが、今度は売ってる場所が分からない。
昔はダイエーの2階とかで売っていたが、近所のショッピングセンターにもイトーヨーカドーの生活雑貨コーナーにもカブトムシは見当たらなかった。
まさかな、と思いつつネットで検索をかけると……あった。
すごいぜ、Amazon、楽天、Yahoo!。
さっそくAmazonでオスとメスのつがいを注文したが、不安もあった。
配送中に死んだりせんのだろうか?、と。
2日後、Amazonから届いた小さな段ボール箱を開けたら、カブトムシのつがいがそれぞれ、エサのゼリーと共に透明なカップに入っていた。
オスの方はひっくり返っている。
悪い予感しかしない。
案の定、ガッツリと成仏していた。
(すぐにAmazonを通して業者に連絡入れたら、後に元気な2匹目のオスが送られてきた)
そこから、約2ヵ月間生きた後、オスとメスは天寿を全うして昇天していった。
残されたのは数個の卵だった。すでに何個かがふ化して小指の爪先よりも小さい白い幼虫が土の中を這い回っていた。
第4章 遺された子どもたち
飼育本には幼虫の育て方も書いてあったので、とりあえず育ててみることにしたが、飼育環境は改めて整え直す必要があった。
飼育方法は容器に腐葉土と幼虫を1匹ずつ入れて、定期的に土を交換するだけでいいらしい。
容器はお菓子を入れていた透明なやつがあったが、ふたつしかない。
残りは牛乳パックで代用したが、今後大きくなっていくことを考えると、より大きなものが必要だった。
昆虫マットも幼虫がよく育つものに変える必要があったし、何より足りなかった。
そこで、Amazonで幼虫用の腐葉土を買い増し、ダイソーで味噌などを入れる手ごろな保存容器を数個購入。
最終的に計6個の幼虫入り飼育箱が完成した。
同じ親から生まれた6人のきょうだい。
まるで、「おそ松くん」だ。
この頃、季節はすでに秋。
飼育本によると、ここから約8ヵ月かけて成長し、やがて成虫になっていくのだという。
しかし、現実は過酷である。
人間ですら100%安全な出産、子育てはないのと同様に、カブトムシの幼虫たちも全員が健康に大きく育つとは限らない。
まず、容器に移して程なく、1匹目・トド松が昇天した。
最後は土に潜る力すらなく、うねうねと這い回り、翌日、黒ずんだ骸となっていた。
その後、2匹目の十四松、3匹目の一松も土を交換する際に骸となって発見された。
生き残ったきょうだいたちの悲しみを思うとやりきれない。
悲しみを乗り越えるかのように残された3匹、チョロ松、カラ松、おそ松はどんどん大きくなっていった。
やがて冬を越え、春が訪れ、梅雨の時季が近づいた時、ケースの向こう側で、それぞれがサナギに変態しつつある様子が確認できた。
全員がどうやらオスのようだ。
ここまでくれば、もう大丈夫だ。
その時は、そう信じていた。
第5章 真夜中の邂逅
最初に成虫となって生まれたのはおそ松だ。
それは、6月初頭の深夜。
家族全員が寝静まる中、羽音に気付いて目を覚ましたのは奥さんだった。
「ねえ、ゴキブリがいる。羽音がする」
その直後、僕の足元の方で再び羽音が聞こえた。
たたき起こされた僕は、寝ぼけまなこで枕元にあったスマホのライトを点けて、音が聞こえた方を照らした。
奥さんの悲鳴が上がった。
おそ松が寝室の壁を這っていた。
一瞬で目が覚めた。
ついでに心臓も飛び上がった。
なんで、いるの? なんか角曲がってない?
なんか、いろんな事実が同時に出てきて、イヤミばりに「シェー!」な気分だった。
心臓がばくばくと早打ちしているのを感じながら、考えたことは、とにかく、まずは、捕まえて、保護しなければならない。
どうやって捕まえる?
なんか入れる物……容器……飼育箱! どこに置いた?
去年、幼虫を容器に移した後はベランダ……そう、ベランダに放置していた。
急いでベランダに行き、薄汚れたアクリルの飼育箱を持ってきて、ざっと水洗いする。
続いて、玄関に置いていた、おそ松がいたはずの保存容器を取りに行った。
フタの代わりに空気穴を開けたラップを被せて輪ゴムで固定していたのだが、ラップは見事に破られていた。
とりあえず、残っている腐葉土を飼育箱に入れる。全然量が足りないが、しょうがない。
焦っていたせいか、それを持ち上げたところで手が滑った。
フローリングの床にアクリルの箱がぶつかる嫌な音がした。
拾い上げると、飼育箱の角が砕けて穴が開いていた。
代わりの容器はない。
そんなことをしている間もおそ松はまだ壁に張り付いていた。
飛び立ってしまうとまた混乱しそうだったので、結局、その割れたアクリルの箱におそ松を収容した。
割れた角からは腐葉土がこぼれていた。
そして、ケースに入れたおそ松はいつの間にか角が折れてなくなっていた。
角が曲がっていたのは、おそらく狭い飼育容器の壁際でサナギになってしまったからだろう。
角が伸びる途中で壁が邪魔して曲がってしまい、もろくなってしまったのだ。
もう少し広い場所を用意してあげればよかったと心がチクリとした。
第6章 生き残ったきょうだい
数日後、今度はカラ松が成虫となった。
前回のおそ松のラップでフタをした容器と違って、今回はダイソーのフタ付き味噌容器だったので、脱走することはなく、新調した飼育箱に無事収容。
角は真っ直ぐで、少しホッとした。
残る1匹はチョロ松だけだが、そっと土を掘って覗いてみると、まだサナギのままだった。
しかし、チョロ松が成虫になることはついになかった。
あともう少しで成虫になれるというところで力尽きていた。
「後は頼んだぜ、兄貴たち……、ぐふっ!」
と言っていたのかどうかは定かではない。
結局6人きょうだいで成虫まで生き残ったのは、おそ松とカラ松のみ。
その2匹も丸3ヵ月間生きた後、まずカラ松があまり動かなくなったなと思ったら翌朝に成仏。
その数日後には後を追うようにおそ松が世を去った。
オス同士だったので(しかも兄弟)、卵はない。
残ったのは、Amazonで買い足した大量のエサ、そして空になった飼育箱のみだった。
ちなみに、お世話はほとんど僕がしてました。
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