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まわる水に月が映る

三人展「まわる水に月が映る」が無事終わりました。
観に来てくださった方、気にかけてくださった方、ほんとうにありがとうございました。

今回の展示は、ある家をリフォームしたギャラリースペースをお借りして開催しました。展示室の前にはリビングルームがあって、春の陽光が差し込むとても暖かな空間に、可愛い大きさのテーブルと椅子、奥には台所がありました。私は、この空間がこの展示の要になっていたのかも、と思いました。

リビングルーム。左が展示室の入り口。

来てくださった方とこの空間で展示や作品について話したり、趣味や制作などについても話したりしました。そのことがとても良かったです。

SNSで知り合いだった方が来てくれたことがとても嬉しかった。全ての準備はこの時間のためのことだったと思えるくらいに…。お互いの制作や趣味、いま気になっていることなどについてゆっくりとお話しをしました。
私は、実のところネットの世界の距離感になかなか馴染めなくて、どうしても一対大勢のような感覚や、ニュアンスの受け取りが難しいな、と思ってしまいます。誰が見ているかわからないところに何かを放つ不安とかもある。
そういう点で、やっぱり私は実際に会ってお話しすることを大切にしたいんだな、と改めて思いました。そうして私は、言葉のやり取りのなかに垣間見える微細なニュアンスの受け取りや、安心できる適切な距離感を分かりたい気がしています。

展示室から聞こえる潮騒の音が静かに響くなかで、観に来てくれたひとと穏やかに向き合う時間を過ごせて、とても幸せでした。

リビングルームから展示室を見る。


通常、展示は展示作品を発表する、販売するというものと思いますが、この展示は上に書いたような「交流」を軸として展示をしようと、三人共々その意向を持って行なったところがあったので、それも心地良かったです。

交流というのが「水がまわる」というタイトルとも重なる点であるというのも、何か偶然の一致とも思えます。

会期は一か月ほど、週に三日開けるということで、感覚的にはゆるやかであったのですが、それでもいろいろな交流がありました。
身体を動かすワークショップや、食と展示のコラボレーションイベントなど、さまざまなひとがこの展示を軸に関わってくださりました。

物事は時が過ぎることで、それらの記憶の断片が走馬灯のように思い起こされて、私を癒してくれるように思います。嬉しかったことはもとより、悲しかったことや怒られたことも、そのときは気が気じゃなかったりするけれど、あとになれば全てが可愛らしいことだったと思える。自分にとって、歳を重ねていくことの嬉しさはそこにありそう。唐突ですが、いま思いました。

ここ一か月の記憶を眺めながら、書いていたらもう夜が明けてしまいましたが、少し眠ってまた起きて、今日は少し外に行きたいと思います。

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