飯食いドラマってアガペーだ

「飯食いドラマ」とはホームドラマに食事のシーンが多いことから、ホームドラマの俗称である。私の中では「ありがとう」や「寺内貫太郎一家」など、半世紀ほど前のホームドラマの一家団欒シーンが浮かぶ。大いに、昭和の香りがするワードだ。そんな昭和の概念が、形を変えて令和にも生きているように感じる作品に出会った。

 「きのう何食べた」と「隣の男はよく食べる」の二作を見たときに、どちらも食をテーマにしていることからこのワードが浮かんだ。特に「隣の男はよく食べる」はラブストーリーなので、元来この言葉が意味するところとは離れてしまう。厳密には違うのだが、この二作も一種の「飯食いドラマ」と言っても良いのではないかと感じたので、話を進めたい。

二作とも、タイトルが示す通り食がテーマとなっている。「隣の男はよく食べる」は、マンションの隣室同士に住む男女がひょんなことから距離を縮め、愛し合うようになるという物語だ。料理上手なマキ(倉科カナ)が、蒼太(菊池風磨)のためだけに腕を振う描写は、見ているこちらまでウキウキさせる。「きのう何食べた」も、料理好きな史朗(西島秀俊)が賢二(内野聖陽)のためだけに腕を振う、その日常を描いた作品だ。どちらも魅力的なのは、作る側の相手への深い愛が伝わってくるからだろう。そして、作ってもらう側である蒼太とケンジの相手への感謝と敬意に満ちたリアクションも、この作品世界が幸せなものであることを感じさせる。こういう幸福や愛のあり方をテレビドラマで描くことは、とても重要なことである。長い時間、高い熱量で支持されるコンテンツたりうる、普遍性のあるテーマだからだ。また、私が今後作り手としてチャレンジしたいことでもある。 

この二つの作品を見た時に浮かんだのは無償の愛を意味する「アガペー」という言葉だった。シロさんとケンジの間に流れているものも、マキと蒼太の間に流れているものも、まさに見返りを求めない無償の愛なのだ。シロさんは、ケンジとの時間を何よりも大切に思っているし、それはケンジも同じだ。とくにクリスマス近くの、2人とも互いを気遣うゆえにすれ違ってしまう描写はとても印象的だった。マキと蒼太が距離を置く決断をするのも互いを思うゆえだ。その後、マキと蒼太は最終的には新居で生活を共にすることとなる。シロさんとケンジは互いに老いを意識し、相手への想いを何より大切にしつつ、リーガルな障壁とも向き合うところで終わった。

これらの描写は、ギスギスした父の機嫌を気にすることが多い環境で大人になった私には、ある種新鮮に映る。こんな風に穏やかにパートナーと接し、愛情を交わす「世界線」もあるのか、と。そう書くと、あまりに私の個人的なバイアスがかかりすぎていて、批評性を欠いてしまうが。だが、特に「きのう何食べた」が作品として多くの支持を得ているのはシロさんとケンジの間で交わされる愛情が、見る人の心を打つからだろう。

あんな風に誰かと人生を共にする深い覚悟を伴うものが、アガペーなのかもしれない。

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