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玉ノ輿神社


玉ノ輿神社 (タマノコシジンジャ)


京都北区紫野にある今宮神社(イマミヤジンジャ)
その通称が玉ノ輿神社(タマノコシジンジャ)と
なっている。


門外不出の「あぶり餅」屋を二軒、境内に抱える
神社であり、ここは玉ノ輿神社の別名でももつ。


「玉の輿に乗る」女性が位の高い、もしくは財を
持つ家庭に嫁ぐ事を指し表現される言葉であるが
この語源はここ今宮神社を発祥とするものとなる。

この神社は婚活中、特にセレブ婚を望む女性達が
良縁祈願の為に訪れる神社である。


この玉ノ輿神社の名前の由来であるが、八百屋の娘
からとんとん拍子に出世街道まっしぐらに進み徳川
三代将軍家光の側室で五代将軍綱吉の生母ともなり
将軍の生母として従一位の位まで上り詰めた女性、
お玉(桂昌院)とゆかりが深い神社であることから
こう呼ばれている。


お玉さんはその出が西陣の八百屋の娘であり、当時
の身分格差分類の中の士農工商の一番位の低い身分
であった。ところが八百屋を営む父が突然急死して
しまい、野菜の納品先であった下級武士の本庄家の
養子となる。商からいきなり士へと三段跳びにお玉
さんは最上位の格付に上がる事となる。その本庄家
の養女となったお玉さんは、公家出身の尼僧の侍女
として奉公する事となる。今度は士の身分から公家
の身分へ更に上に進むお玉さん。


この事から尼僧の江戸城の徳川将軍への挨拶となり
その場であろう事か、将軍の家光がお玉さんに一目
惚れをして大奥で暮らす事となった。そして見事に
家光との間に男児を産む事になる。


そのお玉さんの息子こそが後の五代将軍となる綱吉
である。既に綱吉の前に二人の男児いるも両方とも
死んでしまい、綱吉が将軍となる。この息子はあの
生類憐みの令を交付した事でも有名である。


波乱に満ちたシンデレラストーリーで出世したお玉
さんではあったが、現在のセレブ婚の世界では有り
余るその財を私欲を満たすために、湯水の如く使い
倒す女性も居る訳だが、お玉さんは自身の物欲へと
走った訳ではなく、自分の故郷と父のことを忘れず
荒廃してた今宮神社界隈、西陣の街の事を忘れずに
寄進を行うなどし復興整備に尽力したのである。


この神社てはそんなお玉さんが歩んでこられた痕跡
を見つけ出すのもまた趣きがある。



今宮神社の神紋、力強い三階松紋。
そして境内には低めだが三階松がちゃんとある。



六角灯籠には丸剣片喰紋(マルケンカタバミモン)
片喰の花図案に剣が遇らわれ、それを円で囲む紋。
奥田家の家紋である。


和歌姫神籤 (わかひめみくじ)
女性に人気の神社ならではの和歌付きのおみくじ



織姫社 (オリヒメシャ)
栲幡千千姫命 (タクハタチヂヒメノミコト) は織物
の祖神であり、有名な七夕伝説の 『織姫』 へ織物を教えた神様として知られ、それを祀っている社。


繋九ツ目紋 (ツナギココノツメモン)
父なき後のお玉を養子へ迎えた本庄家の家紋


朽木紋(クチキモン)
神社内装の帳(トバリ)に良く見られる紋となる。
朽ち果てていく様もまた美であると捉える、世界的にも例を見ない和の美学を表している。
古くなった樹木に空く虫喰跡を図案化したもの。

壁代 (カベシロ)
紫色と赤色の縦の布は、朽木幕(クチチマク)の間に配される布で、蝶や鳥が図案化されている。


家紋、神紋、こんなものに観察眼を持つのも趣きがあって良いものだと思う。

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名称 今宮神社 (イマミヤジンジャ)
   玉ノ輿神社 (タマノコシジンジャ)
所在 〒603-8243
   京都府京都市北区紫野今宮町21
祭神 大己貴命 (オオナムチノミコト)
   事代主命 (コトシロヌシノミコト)
   奇稲田姫命 (クシナダヒメノミコト)
社格 旧府社
創建 長保3年 (1001年)
札所 神仏霊場巡拝の道第96番 (京都第16番)
例祭 10月8日〜9日 例祭(例大祭)
関連 正月三節会御膳供進之次第(絵巻)
   山城國愛宕郡紫野今宮神社之図(地図)
   元禄六癸酉載日記(日記)
   今宮剣鉾(祭具)
炙餅 京都名物、あぶり餅
   京都洛北の今宮神社境内だけで提供
   一和、かざりや、ニ店舗だけ提供の餅菓子
   両店舗、あぶり餅のみ提供、味を競い合う
   大きさは大人の親指ほど
   細竹串に刺し、黄粉をまぶし、炭火で焼き
   最後に白味噌のたれを付けて食す
   祇園、お取寄せもない門外不出の餅菓子

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