アイスクリーム

夜更かしをして、それから目を覚ましたら、不思議と火が消えたみたいに意気消沈していた。遠い目標はいつまでも遠くて、夢をみるにもおぼつかない。残っているのは自分を憐れむ気持ちくらい。あれもこれも、まあ手につかない。洗濯をするには天気が悪い。勉強をするにしても、遊ぶにしても心の雲行きが怪しい。食欲でさえも、けだるい気持ちに勝てないでいる。おやこんなに生きにくいのは久しぶりだ。困った困ったと思いめぐらしても、今自分に必要なものがわからない。タブレットの中にそれを求めるけれど、検索ワードも見つからない。

さんざんうつろな時間を過ごしたすえに、かすかな冒険心が頭の中を横切った。半年ぶり? いや、もっと久しぶりなのか? さしてきれいでもない服、一番身軽な服を手に取って、靴下をはく。サンダルよりもずっと歩きやすい靴をひっかけて、鍵を手に取り、少し歌う。その突飛な陽気をたしなめる。それはなんだ? 耳を傾ける。運動のためでもなく、心の安定のためでもなく、表現不能でありたい。階段を下りながらきっとそうだろうと思った。生きていくための何かや、誰かをまねて人並みのふりをするためじゃないだろう。きっと。

長く閉じこもっていたせいか、ただの街が愛しむべきものに見えた。赤い電波塔のきめ細かさ。打ち捨てられたペットボトルも、せなかをまるめて携帯を見ている人も。色褪せたバンドのポスターも。汚いものもきれいなものも、どちらともつかない散りゆく花も。私に目もくれない雀も。頭にまとわりつき、やがて死ぬユスリカも。立ち止まって、ただただ嘆息する。怪訝な目で見られることにも気づかないで。ひたひたと心静かに。目的もなく。歩む。

サンダルを飛ばした子供が、笑いながら走っていく。買い物袋を提げた男性が自転車ですれちがう。僕は風景のように見えているだろう。それぞれが自分のためにバラバラで生きていく。手をつないで行儀良く立ち止まる人。その間をすり抜けていく車。反対側では信号とにらめっこしている。ふとした拍子に車の流れが消えて、時間に置き去りにされたみたいにすべてが静止する。そこには街がある。その街は、信号の色が変わると、すぐさま隠されてしまう。特別なものほど見過ごすしかない。あまりにも。無意識に杖を求める手が空をかく。そこもここも、牢獄みたいに見える側面があり、けれどもちろん、誰も皆気にしない。生活の範囲において差し障りがないために。ただ一つのドアをピンク色に塗ったりして正気を保っているかのようだ。

気の利いたカフェを見て、例えば罪人としてそこに繋がれていたら、案外幸せだったかもしれないと思う。一つ高い入り口。主義主張の自由。サイズの合わないシャツを着て、すまし顔の女性。自明のことを不確かにして。夕暮れのせいにする。雪と同じくらい意味のない行いを、数え切れないほどの人が繰り返している。営みの一部として。僕もそれに倣う。かぎりなく言語に近いけれど少し溶けたもの。アイスクリームのような形を失いつつあるもの。空を流れる雲のかたちに動物の姿を見るのと同じくらい情緒的で、しかし無形。

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