危ない危ない、また自分を責めるとこだった

ぼーっとする時間はありあまるほどあるのに、ぼーっとしていない自分。
とりとめなく、ある出来事からある出来事へと、考えるともなく考えている自分。
ぼーっとしようと思ったら、結構気合いを入れなくてはなりません。

私の場合ぼーっとするためには、何はなくとも犬を山に連れ出します。
そして例えば、「鳥の声を聞こう」と決めます。
鳥の声に集中すれば考えは途切れます。
他には、ひたすら「犬を見つめていよう」とか、
ひたすら「風を感じよう」とか、
ひたすら「枯れ草の中から顔を出す新芽を探そう」とか、
五感の一点に集中して考えをシャットダウンします。
感覚に集中している間は、心に風が吹いているかのように静かで穏やかな気分です。
それでも、しばらくすると何やらくだらないことを考え始めてしまいます。

テレビ、携帯、新聞、雑誌に本などから、押し寄せる情報を
掃除機のようにすい込む日々ですから、
考えることにも事欠きません。
せっかく毎日、犬連れで自然の中に身を置いているというのに、
約1時間半の散歩の間、周りの風景をほとんど見ないで色々考えていた、
というときすらあります。

そんな時は、「あーやっちゃった。」と思います。
雑事に気を取られて、1日として同じではない自然の景色を見逃してしまった、と残念に思うのです。

この間の散歩の時もそうでした。昨日見たテレビ、友人のこと、最近の体調、今日の夜ご飯、週末の親との食事、
あれこれ考えている間に山の出口にさしかかっていました。
まるで時間がワープしたかのようでした。
空は夕焼けで美しいピンクに染まっていました。
ああ、またくだらないことをずっと考えて、大事な時間を無駄にしてしまった、
と自己嫌悪に落ちかけました。

でも、ふと林立する白樺を見やると、それでいいじゃないか、という気がしてきました。
情報を取り入れるのが好きで、そのことを考えているのが楽しいなら、
それは悪いことではない、
むしろ、そういう性質の自分を責めることの方がよろしくないのではないかと。

そして、またまた自己否定していたことに気付きました。
自分を丸ごと受け入れて大事にするということを、
あまりしてこなかった人は、無意識に自分を責めていることが多いように思います。
だから、どんなに「自分を大事にしよう!」と思っていても、
気付かないうちに自分をやっつけていることがあるんですよね。
危ない、危ない。

情報好き、結構。思考好き、それも結構。
ああ、疲れたなー、と思ったら、感覚に集中すればいい。
それが上手くいかなくても結構。誰にも迷惑かけていないんだから。
​もっとリラックスして、人生を楽しめばいいんですよね。

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