夏休みの朝みたいに

最近気づいたことの一つに、私は「いつも忙しがっている。」ということがあります。

これまで、昼間公立学校で働きながら夜大学院へ行くという、本当にスーパー忙しい時もあれば、
仕事を持たずに主婦として生活していた暇な時期もありました。
でも、頭の中はいつもいつも「忙しい」んです。

不思議ですよね。子供のいない主婦がなぜ忙しいのか。
時間とは極めて主観的なものです。
別に締め切りがある仕事を持っていなくとも、
私の場合「これが終わったら、あれをやらなきゃ。」と、
思っている時点で心はせわしなくなります。
そして夜寝る時、掃除してスポーツクラブに行ってご飯を作ったら1日が終わった、何も建設的なことをしていない、と自己嫌悪に陥っていました。(たとえばですけど)

アホでしょう?スポーツして楽しかったなら、それでいいし、
何か他にやりたいことがあるなら、家事をしないでもやればいいんです。
​また体が弱いので、頭痛や原因不明の疲労などで一日思ったように動けない時もありました。そんな時は特に、「あれもしたかった」「これもしたかった」「他の人みたいにパワフルに動けたらいいのに。」と、
思うようにいかない自分の体に歯ぎしりしていました。

この状況に陥っていた原因はただ一つ、「自分には価値がないのではないだろうか?」、という不安に尽きると思います。
仕事で忙しくしていた時は、周りからの評価も自分自身からの自分に対する評価も最悪でした。ミスばかりして怒られたり、プロジェクトがうまくいかなかったりして、挙げ句の果てには「こんな仕事したかったわけではない」とふてくされていました。いつも疲れていたし、いつも何かに追われている気がしていました。でも「何かしなきゃ」病はなかったかな。やることはあふれかえっていたので。

そして今度は仕事を辞めて、自分でコントロールできる時間ができたというのに、「何かしなきゃ、何かしなきゃ。」と焦り、結局、何もできていない自分を責め立てる。
通訳や翻訳のアルバイトをしている時や、カフェをしている時は、教員をしていた時同様、根本的な自分の所在なさが紛れました。
これまでそれを繰り返してきたのかもしれません。

でも、もうやめる。
世間様がなんと言おうと、「私は私であることが素晴らしい」のだから。
教員をしているから、カフェをやっているから、素晴らしいわけではない。
やる気があって、いつも自分を高めようとしているから、素晴らしいわけではない。
私は私だから素晴らしいのである。
素晴らしい私は寝ていたければ一日中寝ているし、
掃除したくなければ一日中掃除しない。
子供がいなくても、仕事を持っていなくても、素晴らしい私は何もしない。

そう思ったら、心がゆっくりとして、細々した家事も苦にならず、すごく穏やかな気持ちで、趣味にも仕事にも取り組めるようになっていました。
自分が満たされていて「今」という時間を大切にできるようになると、
スケジュールが詰まっていても詰まっていなくても、心は夏休みの朝で居られる…
​というとても嬉しい事実に気づいたのです。
「自分素晴らしい」という言葉は魔法の呪文です。

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