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ポテンシャルはある
子供のころ、親の勧めで器械体操を習った。やってみたい!かっこよさそう!とワクワクしていた。(初日寝坊してパジャマ同然の格好で行ったのは父と私だけ知る笑い話。)小学2年生、約一年くらいだったと思う。水土の週二回だった。基礎トレや柔軟、床や、へいきんだい、段違い平行棒、床などの技の練習でトランポリンなど行った。
始めて一年たっても、基礎トレや柔軟は辛いし、後から入ってきた同級生のほうがなんでも上手だったし、2.3年年下の子はなんでもできたひ、私がいつも一番下だった。住む街が同じで一緒に通学していた一つ年上のお姉さんは、いつも演技の美しさも技の難易度もトップでかっこよかった。
練習に行けば行ったで毎回達成感があり、身体を動かす喜びがあった。でも練習が嫌いと思ってしまうほど練習に向かう時は憂鬱で、できることも人より少なくて、やめてしまった。
どんな人も努力やかけた時間があるから、できることが増えたり、目標をひとつひとつクリアしていくということ。そんな当たり前のことが当時の私には分からなくて、その時隣にいる人と自分を比べて劣っていることが気に入らなくて、不貞腐れて辞めてしまった。
ずっとそのことが気になって。自分は何も続けられない人だと思い込んで、努力を避けて来た。
ポテンシャルはある。
いま、一番近くにいる人に言われた言葉。
分からなくはない。というか私もそう思う。今まで人よりできることが多かったと思う。できないことも多かったけどそんなに大きな壁にぶち当たらずに来た。気にしないでここまで来れた。それは周りが優しかったり、自分がそういうことから目を逸らしてきたり、それが許される環境だったり。
できないことへの言い訳はすごく簡単で、当たり前になった。そういう人生だったような気がする。
私は大きくなるにつれて夢が見つかると思っていた。夢中になれることが見つかったら、それに向かって本気を出して突き進んで、そうしたら望む結果が得られて、自分も満足できて、それを繰り返すことが人生だと、信じていた。
実際の自分はどうか、全くの逆であり、頑張ることや本気になることは、なにかを犠牲にすること、その大きさで測っていて、望む結果は得られても、本当に望む結果だったのかは疑問で、評価されることなく、満足いかないことが多かった。(自分が望んだ結果ではなくて、周りが望む結果だったんだと思う。それなのに周りはそれが当たり前と思っていて評価はされないからやり切れない思いだった。)やりたいことは夢と言えることなのか、自分は上手じゃないなとか、人より劣るから、周りになんて言われるかわからないから夢にできないなとか、そんなことばっかり考えて動いてなかった。
2年前の春、ヨガに通い始めた。全国展開のホットヨガスタジオで、始めたころ汗かいてスッキリするし、運動もできていなかったのでいい習慣にできたらいいなって。月額会員だったのに辞めるまでの一年間で、一月のうちに一度も行けないときが3回もあった。
自分はまた続けられなかったな。楽しく思うことでも続かないんだな。
ヨガにも苦手意識ができて、でもずっと、またやりたいなって思ってた。
私のヨガとの再会は今年の夏。沖縄での9日間の合宿。人との出会い、自分と向き合うこと、体の健康、心の健康、食べるものの大切さ、などなど、思うことはたくさんあるけど、すごく大切な時間で簡単に手に入れられる時間ではないということは確か。
生きるということに向き合って、自分らしさを見つけて、人と比べることをやめた。ただ過ごしているのではなく、やっと人生が動き出したという感覚があった。
合宿を終えて、家に戻ったらまた前と同じ生活に戻ってしまって、でもなんとかしなきゃと思ってる。やりたいことがたくさんあって、でもだらだらしてしまう。少しずつ進めていると自分に言い聞かせて、自分を認めて、ゆっくりでも止まらないように。
ゆっくり時間をかけて、一日中じゃなくていい。毎日少しずつでも進めていたら、夢中になってるって言っていいと私は思うから。
ポテンシャルを活かすって難しいことだけど、すなわち夢中になって自分のものにすることだと思うから。
今後は夢中になれるものがたくさん見つかるといいな。
ポテンシャルはある。
いまはそれは継続できない自分への皮肉っぽい言葉だけど、これからは夢中になって得意になってすごいねって褒め言葉になればいいな。そうなるよ。
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