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若者の多様性について

最近、みんな「多様性」について考えることが多いのではないでしょうか?
多様性という言葉が出ると毎回言われるのが
若者は多様性に富んでいるということ。

これって、どういうこと?
なんか、いろんな会社が「多様性!ダイバーシティ!インクルージョン!」って声を荒げているのと、
若者が、ごく自然な形で多様性を受け入れていること。
根本的に違う気がする。

若者と多様性、どんな感じで付き合っているのか。
というか最近、若者の姿を見て、自分に偏見があるんじゃないか、と思っている。

若者は個人を見つめている

最近、大学2年生の男子と飲む機会があった。
その中で彼に、中学高校でハマっていたものとか、いろんな話を聞いたのがとても面白かった。

彼の人生でハマっていた/流行っていたものの中に、けみおとか、ブライアンとか、最近だとFUWAちゃんとかがいる。
SNSなどで台頭してきた、超強い個人。

「それって、キャラクターが面白くて見てるの?」と聞いたら、「ふつうに、面白いから見てました。面白くない動画もあるんでそれは見ません。」とのこと。

つまり、SNSで、メディアを通していない「素の個人」が発信力を持つことで、その人自身の個性をまず見る習慣がついているんじゃないかと。
「黒人の人はこう!」とか「女性はこう!」とか、そういった情報を見るより先に「こいつおもしれー!」という体験を重要視している。

一方で、我々が多様性を大事にしよう、と考えるとき、何を思い浮かべるでしょうか?
私の場合、まずLGBTとか、人種とか、ジェンダーとか、そういうことから考え出します。
その発想自体が、若者が感じている多様性と、ルーツが違うと感じました。

どちらがいいとかではなく。

ブライアンの話

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元々は6秒動画のvineで活躍していたブライアン。
今もYouTubeで再生されまくっている彼ですが、差別問題について言及した動画(すでに削除済み)がありました。

ブライアンは、いつも動画のコメント欄で「コーヒー豆」といじられていて、それに関して言及した動画。
ではなく
「コーヒー豆いじり」について、差別だと感じた人に対するメッセージ。
コメントとかメッセージで「コーヒー豆と言われてどんな気持ちですか?差別と感じてないですか?」と言った人に対して言及する動画です。

ブライアンは、その人たちに対して「俺差別されたことないんだけど」と、「黒人をイジっちゃだめ」って言ってるのは黒人を差別してるよね、と言ってます。
「ありがとう寄り添ってくれて、棘だらけで痛かったよ」と。

つまり、ブライアンのことを「動画が面白い、下ネタ大好きなブライアン」として見ているところに、「黒人」というレッテルを投じたのが罪深い、という話、だと思う。

誰も言わなければ、ブライアン個人のことを見つめていたのに。
(動画は個人的に一番好きなブライアンの動画)

金子みすゞの話

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私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


あらためて、本当にいい詩だなーと思うんですが(特に、自分を肯定しているのがいい)。

その人の特徴とか、良いところをそのまま受け止めて、良いと思っている。

この世界観を地でいっているのが、今の若者なんじゃないか、と。
「こいつ、おもしれー」とか「めっちゃ可愛い!」とか。
そういう気持ちで個人を見ているんじゃないか。

そういう気持ちに今後なれることがあるのか、分からないけど。
何かの考え方のヒントになれば…。

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