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幸せを感じられる人*人生最終章

私が嫁いだ先では、4世代同居(義祖父母、義父母、夫、私、長男)の7人家族でした。

義祖父は、長男が2歳くらいの時、朝起きた時に亡くなっていました。認知症にならず、日常生活を送っている中で、本当に「ぽっくり」と、理想的な最期ではなかったかと思います。

数年後次男が生まれ、再び7人家族に。

義祖母は、晩年10年位、「自宅介護」、最後の1年位、時々ショートステイを利用していました。

最期の時

息を引き取った日は、お正月だったので、家族全員、家にいました。
家族全員が見守る中、時計の針が止まるかのように、息を引き取ったのです。(年をまたいだので、数えで100歳)義祖父の最期も理想的なら、義祖母にとっては、「幸せな最期」の瞬間だったのでは? と、その場に居合わせた誰もが感じたことでしょう。

幸せだったかな?
◎ひ孫とのエピソード

長男(義祖母から見てひ孫)が、幼稚園時代「家に友達を呼びたい」というので、恐る恐る義母に許可を取って、家に呼んで遊んでいたら、
義祖母「こら、〇ちゃん(ひ孫)のおもちゃで遊ぶでない!」と長男のお友達を叱っていました・・・
私も長男も『家に友達を連れてくることは2度とやめよう』と悟った瞬間でした。

◎印象に残っている言動

義祖母が90歳後半の頃でしょうか、急に右手の人差し指と中指がくっついて、いうことをきかなくなってしまった時、
はじめは、「なんだろうか、この手、いう事聞かなくなっただよ」
それが、ある日「このやろうめ、このやろうめ!」と、自分の手をひっぱたいていました。切なくなりました。

介護を中心的に担っていた義母は

恵まれていたことに、介護者は、義母・私・義父・夫と4人の助け合いでやっていました。中心にやっていたのは義母でしたが、宿泊を伴なう外出はなかったけれど、東京へお出かけ、週3日の習い事に行っている間は、嫁の私が担っていたので、介護鬱になることなく、「自宅介護」を全うできました。

義祖母を介護している時に「こんなに幸せな人(義祖母)はいないわよね?幸せを感じられないなんてかわいそう・・・」と義母がつぶやいているのを聞きました。

きっと、義母のことは、私が介護する事になるだろうけど、(義母も)幸せを感じられないような気がします。

(歳をとった晩年期に)幸せを感じられる人っているのかな?

そんな話を、友人にしてみた。(私は、歳をとったら、身体も思うように動かなくなるし、幸せを感じるのは難しい。と思っていました)
その友人は、介護施設などで「アロママッサージ」等をしています。

「有料老人ホーム(ある程度のお金がある人が入れる)に入っているようなご老人は、『私たちは幸せよ・・・病気をしていないから、ここにいられるの、ありがたい・・・』って言ってるよ。マッサージをしても、感謝。何か物をあげても『いらない、いいよ』なんて遠慮しないで、『ありがとう。いただいておくわ』って、感謝の気持ちを常に持っている。
そういう『心の余裕』が、お金を呼ぶのか、お金があるからそういう心の余裕が生まれるのかはわからないけれど・・・」

『心の余裕』が幸せを噛みしめられる?!

なるほどね・・・

同じだけ「お金」があったと仮定して

片方は、「ありがたい・・・感謝」と感じる。

片方は、「これじゃ、足りない。物をくれる?やだ、お返し何にしよう!」と心の余裕をなくしている。

この違いなのかな??



・・・(1383文字)最後までご拝読ありがとうございました。・・・



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