やさしくなりたい

朝はやく、露天風呂に浸かりながら、「きょう一日、ひとの言葉や態度に反応的でない自分でいたい」という願いを持った。

今日は夕方から、長い時間をかけて、今日一日を振り返っていた。

反応的な言葉を返したり、反応的な態度で意図的になにかを伝えようとしたことはなかったと、自分と他者とお天道様に誓える。ただ、自分が言葉を発した後、そこになにか意図が顕れていたような、あてこすっていたような感覚に陥った時間が、数回あった。それは自分の濁りが相手に映り込んでいる瞬間、あるいはその逆、完了したそれらのレミニセンスを含める。

あるいは、すべての錯覚。

自分の感覚を疑うほどの非日常。

つとに感じ入る、日々の環境のありがたみよ。

あなたに、かならず、いいことがあるよ