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「若いうちの苦労は買ってでもしろ」

皆様、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉を聞いたことがありますでしょうか?
このセリフを言うのは大体生きた年数しか取り柄が無く年功序列制度にしがみつき経済を停滞させている社会の癌、通称団塊の世代と呼ばれる方々のご鳳声であることが多いですね。

私はこの言葉が死ぬほど嫌いです。

いや苦労、つまり辛い気持ちを感じるのは成長する上で大事だよ?大事だけど、苦労を解決するために金を使うんならわかるけど、苦労そのものに金銭的価値を見い出すのは流石に話が違う。それは若い人間に重責を負わせることを正当化したい人間の理屈です。そもそも会社という小さな国の国民として認められても与えられる階級は奴隷、良くて農民です。新入社員というのは貴族階級、つまり鼻くそほじくってふんぞり返ってる上層部にいいように使われるだけの存在です。そんな奴らが「若いうちの苦労は~」とか素敵な狂言回しを披露してくるんだぜ?しかも金を使わないことを美徳とする価値観を日本に植え付けた奴らですよ、我々農民への羽振りは最悪といっていいでしょう。こんな雀の涙程度の給与では持ち家の畑にゃペンペン草も生えません。てめえらの頭が不毛の地になってるのは見ればわかります、それをこっちに押し付けないでくださいませんかね?自分達で若い芽を摘み取ってるくせにいざ危なくなったら責任転嫁してくんだよやってらんねー。
僕の友人は何人かそんな生活に嫌気が差して起業、現在寝る間も惜しんで労働と性欲の発散に勤しんでますね。こんな駄文を書いて仕事をした気になってるバカとは違います。
話を戻しますが、冒頭で少し触れた通り苦労自体は価値のあるものです。そういった経験は何者にも代えがたい自分だけの財産になります。ただ、「自分から求めた苦労」と「他人から押し付けられた苦労」では感じ方が全く違ってきます。まず、「自分から求めた苦労」は自分の目的、目標のためには避けては通れないもので す が、その先には自分の思い描いた理想が待っています。その悲願のために人は苦労を自ら追い求めます。元来、人は努力なんてものをしたくない生き物なんです。なにか新しいことを始めようとしても「お金が無い…」「時間が無い…」などとやらない理由を探し始め、結局胸にわだかまりを抱えたまま月曜日を迎えます。
大丈夫、理由をつけてやらない人なんざこの世にごまんと溢れています。貴方だけではありません。少しずつでいいので、やりたいと思っていたことを思い切ってやってみましょう。新しい自分を発見して、今の国の体制よりも魅力的なものを見つけられるかもしれません。そうなったら思い切って亡命してみるのも手ですよ。
因みに私はやらない理由探しに27年間全力でした。助けてください。
次に「他人から押し付けられた苦労」ですが、一番わかりやすいのは上述の公侯伯の皆様から賜った勅命ですね。別に仕事をしたくないと言っているわけではありません。ただ、それに見合った見返りが無いことが問題なんです。こういう苦労をバネに成り上がる人は稀です。大抵の人はストレスを溜めに溜めることでしょう。中には身体や精神、或いは両方を壊してしまう人も出てきます。それだけ労働と対価のバランスというのは重要なのです。

さて、長々と話してきましたが結局何を話したかったのかわからない人が大半でしょう。特に話の主軸というものはありません。単に自分が思っていることを文章化したかっただけです。もしこんなヴォイニッチ手稿に匹敵する怪文書を最後までお読み下さった方がいらっしゃる場合、その方には心より感謝を申し上げます。話をまとめると、
「若い頃の苦労は求めるものであって、与えられるものではない」
となります。一行で済む話をここまで長ったらしくする必要があったかと考えると首を傾げざるを得ませんね?
今回は仕事の話としてこの話をしましたが、私生活にもこのことは言えると思います。趣味なんかもそうですね。仕事でも遊びでも、始めてやることというのは恐怖がつきまといます。うまくできなかったらどうしようという気持ちはいつだって心のなかに潜んでいるものです。
ある意味、この気持そのものも苦労だと言えるでしょう。なので、その苦労を乗り越えて今まで興味があったけど、怖くてできなかったことをやってみましょう。その先には、楽しいという感情が待っているはずです。

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