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もーちのVR日記28 VRChatterの悪い癖

今回の記事では心苦しいですがVRChatに浸透している文化の非常に納得できない面について書きたいと思います。
考え方は人それぞれですが是非最後まで読んでいただければ幸いです。


濫用される「宗教・政治目的の禁止」

 VRChat内で使用する目的で提供されるBOOTHにて配布・販売されるアイテムの利用規約には「宗教・政治目的での活動への使用の禁止」という文言がよくあります。特に考えなく模倣的に使用され、定型になっている部分があります。
 この文化について、ときに宗教的モチーフ(十字架、光輪のアイテムなど)にさえこのような規約がつけられていることが散見されます。宗教的なモチーフのアイテムを宗教的目的で使用することを禁じる規約は倫理的に正しいのでしょうか?

 
現実でされる行為はますますVRに進出していますので、VRに進出したキリスト教徒が「VR礼拝をしよう!」と思い立って、彼らのコミュニティの内で日常的な宗教行為をVR化するためにアイテムを調達しようとすることも考えられるかもしれません。
 そのとき「宗教・政治目的での使用を禁止」されたこれらのアイテムを発見する……納得できるでしょうか? (本来キリスト教のものだったものを)借用して、本来の目的に使用されることは忌避する――流石に日本人が宗教嫌いだとしても行き過ぎた行為と言わざるを得ません

 ちなみに私も宗教は大嫌いですが


文化とその借用についての基準

 たとえばあるファッションブランドが「アイヌ民族がイヨマンテという儀式のときに用いる特別な服装」をモチーフにした新しい洋服を発売したと仮定します。その上で「この服を正式なイヨマンテの儀式の際に用いることを禁じます」という規約をつけたらどうでしょうか? イヨマンテの儀式をするのはアイヌの人だけなので、この規約は実質アイヌだけを制限するものとして機能します。納得できないとアイヌのひとは怒るかもしれません(VRChatで行われているのはそういうこと)

 いわゆる”文化盗用”概念は日本人にはめっぽう受けが悪いですがいくつかの段階を含んでいるように見受けられます。

①(当事者自身にはマネタイズできない)「アイヌの文化」をモチーフとして企業がたくさんお金儲けをすることへの非難

これは「やっぱり文化盗用なんて強引すぎるいちゃもんだわ」というマイナスイメージの原因となっている「モチーフにしただけでアウト」みたいな概念でアメリカでは通用するにしてもさすがに無いでしょう

②「アイヌの文化」をモチーフとして利益を得ていながらアイヌ文化の支援事業などを通じて還元することへの興味がない態度への道義的非難

たとえばこのファッションブランドがアフリカへの植林事業には節税のために積極的に関わっていながら、アイヌの支援事業などを行っていない場合。批判される理由はあるかもしれませんが、これも慈善事業で何に寄付するかなんて好きにさせたれという意見もあるでしょう。

③「アイヌの文化」をモチーフとして商品を発売しながら、モチーフ元となった「本来への目的」への利用を制限するような行為への非難

最狭義の文化盗用というのはこれです。モチーフを借用しながら、そのモチーフを本来の文脈に取り戻すことを創作者側の自由として制限する立場であり、VRChatの文化はこれについて気にしていません。
 しかし考えてみればこれほど理不尽なことはないのです。近いのは「のまネコ騒動」でしょうか。ネットのキャラをモチーフとして商品を発売しているのに、企業商品なのでもとのネットのキャラのように掲示板で扱うと著作権侵害に問われてしまう。こういった理不尽な構造が「のまネコ」の商品化にはあります。

宗教についての補足


 再三言いますがもーちは宗教は嫌いです。なので付言しておきますが、たまに反宗教論への反論として「さまざな現代の芸術作品・映画・漫画・アニメにも取り入れられているようなキリスト教が現代で無用(=何の役にも立っていない)ということはありえない」というものがあります。が、そもそもキリスト教のモチーフは中世の芸術家達に盛んに取り入れられ、それが現代まで脈々と受け継がれたという経緯があるわけで、それで「新世紀エヴァンゲリオン」のような有名アニメでも宗教モチーフが取り入れられて現代人を楽しませるわけです。しかし言わせれば、中世の芸術家達に表現の自由があったならともかく、異教的モチーフが教会によって厳しく断罪され、火刑や敵対宗教を滅ぼす戦争や差別や弾圧的境遇によって、許される芸術がキリスト教モチーフ(と少しばかりのギリシャ・ローマ的な異教的なもの)しかなかった暗黒の中世という環境があり、そこから文化が引き継がれている以上、真っ当な競争は行われていないのだから、キリスト教がそのことを引き合いに①の意味での文化盗用を指摘するのはそれもまた非倫理的であると考えます。

 つまりここで2つのことが禁じられると主張します。1創作物において宗教的モチーフを登場させることに対して宗教側が制限すること2創作物において宗教的モチーフを登場させながら宗教目的での鑑賞・利用を創作者の権限においてとりわけ制限すること

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