詩としての楽音 (消費され流れてゆくことを拒否して立っているものについて)

初出:Facebook (近況),2017年6月4日。本来は無題。
 


 古楽器の展示イベントがあったので見てきた。話し声がガヤガヤいう中で,時々誰かが楽器を試奏する音が聞こえる。その音は(たった1音であっても),人々の話し声という日常的な音の中にあって,全く異質なものとして,近年流行りの言葉でいえば「空気を読まない」音として響く。

 ガヤガヤした話し声と楽音との違いは何か。いろいろあるが,なんといってもはっきりしているのは,音の高さが決まっているか決まっていないかである。ガヤガヤと流れてゆく音のただなかにあって,ある一定の音高にとどまり,流れることを拒否して立っている音,それが楽音である。

 昔1回だけ出た英文学の授業で,詩とは何かということについて,先生が「言葉というのはふつう,意味を伝達するために消費されてゆくものにすぎないが,消費されてゆくことを拒否して言葉そのものとして立っているのが詩である」というようなことをおっしゃったのが今でも印象に残っているのだが,楽音もまさにこのような意味で詩であると思う。さらにいうと,あらゆる真面目なものは,このような意味で詩であると思う。


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