無題(Facebook, 2018年3月18日)

 Twitterでたまたま現役の芸高生のアカウントを見かけて,なんとも不思議な気分になった。自分にとってはいろいろな意味ではるか遠くの過去になってしまった世界に今生きている人がいる,ということが不思議に感じられたのだ。「いろいろな意味で」というのは,私は卒業と同時にいったん音楽から離れたし,また人付き合いも悪いから人間関係的にも高校時代の世界からほとんどすっかり離れきってしまったので(この点,今はFacebookがあるのがありがたい),卒業から今までに経った14年という歳月以上の隔たりを,あの時代・あの場所に対して感じる,ということだ。

 私も,確かにあそこにいた。幸せだったかというと,一言でいうのはちょっと難しい。遅くとも1年生の10月の時点で既に,自分がズレた存在であることを感じていた。周りの皆は,ほかのことはどうであろうと,とにかく音楽に対してだけは間違いなく真剣だった。たった1人の同専攻の同級生はもともと私より進んでいただけでなく,私とは比較にならぬほど勤勉だった。私にはその熱意が明確に欠けていた。2年生の11月末から2月までは本格的に憂鬱で,もう進路変更を決めていたこともあり,真面目に中退を考えていた(その話をしたときのクラス担任・裕先生の本当に思いやりに満ちた眼は今でも覚えている)。たしかその年度の欠席日数は24で,そのうち19日がこの期間だった,と記憶している。この憂鬱状態からは特に理由もなく抜けて,結局学校に留まり,3年生の1年間は充実感があった。公開実技試験の準備には,投入できる限りの時間とエネルギーを注いだ。つまり全力で作曲した。大学なんか落ちてかまわないと本気で思っていた。あと,7月の臨海学校で宿の部屋に独りでじっとしていたとき,庭でしゃべっているほかの生徒たちの笑い声が聞こえてきて,しみじみと愛しいと思った。1,2年生のとき(自分の「ズレ」とは別に)この学校やそこにいる人たちのことを全体としてどう思っていたのかはもうよく分からないが,そんなわけで最終的には本当に好きだった。好きならもっと自分自身そこに混ざりに行けばよかったろうと言われそうだが,まあ性格がこうなので仕方がない。こういう「遠くから愛する」タイプの人間はほかにもいる(トニオ・クレエゲルなど)ので,これでもよいのだと今は思っている。

 人類史上でも個人史上でも,どんな時代にも戻りたくない,というのが私の基本的な思いだ。私の歴史(よかったことも悪かったことも全部)がどこか違っていたら到達できなかった,このかけがえのない現在をほかの何とも取り替えたくないし,それに,すでに起こったことには未知の可能性がもうないので,どんな黄金時代だろうと過去であるというだけでもう閉塞感しか感じないから。それでも,今,ふと「あの3年間を繰り返せるとしたら?」という考えが頭をよぎったとき,少なくとも一瞬「それもいいな」と思った自分がいた。上に書いたとおりこんなことは普通はないので,自分で驚いた(驚いた勢いで,こんなものを書き始めてしまった)。それほどの輝きを,あの場所と,あの場所にいた人々は,14年の歳月とそれ以上の精神的な距離を越えて私に放ち続けているようだ。そんな場所に,私も,確かにいた。

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