2008年12月14日長岡純子ピアノ・リサイタルの感想(ある友人へのメール)

 2008年12月14日に長岡純子の演奏会を聴き,その日のうちに,このピアニストを教えてくれた友人に宛てて書いたメール。


○○様

 お久しぶりです。オランダ留学生活はどんな調子ですか? というかそちらでもメールは見ているのでしょうか。

 今日長岡純子さん(なんだか,「さん」付けくらいが一番よく合うような気のする方だと思います)の演奏を久々に聴いてきました。ハイドンの変奏曲へ短調(Hob. XVII-6, Op. 83),ベートーヴェンの《テンペスト》,ショパンのソナタ第3番。
 格別素晴らしかったのはショパンのソナタの第3楽章でした。この曲はそんなにいろいろ聴き比べていませんけれど,この楽章についてはこれ以上の演奏がないとしてもおかしくはないと,本当に思いました。

 長岡さんのソロを聴いたのは実はまだ2回目です。前回はベートーヴェンの最後の3つのソナタでした。あのときは当時の自分の関心からか「天を垣間見せる」演奏とか「霊に聴くことをしている」演奏だということをまず感じたのですけれど,今回はまずもっと基本的なこと,すなわち,嘘・虚飾のない演奏,実に誠実率直(sincere)な演奏だということを思いました。いや,演奏が違ったわけではないのです。同じよさを持った演奏に対する別の点に関する讃辞とお考え下さい。
 「霊に聴くことをしている」演奏というのは結局のところsincereな演奏のことだとも思うので,まあ別の点ともいえないのかもしれませんけれど(といっても,逆は必ずしも当たらないか。Sincereだけれど「霊に聴くことをしてい」ないのはありえますね)。

 Sincereであることは,本当のところをいうと,なにも特別な美点というわけではなくて,本来はすべての芸術家が(もっというとすべての人間が)備えているべき基本的資質でしょう。その意味においては,すべての演奏家は長岡さんのようにならなければならないと言ってよいかもしれません。精神的高み深み以前の問題として。

 それにしても,長岡さんの演奏がsincereで,かつそれぞれの曲の奥深いものを啓示するものであったということは,つまりそれだけの奥深いものを長岡さんが自ら経験なさって知っているか,少なくともそれを感受しうる感受性をお持ちだということに必然的になるわけですが(そうでなければ嘘のある演奏ということになってしまう),そう考えるとどのような人生を生きてこられたのかがちょっと気になってくる演奏家でもあります。あと,ふだんどんな生活をしていらっしゃるのかも。深い沈黙のある生活がないとああいう演奏は無理でしょう。

 長岡さんの演奏に接すると,ベートーヴェンの後期作品によく現れるような,なんといえばいいのでしょうね,きよらかな寂しさとでもいうべきあの感じをまず受けます。今回,最初のハイドンからして既にそうでした。
 最近僕はピアノを弾くとしたらほとんど《平均律クラヴィーア曲集》ばかりなのですけれど(だんだんオルガンに移っている),《平均律》の中では,第1巻第24番ロ短調の前奏曲が長岡さんにお似合いのように思います。

(中略)

 僕は,本当に生活にかかわりのある音楽,生活を作ってゆく音楽,演奏会場での感動で終わってしまわない音楽にまず価値を認める考えの人間です(「閣下,民衆を喜ばせただけだったなら,残念でなりません。私が望むのは民衆を高めることなのです」——《メサイア》演奏後のヘンデル)。それゆえ,音楽史を見渡すならば,まずは特に,バッハの教会音楽に音楽の理想的なあり方を見ます。音楽自体だけでなく,その用いられ方がよかった。
 しかし,今日の長岡さんの演奏を聴いて,ともかくこのようなものを,普段至らぬ深さのものを,思い出させてもらう時間を頂いただけでも,まことに大切なことだったと思いました。いやそれだけではない,よく感受し,いくらか思いめぐらすならば,何か持続的な変化も起きてきて,ある日聴いた演奏によって生活が作られることにもなりうるのでしょう。そうしないにしても,僕のようにごくたまにではなくて,もっとしばしばこういう機会を持てば,「思い出す」ことがある程度持続性を持ってきて,実質的に精神は高められることになるのでしょう。
 教会なりなんなりの,生活に強く結びついたシステム,それも音楽以外の諸要素も協働しているシステムがあればこういうのは比較的容易でしょう。しかしそういうシステムのないところでは,そしてそういうシステムを持たぬ人が現代社会のおそらく多数派なわけですが,ただ本物中の本物の芸術だけがこういうことをする可能性を持ちうるように思います。少なくとも,心が凍りがちで感受性の鈍い僕に対しては。

 前から2番目のど真ん中の席で聴きました。拍手を受けていらっしゃるとき,前のほうの列に親しげに礼をして下さるのがなんとも嬉しかったです。

 (中略)

 長岡さんのコンサートに深い印象を受けたのでなんとなく久々にメールする気になりました。
 では。


          池田福太朗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?