私の2022年

  「これまでの歩み」同様,重要なことであっても書いてあるとは限らない。

1月

 大学 (神学部) の実践神学の試験が24日にあり,2週間の休暇まで取って準備する。
 実践神学というのは司牧神学・教会法・典礼神学・宗教科教授法 (初等・中等教育の学校で授業するための科目) から成るものだが,これらのうち宗教科教授法が全体の授業時間の半分を占めていた。この科目について,そもそも信仰を育てることを目指していない内容に不満を持ち,またあまりにも自分と関係ない科目だと感じ,神学部の単位を揃えてゆくことをやめる (単位取得を考えずに自分の判断で授業を取ってゆく) 方針をいよいよ固める大きな契機となった。なお試験の成績は全体で120点満点中の62.5点 (薄氷の単位認定)。

2月

 14日から大学で新約聖書ギリシャ語集中講座 (初級) を受講。ヘブライ語のときとは比較にならぬほどゆるかった。
 たしかこの月の下旬くらいから,ドイツの国会で検討されていたある深刻な悪法案に抗する活動 (前年12月くらいから行なっていた) に本腰を入れたような気がするが,あまり定かな記憶ではない。活動といってもデモに出かけたわけではなく,そういうのはせいぜいオンライン請願に署名したくらいだったと思う。それより何より,ロザリオの祈りを中心とする霊的手段で戦った (ロザリオが強いというのはいろいろな本で読んだだけでなく,経験から自分なりに実感があった)。

3月

 24日まで,前月からの新約聖書ギリシャ語集中講座 (初級)。成績は1,0 (満点)。
 引き続き,ドイツ国会で審議されていた深刻な悪法案と戦う。
 半ばくらいから,過越の聖なる三日間 (聖木曜日の晩~復活の主日,今年は4月14~17日だった),特に復活徹夜祭の準備に力を注ぐ。

4月

 7日,深刻な悪法案否決。長い戦いが一つ終わる。
 14~17日,過越の聖なる三日間 (なお,1週間あまり後の定例会議で,このとき行われた典礼の内容を強く批判した)。
 私の主な担当であるSt. Marien教会の献堂70周年記念行事の一環として5月に3つの特別なミサを行うことが決定,短期集中で準備する。このため,大学で受ける授業を次々と減らしてゆき,ついには新約聖書ギリシャ語 (中級) 1コマのみとなった (5月はそれすらけっこう休んだ)。

5月

 5・12・19日,前述のSt. Marien教会でのミサ本番。私個人にとって最も大きな収穫だったのはたぶん,レーゲンスブルク (Regensburg) 時代の2013年くらいにオルガンのレッスンで扱われかかったが結局ほとんど始めもしないままになっていた,Franckのコラール第3番についに取り組み公開演奏したことである。なお,そんなに難しい曲ではなかろう,時間はかからないだろうと思っていたのだが甘かった。ほかにもたくさん準備する曲がある中,本当に間に合うのかと一度ならず思いながら,3週間で何とか仕上げて本番を弾き切ったことはそれなりに自信になった (3週間という期間自体が一般的にみて長いか短いかは知らないが,そういう問題ではあまりなく,自分にとってのギリギリの状況によく取り組んで突破したということが大切)。

7月

 6日,新約聖書ギリシャ語 (中級) 試験。初級で満点だった以上ここでもそれを狙おうと思ってよく準備し,実際取ることができた。
 21~25日,ハイデルベルク (Heidelberg) に初めて滞在。うち22~24日,現地の音大 (ハイデルベルク教会音楽大学) 主催の "César-Franck-Tage" に参加 (公開レッスンには5月に弾いたコラール第3番を持っていった)。アカデミックな場にいる幸せを久しぶりに感じる。といっても私はミュンスター大学 (WWU) になら大部分オンライン授業とはいえ2021年4月から通っていたわけであるから,これは大いに語弊のある表現だが,実感としてこうだったのだから仕方がない。私は音大 (それも教会音大?) という環境こそが好きなのだろうと思う。

8月

 毎朝大学図書館に通い,充実感のある日々となる (例のウィルス騒ぎなどの関係で,この時まで大学図書館に来ることはできていなかった)。していたことは主に,エッセン (Essen) で受講しているグレゴリオ聖歌講習 (この年のテーマは古写本学Paläographie) の宿題である。
 10月23日に行われる演奏会 (管弦楽,合唱,オルガン) で2曲弾くことになっていたため,たしかこのあたりで少し準備を始めたはずである。2曲のうち1曲 (Fanny Mendelssohn/Henselの前奏曲,ただし後にこの曲を弾くこと自体に大きな疑問が生じ,同作曲者の別の曲に替えることとなった) は易しく もう1曲 (Felix Mendelssohnのソナタ第3番) は大部分既に弾いたことがあるという状況でありながら2か月も前に始めたというのは,普段なら残り時間が少なくなるまでなかなか取りかからない私にしてはずいぶん早いが,5月の経験がそれだけこたえたのかもしれない。まあそれだけではなくて,単に間に合わせるだけでなく (よい曲だけに特に) 本当によい演奏をしたいという思いもあったのは覚えている。

9月

 何日くらいまでかは忘れたが,引き続き大学図書館に通って宿題に取り組む。
 2~4日,ハノーファー (Hannover) で国際グレゴリオ聖歌学会ドイツ語部会の会合に参加。ハノーファーには初めて行ったが,駅も街も明るい雰囲気で,よいところだった。
 引き続きMendelssohn姉弟のオルガン曲に取り組む,がやはり本番が遠いせいかもう一つ能率が上がらなかった。
 19~25日,ベルギー3都市 (アントワープ,ブルージュ,ブリュッセル) とアムステルダムに旅行 (アムステルダム以外は初めて)。1週間だが,私にしては長い旅である。旅というより滞在 (1か月) だった2015年のウィーンを別にすれば,一人での旅行としてはもしかすると過去最長だったかもしれない。この途中,ある夜の23時くらいから翌朝10時台くらいまでホテルのバスルームに閉じ込められる。もちろんつらかったが,実に意義深い経験だった (お願い:祈ることに力があると思う方は,今まさにそういう状況に置かれている人々が必要な助けを少しでも早く得られるよう祈っていただきたい。物理的に閉じ込められていることに限らず,自力ではどうにもならずしかも助けが見えないような状況にある人々,特に自分では祈ることを知らない人々のために)。

10月

 オルガンの本番が迫っていたので迷ったが,ある演奏会の切符を持っていたパリへの短い旅行を決行 (4~7日の3泊4日,といっても夜遅く着いて朝のうちに発ったので実質滞在2日。これでも当初の予定より1日延長した)。帰路アントワープに寄り,2023年1月から長期休館に入る (ことを9月の旅のときに知った) ルーベンスの家を再訪,心残りがないようにした。
 帰ってからはMendelssohnsを仕上げ,23日本番,本当によいコンサートになった (私の担当ではないが,合唱は特に素晴らしかった)。
 大学で音楽学専攻を追加 (神学はそのまま)。
 パリ行きの前から瞬間仏作文を始める。大学のフランス語の授業 (20~30人くらいのクラス) も受けてみたが「これは違う」と感じずにいられず,11月にやめた。

11月

 月の後半からはアドヴェントとクリスマスの準備が本格化してゆく。
 この季節にはよくあることだが,12月上旬か半ばくらいまで精神的に調子が悪かった。ここ数年の経験では,10月によく休んでいるとわりと平気なのだが,今年は (10月頭だけでなく9月下旬にも) 旅行に行ったとはいえその後コンサートの準備があって,結局トータルで疲れてしまったということなのかもしれない。コンサートといっても私は前述の通り2曲弾いただけだが,まああまりキャパシティの大きい人間ではないので仕方ない。

12月

 毎年忙しい月だが,教会音楽の同僚2人が病気になったため,いつも以上に仕事が増えた。ただ,回ってきた仕事の一つは合唱の伴奏で,これは私の特に好きな仕事ではあった。
 忙しいといっても,月の半ばくらいまで精神的に調子が悪かったこともあり,意外とゆっくり過ごしている時間が多かったと思う。それでも何とかなってしまった (というだけでなく,一連のクリスマス・ミサはどれもよかったと思う)。一緒に演奏してくれた奏者のおかげは当然大きい (特に,私にとって最も困難な仕事である曲決めの負担が,ヴァイオリンの人が持ってきてくれた曲を使うことで大いに軽減されたのはありがたかった。クリスマス仕様に編曲したりはしたが)。
 この状況でクリスマス直前期にO-Antiphonaeの訳・解説をnoteに7日連続投稿したのは多かれ少なかれ非難に値するかもしれないが,これでかえって心の余裕を持つことができた可能性はなくはないと思っている。まあとにかく,この12月は基本的に自分に甘くした。

総括・思うこと

 今年は特に本業を (私なりに) よくやったといってよい。仕事量が普段より多かった5月・10月・12月 (とそれぞれの少し前) はもちろんだが,普段のミサ奏楽でも,即興演奏に頼りすぎず既成曲 (簡単なものが多いが) を弾くことを増やすなど,小さな質向上を図ったのは評価してよい。

 旅が多かったのはよかった。旅に出ると,普段忘れている本来の自分を思い出すことができる,と感じる。ここ3か月弱はできなかったが,来年はこの「想起」のためにも,日帰りや1泊でよいからもう少し頻繁に出かけられたらと思う。

 全体としては,こうして振り返って書き出してみるとずいぶんいろいろできた一年だったように見えるが,実際には,時間を十分有効に使ったとは到底いえない日が多かった。これが意味することは何か。私が1年でできることは,本当は今思っているよりかなり多いはずだ,ということにほかなるまい。このことを本気で信じられるかどうか。

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