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年金に代わる共助システム?

今日はどんなネタのnoteを書こうかなと考えていて、ソーシャルグラフと年金というテーマが思い浮かんだので、考えもまとまらないままに吐き出してみる。

共助という意識が薄い年金

まず、共助としての公的年金制度は、日本ではもう成り立たないかもと思っているけれども、そう思う理由は大きく二つ。

一つは、助ける側よりも、助けられる側の人数があまりに多くなってしまっていること。これは日本の人口ピラミッドを見れば明らか。数字的には運用損がどうか論じることが虚しくなるぐらいに影響大。

もう一つは、そもそも年金を自助のように思っている人が多すぎること。今まで年金を払ってきたのにどうして自分は少ない額しかもらえないのか、という疑問が出るのは、年金を積立型の生命保険か何かと勘違いしているからだと思う。

なぜ勘違いが起きるのか

前者は避けられない変化なのでどうしようもないが、後者の勘違いはなぜ起こるのか。勘違いをなくすにはどうしたらいいのか。

年金を払う立場からすると、払ったお金がどう使われているのか不透明で、ただ強制的に吸い取られているように感じてしまい、年金の運用で失敗したり無駄遣いしてるニュースとかを知って怒ってるだけ。逆に、年金をもらう立場からすると、国からお金がもらえているぐらいの感覚でしかない、というのが実情では。

誰を助け、誰に助けられているか、その相手の顔がよく見えないから、そういう勘違いが起きているのかもしれない。

顔の見える共助システム

そのように仮定すると、顔の見える共助システムを作ったら良いのでは、ということになる。自分が払った年金が、この人とこの人に届いている、という形でわかる。その逆も然り。相手が全然知らない人だったらなんだかもやっとするけれど、親族だったり、とてもお世話になった人だったりすると、ポジティブに捉えられるかもしれない。

その、ポジティブを生じる部分が大事かも。その部分を一般化すれば、あるべき共助システムの姿は、良いことをしている人、尊敬できる人、助けなければならない人の顔が見えていて、進んで助けられるシステムであるべきと考えることができる。

それは、密告制度の逆を行くシステムともいえる。応援したい人、助けたい人に対して自分からリンクを張るシステム。応援ソーシャルグラフともいうべき構造ができあがる。ちなみに、リンクを張られる側は、自分の情報をパブリックに公開してもしなくても良いと思う。

そのグラフができれば、全員が税金としていったん一律の金額を納め、毎回プールすることなくソーシャルグラフの重みに基づいて全て分配しきる、というシステムができる。こうすると、全員が納得できる年金の形になるだろうか。

これって、コミュニティのなかではすぐに実験できるかもしれない。特に、シェアハウスは毎月賃料が発生しているので、オーナーの権限で今からでも実験できる。

というわけで、もうちょっと深く考えてから、やってみようかな。

応援と感謝の気持ちが行き交う年金…あれ。これって、クラウドファンディングとか、有料メルマガとか、オンラインサロンとかに近いのかな?

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