バーナム効果に拘束される日々
健康食品のCMで腰が痛くなった。予言の自己成就の概念を知ってから、占いに拘束されるようになった。やりたいことを邪魔される、一週間、占い師が丁寧に言い直したネガティブな言葉に日々が支配されている。ふざけるな。っていうほどやりたいことなどない。そこに主体性もない。お互いの所信表明がぶつかり合う。明日はどのマニフェストで生きるかは知らぬが華。アウグスティヌスの無限反省編。弁証法でいいんじゃないか。思想以前だ。布団圧縮機を体に巻き付けているようなものだ。それで発言権があるのかその時概念は静止画か映画かで変わってくる思考のありよう。ここは希死念慮ではありません、むしろその逆です。詩が生まれない人生は私ではありません。本当に逃げた。
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