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自由裁量時間の中で

はあー一呼吸。涙が出てくるね。ホッとする時間かもね。間がないね。幸せではないのかもね。自分なりにね。落ち着こう。この焦燥感。二重三重の自己分析。これでいいのか24時。焦らない。ふかあい呼吸をする。うんこしたくなってきたかも。コーヒー切れた最悪。でどうするか。真理はある絶対に。それでいける聖域に。一つの簡単なことでタガが外れて、それまで塁に出ていたtodoが一気に吹き出して不安が重くなる。昨日今日の連続で遺言書を書けるフィニッシュが迎えられないというのは見ての通りだ。遺言書が書けられるようになるメンタリティに早くなりたい。見ての通り、冗談じゃないきつさ、冗談じゃない生きにくさをほじくらないと前が見えない。アルコールで生活の異常な呼吸困難を減衰させるように、詩を書いて言葉が現実を塗り替えてくれることはないだろうか、そうあってほしい。そんなこんなで、薄い希死念慮と淡い希死念慮すら次の1秒に先送りされ続ける日常の興奮性が見えざる真理に霞をかけてしまうならば、もういっそ、死の様な言葉が、連想に拍車をかける恣意の自由に身を預けたいと思うのは、今に始まった事ではないよね。詩が略歴を、履歴書を、名刺を浸透していくことができるという(幸福の)予期が。神にこうした状況を設定されている以上、それら全てを解決できるということである。であるからして、今回の自由裁量時間で、いつもの様に、この次の瞬間を攻略するメンタリティを構築する言葉を捏造するというやつをやってみよう。嫌いだけど好きな言葉、サービス、屈従。人間を見ろ、いいことなんかない。

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