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現代社会をどう見るか。 現代社会を生き抜くために。

間違えや、読みにくいところはご了承ください。

インターネットの普及に伴う情報社会化。日本の近代では、メリトクラシーという、学歴をはじめとする手続き的で客観的な能力が求められていた。しかし現代は、メリトクラシーからハイパー・メリトクラシーへと移行していくという。ハイパー・メリトクラシーとは、感情操作能力、すなわち、人間力を重要化した社会状況を意味している。今後、求められるのは、目まぐるしく変化していく複雑な現代社会におい対応できる能力だ。つまり、対人能力や交渉力、そして問題解決能力など、不定形で柔軟な能力が重要化している。未知の問題の発見、そして問題を解決する能力の身に付けが重要だと私も思う。大学の入学試験でも面接のみで合否が決まる大学があるほど、重要視されている。大学のカリキュラムでも、問題解決をテーマとした講義がいくつかあり、ディスカッションやプレゼンの演習を踏まえ解決する能力を身に付ける。そういった、コミュニケーション能力が求められる時代になってきている。私はこういった能力は重要だと思うが、問題点もあると思う。一つ目は、コミュニケーションにはっきりとした基準がないことだ。例えば、大学の入学試験ではその面接官だけに合否を決まられてしまう。合否判定に面接官の主観が入ってしまう恐れがある。点数化できないので、落ちても理由が明確に分からないし、言いつけで誤魔化される可能性すらある。二つ目は、ハイパー・メリトクラシーの下では、育ちや経験によって、不平等になりかねないことだ。メリトクラシーでは同じ教育内容の習得度が推測される。個人が達成した度合いに応じて各地位に配分されていく。つまり、現代を生き抜くためには、メリトクラシーと、ハイパー・メリトクラシーの両方を兼ね備えていなければならないと考える。何にでもなれる現代において、2つの兼ね備えが重要だと考える。現代は、どういう家族に生まれたかによって、人生があらかじめ決められることはない。この何にでもなれる現代社会では、自分が誰であるかを自分で証明しなければならないと思う。私は、自分がやりたいことが何なのかが分かっていない。何にでもなれる今だからこそ、人生を自分で決め、「義務」とか「責任」といったものに左右されず、自分がやりたいこと、自分に合ったものを見つけるというのはとても重要だと思う。それが結果的に自分の証明につながると思う。(979)

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