見出し画像

"AI VS 教科書が読めないこどもたち"ー AI世界の中で人々が身につけるべき能力とはー

久々の投稿になります。“AI VS 教科書が読めないこどもたち”です。
著者は新井紀子さん、数学者で東ロボくん研究開発プロジェクト、プロジェクトDirectorの方です。

本書で述べられていることは、AIブームの中で騒がれているシンギュラリティは来ない。しかし、将来人々の仕事がAIに代替される可能は高く、失業者で溢れる未来は想定される。そのために、人々が獲得しなければならないのは読解力。

というのが主な筆者の主張になります。以下、簡単に紐解いていきながら最後に考察を述べたいと思います。

① シンギュラリティは来ない。(AIの限界)
まず、シンギュラリティ(技術的特異点)とは、

“真の意味でのAIが、自律的に、つまり人間の力を全く借りずに、自分自身よりも能力の高いAIを作りだすことができるようになった地点”

と著者は述べます。自分より優れた人材を自ら際限なく生み出せるようになるというイメージですかね。

しかし、筆者はこのシンギュラリティは絶対に来ないと断言しています。
それは、AIはコンピューターであり、計算であり、数学(数式)だからです。現時点では、“論理的”“確率的”“統計的”にしか認識や事象を数式に還元できないからです。以下、2つの具体例から説明していきます。

<Siriのケース>
これは自分も驚いたので是非試してみてほしいのですが、Siriに
*この近くのおいしいイタリア料理の店は??
*この近くのまずいイタリア料理の店は??
*この近くのイタリア料理以外の店は??
と、質問するとすべての同じイタリア料理のお店を推薦してくるのです。

なぜか、これが数式(統計的)な限界点です。
このSiriに使用されている技術が音声認識技術と情報検索技術という技術なのですが、Siriは後者の情報検索技術を使いならが文章の意味はわからなくても、その文章に出てくる単語と組み合わせから統計的に推測して正しそうな回答を導きだしています。

その統計のもとになるデータは、多くの人が日々Siriに話しかけているデータで、それを自律的に機会学習しています。しかし、Siriに話かけるときに、“まずい”を検索する人はいません。そのため、Siriの統計的なデータに存在していない、つまり重要度が低いとみなされて“まずい”の意味を無視してしまいます。

<グーグル翻訳のケース>
次にグーグル翻訳の例を挙げています。
*私は先週、山口と広島に行った。⇒I went to Yamaguchi and Hiroshima last week.
*私は先週、山田と広島に行った。⇒I went to Yamada and Hiroshima last week.

と、翻訳しています。日本人の方なら2つ目の文章は” I went to Hiroshima with Yamada last week.”つまり、【山田=人物名】だと推測、意味を理解できるのですが、AIはそうではありません。AIは、文法も語彙、常識も学ばずに詰め込まれたデータから統計的に一番良さそうな語順を出力しているだけなのです。

では、データの量をどんどん増やせばよいではないかと反論がありそうですが、筆者が述べる限りそれは不可能に近い。ビックデータのソースがないからです、AIにおいて正答率90%以上を達成するためには、ひとつの問い、タスクにつき最低数十万単位のデータ(教師データ)が必要です。ですが、英語でも新聞の英語、会話の英語、試験の英語は別物で、どんなにツイッターの英語データを取り込んでも、試験の英語と特性が違うので、試験の英語がAIに解けるようになるわけではないからです。

<Sirイのケース>、<Google翻訳のケース>から見えたことは、“AIは意味を理解していない“ということです。これが、現在の数学言語(論理、確率、統計)の限界であり、AIの限界であると著者は述べています。つまり、人間がAIにおいて優位に立てるのは、読解力ということになります。

② 人間にAIに優る読解力はあるのか。

先の内容から、今後AIに代替されない能力は、コミュニケーション能力、理解力、柔軟な判断力となりそうです。


“AIの弱点は万個教えてようやく1を学び、応用が利かない、柔軟性がない。決められたフレームの中でしか計算処理できないことです。つまり、意味がわかないことです。”

しかし、そもそも今の人々にAIに優る読解力はあるのだろうか。この点が、最も筆者が我々読者に警鐘を鳴らしている重要なポイントです。

私も少し考えこんでしまいましたが、本書の問題分を掲載します。
<具体問題>
公園にこどもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていないこどもはみんな女の子です。そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。

正しいのは、以下のうちどれでしょうか。
(1) 男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2) 帽子をかぶっている女の子はいない。
(3) 帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いているこどもは、一人もいない。


正解は(1)帽子をかぶっていないのは女の子だけなので、男の子は帽子をかぶっていることになります。
(2)は、仮に100人(男50人、女50人)公園にこどもがいて、30人帽子をかぶっていないこどもがいたら、その30人のこどもが女の子であるという説明がなされているだけで、残りの20人の女の子は帽子をかぶっており(2)は×です。
(3)も、同様の条件だとすると、男の子はスニーカーを履いていないと述べているだけで、上記の20人の女の子は帽子をかぶっており、スニーカーを履いている可能性があるので×です。

こちらの問題は受験明けたばかりの高校3年生に実施したところ、正答率64%だったそうです。ちなみに、国立大Sクラスで85%、私立大Sクラス66%、私立大BCクラスで50%以下となったそうです。ここで、筆者は多くの日本人は、基礎的な読解力がないと危機感を抱き、全国の中学、高校に依頼して読解力を問うRSTという試験行い、調査を開始します。

諸々の調査内容は省きますが、読解力を問う“RST試験の結果と高校の偏差値”に0.75-0.8の高い相関が見られたのです。これは、“基礎読解力が高いと高い偏差値高校に入れる”ということです、逆はありません、なぜなら中学から高校にかけて基礎読解力の向上が見られなかったからです。

つまり、基礎読解力が進学校、強いては人生を左右すると言えます。

③ 読解力はどのように養えるか。

今後、AIに代替されない能力が“読解力(意味を理解する能力)である。しかし、今の人々の読解力は決して高くない。上記の問題の正答率が64%ということは、端的に36%の人がAIに仕事を代替される可能性が高いということです。

それは、学力や進学校だけの問題ではありません。今後、AIに代替される仕事として候補に挙がっているのは、保険業者、不動産登記の審査や調査、銀行の新規口座開設担当も含まれています。オックスフォード大学の研究チームはアメリカの全雇用者の47%が職を失う恐れがあると予測しています。

では、どのように読解力を鍛えるのか。
筆者はあらゆる調査から読解力と相関のある要素を見出そうとしました。読書、学習習慣、得意科目などです。しかし、残念ながら有意な相関が見られる要素はついに見つかりませんでした。この本で明確な答えは述べられておりません。ただし、筆者は同時に経験則から読解力は養うことができると述べられており、それはまずは読解力がないことを認知し、それをつけるための取り組みを自分なりに試行錯誤していくことで伸ばすことは可能だと、述べられています。

④ 考察(ドラスティックな業界、職業変化・意識して実践の中で身につける読解力)

以下は、自分の考察ですが今後AIの発展に伴い業界、職業の優劣が大きく変化すると感じました。著作の中に、AIに代替されないであろう職種に介護士や看護士が上げられていました。人の気持ちを読んだり、意味を汲み取ったりことが必要だからです。患者さん一人一人に対してのアプローチは当然違いますでしょうし、AIにはそのようなデータがとれないから代替されないのです。一方、銀行の与信審査等は代替されるかもしれません。

つまり、AIが世間や世界における仕事の価値や常識を覆す可能性があります。そうなると、社会構造自体の変化も付随してきます。価値のある人材の評価基準が変われば、それを輩出する教育システムも変わらざる得ないからです。このような大きな変化があと数年で起きるかもしれません。

その際に読解力(意味を読む力)をどのようにつけていくかですが、意識して実践の中で身に着けていくことかと感じました。例えば、上司から仕事の指示をされたときに上司の期待と自分のアウトプットがずれている時ってあると思います。そういう局面をなるべく減らすようにする、指示を受けたあとに上司の期待(意味)と自分の解釈(読解力)の確認を取るなど、日ごろの中で、もしくは友人との会話も含めて意識して確認を取る作業を行う。

また、メモを取る、このようにブログを書くことも大事なように感じました。例えば、授業、読書、仕事の内容のメモを取る、書くということは自分の理解(読解力)を表面化する行為です。おそらく、そのメモが自分で見て理解できなければ、読解力がないということになります。そのため、自分の理解をメモやブログを取りながら具体化していくことで読解力を磨いていくことは可能なのではないかと感じました。

最近、ブログの更新できてないので読解力を養う意味もこめて、更新回数を上げていこうかと本書を読んで感じました。究極的には、国語力が今後の人生を左右する大きな転換点になりそうです。

noteを通じてサポートし合えたら嬉しいです!!よろしければサポートお願いします!noteを通じて、少しでも良い人生、良い世界に。