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ありがとう

昨年、働き方研究家として活動している西村さんの話を聞く機会があった。
その中で印象に残る話がありすぎて、早速翌日に西村さんの本をいくつか購入した。読んだ本は「自分の仕事をつくる」と「自分をいかして生きる」の2冊。

講演の中でも「その人が見える仕事をしようよ」という話がでた。商品そのものに作った人が投影されるような仕事のことを言っていたと思う。そして、「自分をいかして生きる」という本の中にはこんなことが書かれていた。

手がけた仕事に対して、「面白い」とか「興味深い」ではなく、「ありがとう」という言葉が返されてくるとき、そこに込められているものを大切にしたい。

それを今日ふと思い出した。

「ありがとう」という言葉はこれまで随分言ってきたつもりだ。若い頃からの習慣になっているのでもう癖のようになっている。誤解のないように書くと相手に対して「ありがとう」と言うときは心からそう思っている。信じてほしい。

一方で最近「ありがとう」と言われた記憶があまりないことに気づいた。人生において、こちら側からいう方の「ありがとう」の方が圧倒的に上回っている。感覚的に8:2。こちらから言う方の「ありがとう」が8だ。相手からの「ありがとう」を聞き逃しているだけかもしれないのだが、それはそれでいいのではないか。

そう思っていたら、「ありがとう」という言葉の意味を西村さんが書いていた。​

これは人の <あり方> に向けて戻されている言葉だ。「有り難い」「そのようにはありにくい」「あまりないことだ」という、感嘆を含むフィードバック。

「ありがとう」は、あなただけの仕事、唯一無二の仕事に対して変え難いという意味に対する驚きと感謝の気持ちが込められた言葉。そういう意味だとしたら「ありがとう」を受け取っていないことをどう考えればいいのか。

本当に「ありがとう」をいただけていないのであれば、出会う人に対して「感動をしてもらえる、わたしだけのかけがえのない仕事」をしていないのかもしれない。相手にそれが伝わっていないのであれば、まだまだ仕事に対する真摯さやプロ意識が不十分なのではないか…… そんなことを考えた。

明日から少しずつでも「ありがとう」をもらえる仕事を目指したい。そう認識できただけでも今日の収穫だ。それに気づけたことに感謝したい。

「ありがとう」

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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