2020年のこと。2021年からはじまること。
毎年書いている年間の振り返りと来年に向けた自分に対するささやかな期待。それを今まさに書いているのであるが、今年は自分の気持ちを大きく変えた出来事がふたつあった。
ひとつは大きな怪我をしたこと。少しでもタイミングや方向がズレていたら死んでいたくらいの事故だった。もうひとつは新型コロナウイルス。このふたつの出来事がほぼ同じタイミングで自分の人生に降りてきた。
新型コロナウイルス感染者数の最初の大きな波が県内であった頃、人生初の手術をした。このnoteにも少し書いたが、会社のチームにも大きな負担をかけることになってしまった。それは、肉体的にも精神的にもだ。精神的な苦痛がいちばん堪えるということをチームのみんなに負担をかけているのが自分であるにも拘らず、わたし自身が痛感していた。
そのことで自分の感情をコントロールできなくなり、さらに負担をかける結果になったことは深く反省しているし、心身ともに健康でなければ関わりのある多くの人に負担をかけてしまうのだということを今更ながら気づいた。気づくの遅いよ。
これまで、24365仕事のことばかり考えてきたような気がする。ほんとうに起きている間仕事の事ばかり考えていて、何よりも仕事を優先していた。他者にも知らないうちにそういうことを強制していたかもしれない。いや、そういうつもりはないが、自分の動きからそういう負のオーラを醸し出してチームのみんなや関わる人に無意味な圧をかけていたのかもしれないと感じている。
わたし自身は仕事は楽しくやっていた。だからポジティブな雰囲気を作っているつもりだった。その思い込みが、他者に対する目くばせやちょっとしたおしゃべり、人間関係の心のあり方、考え方に違いに寄り添ってあげられなかった。全ては、わたしの勘違いが要因である。
しかし、なんでこんなに仕事が楽しかったのだろう。「仕事が楽しい」と思い込んで自分自身を洗脳していたのかもしれない。これまでの自分の生き方を否定し、これからの人生をすごい角度で変えてしまう危険な事実に気づいたのではないかと思いはじめている。危険?むしろ気づいてよかったのかも。
今年の1月から怪我をする3月までは、比較的昨年同様に忙しくしていた。出張も多くこの3カ月で14回も飛行機に乗っている。1月の久米島への取材出張から2月のワンフェス参加。そして、内閣府総合事務局主催のセミナー「経営とデザイン」に登壇。この登壇が今年の大きな仕事のきっかけになった。
そして息子の受験への同行など。その後、息子は志望する大学に合格した。息子ながら尊敬しかない。
作家の真山さんの講演を聞いたのち真山さんとメールのやりとりさせてもらい、御本を送ってもらったりお近づきになれたのは今年の素敵な出会い。
そして、3月26日に怪我をしてしまった。その日に大事な約束もあったのに。
それからは、仕事場へは行かず自宅でリモートワークをしていた。リモートワークをする前から眠っている時間以外は相変わらずずっと仕事をしていた。病院にいる間もずっと。リモートワークになってからは、さらに加速して仕事のことばかり考え続けていた。
世の中の状況が不安定になり、働く環境も激変し、自分が思うように動けないことの焦りもあったのかもしれない。仕事に対する思い。チームのみんなへの思い。ひとりで考える時間が多くなり、ひとつのこと深く考え過ぎていた。そういうことは苦手なのに。
仕事のアイデアを思いつくといつものようにチャットでそのことをポストしていた。それを受ける相手には返信不要とは伝えていたが、時間帯関係なく送られてくるメッセージは受ける側としては、さぞかし苦痛だったのだろうと今となってはは思う。というか直接苦痛だと言われたのがわたしにとって救いだった。ヨーロッパだったらハラスメントで訴訟されてクビだったろうな。その後時間帯を決めることで、今はある程度解決できていると信じている。
とにかくひどかった。この時期がおそらくこれまでの人生でいちばん病んでいたのかもしれない。
そして4月24日に人生初の手術。
自分では認識できていなかったが、ストレスなのか焦りなのか悲しみなのかわからない溜まった感情のようなものが、怪我や手術後の入院生活などで一気に溢れるように吹き出てきて止まらなくなってしまった。入院していたときのベッド。片手が使えないにもかかわらずデバイスの数が異常。
退院してから大きな装具が外れるまでの間はリバビリをしながら自宅でリモートワークを続けていた。その間、新型コロナウイルスの県内での蔓延を受けてチームのメンバーもリモートに移行。チームのみんなも慣れない中仕事は増える一方なので大きな負担がかかったと思われる。いやかけてしまった。が、ほとんどサポートらしいことはできなかった。むしろ良かれと思ってやったことが全て裏目に出てしまった。ほんとうに残念。
6月後半ににやっとリアル職場復帰。腕は釣ったままだが、一応仕事らしいことはできるようになった。リアル職場に復帰した初日にメンバーを集めてチームが生まれた時に作った夢物語だらけのチームポリシー「メディア戦略室ポリシー」の廃止を決めみんなに伝えた。廃止には誰も反対しなかった。理想だけで無理なことをみんなに強要してしまっていたのだ。反省が多い。
夏に向かうと仕事をすることで生活にリズムが生まれたのか仕事以外のことにも関心が向くようになった。出張が全くなくなって自由な時間が増えたのもひとつの理由だ。気がつくとあまり仕事のことばかりを考えることがなくなりつつあった。仕事のことは今も毎日考えているが、ずっと考えていることはなくなった。心が少し軽くなったような気もする。
8月ごろからやっと家のことに関心が向くようになった。驚くことに家のことについて知らないことがあまり多いことに気づいた。なんてことだ。まずは部屋の掃除からはじめた。所有物でいちばん多い書籍の整理を同時にすすめた。しかし、本が多い。いったい今年は本棚をいくつ作ったのだろう…。
部屋が片付いたら今度は生き物を飼いたくなってきた。近くの川に行ってグッピーや手長えびを獲ってきて使わなくなったタライに飼いはじめた。
その後、10年以上も前に使っていた水槽を綺麗にしてホームセンターでひと目ぼれしたヒレナガ鯉や金魚など数種類の生き物を飼うことになった。元々親が動物好きで魚や小動物を飼っていた。わたしも小さい時から大好きだっったのだ。忘れていた生き物に対する愛を思い出していた。そして、夕方に魚を愛でながら音楽を聴きながらビールを飲むのが気持ちよかった。しばらく味わったことのない開放感のある最高な気分になっていた。
あまり関心のなかった植物も好きになっていた。思えば物心ついた時から家には植物が溢れていた部屋の中には常に花が飾られていた。しかし、これまでなぜか全く関心がなかったのだ。せいぜい人にお花を送る時に花にふれる程度。タイミングは家族の病気だ。母が手術をした。入院している間に母が飼っていた魚たちと庭にある植物に水をやったり管理のようなことをしてから花や植物が美しいと感じるようになった。心にそういう気持ちになれるスペースが空いたのだと思う。植物を世話しているつもりだったのに逆に植物に癒されていたのだ。
花どころかサボテンや野菜も育てはじめていた。さらに水草にも興味を持ちはじめた。気がつくとDIYで花壇を造りベランダを整理して植物をたくさん育てるようになっていた。夕方になると、ベランダでお気に入りの音楽を流して魚が泳いでいる姿や植物が風に揺れる様子、そして美しい空を観ながら飲むビールがあまりにも美味しかった。わたしはこれを勝手にベラフェス(ベランダでのひとりフェス)と呼んで楽しんでいた。
9月2日にはFacebookのWorkplace from Facebookの活用事例を紹介するWebinarに登壇。初Webinarで参加者の顔が見えない難しさを痛感。でも、いい経験になりました。Facebookの宮原さん、ありがとうございました。
9月中旬、共同通信社の編集委員であり作家の橋本さんから「本の発売日が決まりました」と連絡がはいった。実は、昨年11月に取材を受けいてその内容が本が数ページ掲載されているのである。新聞広告にはデジタル時代にファンを呼ぶ「DJバンカー」と書かれていてウケた。
ほぼ同時のタイミングで沖縄県立芸術大学の非常勤講師も決まった。前にも何かに書いたが、人生でやりたかったことのひとつが大学で教えること。最も教える(偉そうにすみません)ことをしたかった大学が沖縄県立芸術大学だった。あまりにも嬉しい。もうすでに数回授業はしたが、とても楽しい。生徒には満足してもらえるよう全力を尽くしていきたい。実は芸大の学生をチームにスカウトしたいとひそかに思っている。
9月にはチームメンバーの昇格が決まった。これで楽年から今年にかけて全員が昇格したことになる。嬉しいできごと。久しぶりにチーム全員でお祝いをかねた食事をした。その際に予想外に自分の復帰祝いの品もいただいた。ありがたいことです。
新しいゲーム番組の提供もはじめた。11月には「捨てられる銀行4 消えた銀行員」の著者橋本さんがジュンク堂書店でトークイベント。そのイベントのゲストとして登壇。そのあと橋本さんの書いた記事が全国の地方紙の記事になって全国の方から連絡があった。メディアの力はすごい。沖縄では琉球新報さんが写真付きで取り上げていた。写真チョイスのセンスがいい。
12月には新型コロナウイルスの影響でできなかったイベントを集中して実施。勤務先の建物の建て替えにより勤務先も仮本店ビルに移った。そのタイミングでラジオジャックのイベントを実施し1年間かけてすすめてきた「りゅうぎんロボファミリーのカプセルトイ」の発売をリリースした。一緒にやってくれたスタッフが頑張ってくれて発売まで実現。とても嬉しいできごと。
そう、2年間あたためてきたりゅうぎんロボファミリーの新キャラクター「ミセスりゅうぎん」もラジオイベントの日にお披露目した。
最後に今年ハマったことを書いてみる「植物を育てること」「花や植物を愛でること」「魚を育てること、愛でること」「エビを育てること、愛でること」「水草をそだてること、愛でること」「家具作り」「薫製」「掃除」「月をみること」「星をみること」「顕微鏡で小さいものをみること」「写真」「DJ」「マンガ」「読書」。こうして描くといろいろやってるな。あ、そうだ12月に13年乗ったエクストレイルをキックスに乗り換えた。ありがとうエクストレイル。
最後の写真は来年はじめることのヒント笑
人生はバランスだ。想定外のことが起こるし、悪いことがあれば、いいことも同じくらい体験できるようにできている。いいことの喜びを大きくするために悪いことがあるようにさえ思えてきた。
こうして書くとコロナ禍で何もできていないようで、いくつかの貴重な体験をした1年だった。間違いなく記憶に残る1年になるのだろう。
大袈裟に書けば人生観が大きく変わったような気がしている。生き方。家のこと。家のことで知らないことがこんなにあるなんて…。これからも多くのことを知ることになるだろう。なぜこんなに多くの犠牲をはらって仕事にのめり込んでいたのだろう。今でもはわからない。
時間という命を仕事に捧げすぎていた。それで寂しい思いをさせ続けていたことも事実。いや、ほぼ諦められていたという表現が正しいのか。会社は会社でチームスタッフにも迷惑をかけた。自分が費やした時間や働きが会社にも思うほど貢献していないのだろう。評価通りだ。
つまり、なんにもうまくいってなかったのだ。
今後は、自分にできることだけをしたいと思う。無理せず、あまり首を突っ込まず。自分の範囲内を丁寧にゆっくり仕事をしてみようかと思う。そして、やはり楽しいことをたくさんしよう。何かをする時に「それをすると気持ちいいか?」と自分に問いかけよう。
毎年1年を生きる指針みたいま言葉を書いている。来年はどうしよう。あまり変わり映えはしないし、それを掲げたらできるのか、意味があるもかも不明だが、まあとりあえず書いてみたい。
「楽しいことだけをしよう」
この言葉にしたいと思う。
100%楽しいことだけやって生きることは難しいかもしれないが、楽しみを見つけていこう。やって気持ちいいことをしよう。極力クソ仕事を排除して、イケてる仕事をしよう。ひとりの時間を多く作って自分をメンテナンスしてみよう。そんなに強くないということに気づいたのだから。
今年はとてもたくさんの方にお世話になり、ご迷惑をおかけしました。懲りずに今年もお付き合いお願いします。ありがとうございました。
では、みなさまも良いお年をお迎えください。
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