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ウインドウから見える誰かへ

東京で飲んだあとはよく歩く。歩きながら街を見るのが好きだ。でもほんとうに好きなのは「お店の中で働いている人を見ること」かもしれない。と、自分で気づいた。

あまり遅い時間じゃない夜に街を歩いていると営業時間は終わったけどけど中に人がいるお店や閉まりかけているお店から光が外に溢れている。その中にいる人を見るのが好きだ。

例えば、美容室が閉まったあとひとりで掃除をしている人。一生懸命カウンターで伝票とニラメッコしている人。チームでミーティングしている人たち。そういう人を見るたびに、物語を勝手に想像している。ほんとうに勝手に。

そのショップの従業員は掃除をしていた。見た目はショップに合った服の着こなしをしていた。例えばその子についてこんな妄想を。

実は田舎から出てきたばかりでファッションのこともよくわからないのだが無理して精一杯のオシャレをしている。背伸びして買った服の出費がキツくて「あー、給料日早く来ないかな」なんて考えながら掃除しているんだろうな。

歩きながらの妄想なので短い時間なのだが心の中でそのその子を「がんばれよ」って励ましていた。ほんとうに勝手に。

人は誰でも存在そのものが誰かに小さな影響を与える生き物なのではないかと思う。そういう風にみんなで影響をシェアしている。全く無意識にやっていることが誰かが見て感動しているとか。気持ちが少しだけよくなったとか。逆もあるが。

そんなことを考えていたら会社で人を励ます時に「必ず誰かが見ているから」とかける言葉は嘘ではないような気がしてきた。会社の中では見ている人がいなくても、知らない人が見ている可能性はあるから。その人に何らかの影響を与えているかもしれない。そのように考えると少し救われる気持ちになるのかわからないけれども。

自分はどうなんだろう。人に影響を与えているとは思えないし、そんなことはあまり興味がないけれども。

久しぶりに会った人が自分のことを「はじめて会ったとき、すごく楽しそうに仕事のことをしゃべる人だと思った」って話してくれた。

それでいいじゃないか。そういう生き方しかできないのだから。と、自分自身を納得させた。勝手に。

おわり

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