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誕生日ディズニーに、行ったぞ!主に美女と野獣の感想🌹

行ったぞ!
というか、連れて行ってもらいました。彼氏に。

私は人付き合いが苦手で、中途半端に仲のいい人と出かけるのが大嫌いということで有名
ましてや人混みなんて、人生で3番目ぐらいに嫌いな出来事なので、ディズニーに全く縁のない人生をここまで送ってきてしまいました。

逆に言うと、ほぼ初見で全てのアトラクションを体験することが出来たので、大人になってからこの体験ができたのはわりと貴重な人材なのかもしれません。

中でもいちばん感動したのは、美女と野獣です。
あれはすごい。
本当に。

私たちは激混みの日曜に行ってしまったので1時間半ぐらい待って乗ったのですが、マジで余裕で待つ価値ありました。
私たちが終わったあとも長蛇の列が続いていたのですが、その並んでいる一人一人に「マジで待つ価値あるんで、最高ですよ」と伝えてあげたい気分だった。これを前情報ゼロで見られたこと、人生の誇り。

まず、始まる前のプチ前座みたいなショー(プレショーというらしい?)がこれからどんなことが始まるのか、ワクワク感をさらに高めてくれて最高だった。

私はスマブラやマリオカートなどで、ドンキーコングなどを大喜びで選ぶタイプの人間なので、野獣バージョンの王子が本当に大好きなのですが(ディズニーを知らなすぎる私でも、キャラクターのビジュアルはさすがに知っています!)、あのデカさと、フサフサを、早速見せつけられて大興奮しました!しかもかなりリアルに動いている!すごい
ベルも相当リアルに作り込まれているので、相対的に野獣がどれだけでかいか伝わってきます。でかい獣大好き

あと、ディズニープリンセスの物語についてももれなく詳しくないのであまりよく分からないのですが、ベルは聡明で自分を強く持っていそうなので一番好きなプリンセスです。



そしていよいよアトラクションゾーン。
最初に乗り物をみた感想は「デカルンバ……」だった。
さすが新しく出来ただけあって、ディズニーランドの中でも1番の最新技術の見せどころという気合いが、最初の挙動だけでも伝わってくる。

いざ乗り込んでスタートすると、思ったより速い!し、機体の回転がまさに"あの"ダンスシーンのために考えられたのだろうなというような動きで、その時点であのシーンをどう体験できるのかワクワクが止まらない。

最初の部屋は、ベルと食器たちとのディナーを楽しむ場面なのですが、ここで私は本当に泣きそうになりました。
美女と野獣のお話を詳しく知ってる訳でもないし、ディズニーが好きな訳でもないけど。

本当に全てが緻密に計算されていて、ここが機械仕掛けで用意された場であることを思い出させる隙が一瞬たりとも存在しない。
それだけで、このアトラクションを制作した人たちがどれだけ美女と野獣という作品を愛しているのか、どれだけ本気で取り組んでいるのか。
場面の盛り上がりに伴って、この場を作り上げている人達の想いみたいなものに包まれていくような気がして、涙をこらえるので必死でした。

その後も驚きの技術の連続で、すげぇ!すげぇ!となってる間にあっという間に王子とベルのダンスシーンに……
中心でふたりが踊っていて、周りを私たちがくるくる回っているような構図になるのですが、ここの機械の挙動が本当にすごい。(さっきから、本当にすごいしか言っていませんが、本当にすごいと思ったのです。)
これはもうあらゆる人間が100万回言っていると思うのですが、ありのままの私の感想を今ここに書き記します。
中心のベルたちを常に見せる挙動ではなく、回転しながらベルたちを見ることで、ワルツやダンスでよくある、顔を残したままターンする様子が自然に再現出来ていることに大興奮しました。
回転の挙動に合わせてアトラクションを楽しむだけで、自分たちもそのダンスパーティーの一員になっているのです。

あとは、ほかの体験型アトラクションでは、自分と同じ機体に乗った人達の存在しか意識されない、もしくは、自分たちだけの世界を作ることをかなり意識しているように感じますが、この美女と野獣だけは違いました。
そこに参加する何人もの人を隠すことなく、むしろ、他の人と共に物語を巡っていくような構成になっているのです。
この仕掛けが、まるで自分たちが2人を取り囲んでいるモブなのではないかと錯覚させるのです。
彼女たちの一挙手一投足で一喜一憂した、物語の一部分として私たちは2人をダンスで祝福し、アトラクションは幕を閉じる。なんて完璧な構成なんでしょう。

おそらく、私がもし美女と野獣のアトラクション開発を頼まれたチームの一員だとしたら、間違いなくあのダンスシーンをどう構成するか、ということを最重要事項として考えるに違いありません。

あの場面を最も効果的に見せるためには、どのような乗り物が最適だろうか?と考えた時に、回転するコーヒーカップのような乗り物というのは非常に素直な発想で、だからこそ、あそこまで究極に計算され、完璧な挙動をすることが、どれだけの執念と愛情であるかを想像した時に、私は恐ろしくなるのです。

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