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神さま、仏さま、孔子さま

その連絡があったのは、春の初めのとある水曜日、午前10時を少し回ったところだった。

毎週水曜10時に定期訪問する得意先の駐車場に車をとめていたときだったから、間違いない。

スマホが振動していることに気づき、手に取ると「南児童相談所」の表示が目に入り、うひっと思わずのどから変な声が出た。

お願いだから切れないでとあわててシフトをパーキングに入れ、サイドブレーキを踏み、通話ボタンをタップする。

「もしもし瑛子さんの携帯でよろしいですか?南児童相談所の谷田部です」数ヶ月ぶりに聞く担当さんの声だった。

はい、大丈夫ですと答える。

「よかった、通じて」谷田部さんの声がいくぶん弾んだように聞こえる。

「たぶんお仕事中だから通じないかなとも思ったんですけど、早くお伝えしたくて。実は委託の話なんです。先週生まれて昨日退院したばかりの女の子なんですが…」

鼓動がトゥクンと跳ねるのを感じた。

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私たち夫婦は結婚後子どもを望んだが叶わず、特別養子縁組で子どもを迎えることを希望していた。

県から養子縁組里親の認定を受け、子どもの委託を待つ「待機」の状態になってすでに半年、児童相談所からの連絡を待ち望んでいた。

「あっ、あのちょっと待ってください。メ、メモを取らせてください」

ボールペンを取ると、先週生まれた女の子、昨日退院と書いた。手に汗がじんわりにじむ。

谷田部さんは産みのお母さんについてなど赤ちゃんの事情をざっと説明した。
「もし興味がなければ今ここで言ってください。次の候補者の方に連絡しないといけないの…」「で」が発音されるかされないかの瞬間には言っていた。
「あります!興味あります!」

一度お家にうかがって詳しい話をさせてください、あさっての夕方7時頃ご都合はいかがですかと問われ、お願いしますと返した。金曜7時と書き足すと、握りしめていたメモ用紙が手の汗でヘロヘロになっているのがわかった。

通話を終えると、ふぅぅと息を吐き、でへへとゆるみそうになる口元を引きしめ、得意先へ急いだ。

油断するとふわり舞い上がりそうになる思考をグイグイと押さえ込み、1時間ほどで得意先での仕事を終えた。

車を走らせ、県道沿いのいちばん近いコンビニにとめる。

夫にメールした。

「谷田部さんより連絡あり。委託の話。先週生まれた女の子だって!!」

いったん送信し、続けた。

「あさって7時に家に詳しい話をしに来てくれるって」

沸き立つ興奮を抑えきれず、さらに続けた。

「孔子さま、すごすぎじゃない?2日で願いを叶えてくれたよ」

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特別養子縁組で子どもを迎えるには2つのルートがある。
ひとつは公的な機関である児童相談所、もうひとつが民間あっせん団体である。

児童相談所からの委託実績は年間数件しかなく、私たちは民間あっせん団体にも登録しようとしていた。

第一希望の民間団体の一次面接を受け、結果が出るまでに2ヶ月かかるとわかったとき、ひらめいてしまった。

これはチャンスなのでは?
2人で旅行する最後のチャンスをいただいたのでは?

結果待ちのあいだに旅に出ようぜと提案すると、夫は1ミリも悩んだ素ぶりを見せず、いいねと賛同した。

子どもを迎えるときのために有給休暇を残しておこうなどという計画性を持ち合わせていない私たちは台南へ4泊5日の旅に出た。

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春の台南は最高だった。

ブリをさらに濃厚にしたような風味の魚サバヒーの身をまるごと1匹トロッとのせたお茶漬けみたいなさらさらお粥、ぶ厚い食パンをくり抜きクリームシチューをつめてカリッと焼いた棺おけトースト、新鮮な生の細切り赤身牛肉に熱々スープを注ぎ針生姜を添えて甘辛だれにディップしていただく牛肉湯などの庶民のグルメをひたすらお腹につめ込んで、毎日2万歩近く歩き、毎晩マッサージに通った。

旅の4日目、明日帰国という日の夕方に孔子廟を訪れた。

自称20代の頃の愛読書は論語の夫が行きたがった場所だった。

孔子廟は学問の神様である孔子さまを祀る。
廟(びょう)という仰々しい名がついているが、青々と葉が生い茂る背の高い木々が豊富な日陰を作り、点在するベンチの居心地をよくしている地元民の憩い場である。

庭を抜けて本殿への赤茶色い門をくぐって進むと、5,6歳くらいの女の子とお母さんらしき女性が机に向かっている後ろ姿が見えた。

近づいてこっそりのぞき込むと女の子は黄色いお札のようなものに何か熱心に書いている。

そこへドヤドヤと観光客の団体がやってきた。

観光客を率いるガイドさんの説明によると、黄色いお札に願いごとを書いて納めると願いをかなえてもらえるらしい、神社の絵馬のようなものだろう。
台湾のことばはまったくわからないのにこのときだけは不思議と理解できた(気がした)。

これは書かないわけにはいかないじゃないか。

黄色いお札と対峙した。

観光客の台湾人のおばちゃんたちとの争奪戦を勝ち抜いた鉛筆をにぎる手に力が入る。

いいのか、学問の神様にこの願いごとはいいのかという心の声(いやあれは夫の声だったかもしれぬ)は無視して書いた。

「かわいい子とのご縁がありますように」

孔子さまに願い人の存在がきちんと伝わるように自分のフルネームも添えた。

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その願いは2日後、遠く日本で叶えられることになる。
帰国翌日、仕事中に受けた電話によって。

孔子さまは本業でない願いごとも聞いてくださる懐の深いお方なのだ。

さすが、孔子廟!
台南随一のパワースポット!(独自認定あしからず)

しかし、よくよく考えると本当にご縁としかいえないものを感じる。

もし、赤ちゃんが産まれるのが少し早まっていたら、旅行の日程が数日ずれていたら、私は谷田部さんからの電話を受けられなかったかもしれない。

谷田部さんは連絡が取れないとあきらめて、別の候補者に電話をしていたかもしれない。

これ以上ない、絶妙なタイミングだった。

自分の意思とは関係なく、産みのお母さんのもとを離れ、ゆかりのない新しい家族とご縁を結ぶ赤ちゃんがいる。

黄色いお札でその存在を知った孔子さまは一肌脱いでくださったのだ、きっと。

赤ちゃんとの暮らしが始まり、季節が一巡りしたこの春、特別養子縁組が成立し、赤ちゃんは私たち夫婦の戸籍に「長女」として加わった。

いつか赤ちゃんといっしょに孔子さまにお礼を伝えに行く。絶対行く。

「赤ちゃんとのご縁をつないでくださり、ありがとうございます。赤ちゃんはとてつもなくかわいいです」

#キナリ杯
#特別養子縁組

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