妊娠して出産して母になろうとしてる話

ひとつ前の記事にある、2月の抱負はおおよそ達成されなかった。読書せず勉強せず運動もせず、日がな一日ねこと戯れ、Instagramや YouTubeやNetflixを観て暮らしていた。でもたまーに、本を開きテキストをノートに写し散歩やストレッチをしていたし、ゆるやかに達成できた、かも。そもそも抱負っていうのは、達成するためにたてるものなのだろうか。達成しなくたっていいじゃないか。たてたときにやる気がでれば。

さて。1ヶ月前に子どもを産んだ。暇な2月は産休に入っていたからだった。私たち夫婦にとって、初めての子どもである。

妊娠に気づいたのは昨年の夏で、子の心拍が確認されたのはなんと、静岡に転居する要因となった、主人の転職活動の結果がでる前日だった。5年前の結婚式をした頃、2人芝居と新婚旅行と引越しと新車の購入を一度にしていて、主人と、人生の転機まとめてきちゃったね〜と話していた。またか。ちなみに実父と実母には心拍確認前に、赤ちゃんがいるかもしれないしいないかもしれない、そして静岡に転居するかもしれないししないかもしれない、と報告した。不確定すぎる。結局、子の心臓は動いていて、私たちは静岡に転居することになった。
人生の転機、また一度にきちゃったな〜。きちゃったって、私たちが動かしたことなのだけど。

妊娠と引越しの相性は最悪だけど、奇跡的なことにつわりが軽く、想定よりも負担はなく無事に引越しを終えた。つわり、つわりを私が語るのは気が引けるくらい軽かった。全くなかったわけじゃなく、そりゃ気持ち悪くて職場でキャビネットの陰に隠れてコソッとオエっと声を漏らすこともあったけれど、酷かった友だちの体験談に比べると屁でもないことは明らかだった。食の好みが変わるっていうのは、梅干と豚汁が食べたい日がちょっと続いて終了した。とにかく引越し作業や、仕事のリモートへの転換作業に支障をきたすことはなく、安定期に入る秋に静岡へ移った。

安定期に入りお腹もちょっとずつ出てきた。身体の拡張工事により不調が出る日、出る週もあったけど、やはり概ね何事もなく妊婦生活は過ぎていった。しっかり考えれば嫌なことや苦しかった時間もあったのだろうけど、妊娠中のネガティブランキングを咄嗟に発表するなら、第一位は生卵が食べられなかったことになる。すき焼きに生卵がつけられず、かなり悲しくなった思い出が強烈に残っている。友だちが温泉卵はセーフ、としていたので次に妊娠するときは温泉卵ですき焼きを食べようと思った。例えば切迫流産だとか、赤ちゃんに何かあったらと日々不安や悲しさ苦しさと向き合い続けなきゃいけない状況と比べたら、こちらも屁ではない。

とにかく何にもなく平穏に過ごしていた、な書き方になってしまったけど、小さな不安は砂浜で足の指の間に張りつく砂のように、まとわりついていた。たくさん検索した。マタニティ・ブルースで死産した妊婦を描いたけれど、私の子もそうなってしまったら…と3億回頭に過ぎった。もう今後は、実現しても良いようにハッピーなことしか起きない話だけ書こうと思った。宝くじが当たるとか。

小さな不安と共に月日は過ぎ、いつの間にか妊娠後期となり、里帰りする時期が近づいてきた。大きくなってきたお腹と共に、ベビー用品を揃え、子を迎える準備を着々と進めた。しかし時々たまに、本当にこのお腹に生命がいるのかと、信じられない気持ちになった。うにょうにょと胎動を感じたり、エコーで顔を見て鼻がシュッとしてる!とはしゃいだりしたけど、ふと本当にここにいるのか?と疑う気持ちになった。壮大なドッキリなんじゃないかと。茨城と静岡と栃木の病院が総出で、大掛かりなドッキリが仕掛けられているのではと。自分の体内に別の命があることは、里帰りで栃木に戻り、臨月を迎えてからも奇妙だった。無事に育っているかどうか不安は感じるのに。
男とは違い女は、十月十日かけて母になるというらしい。お腹にいるから実感ができる、の理屈は分かるけど、母になる自覚はなかった。正直。諸々の準備も、何にもできない産まれたての生き物がこの世に出てきたときに、必要なことだと思ってやっていた。母だからとか、どうとかではなく。

その調子でとうとう3月25日、予定日の3日前になった。その日は朝から不規則なお腹の痛みが続いていた。定期的な短い間隔でお腹の痛み、陣痛がきたら病院に電話、だったので家にいた。散歩をしたり猫とグラウンドゴルフの球でサッカーしたりしながら、たまに痛みがきたら深呼吸をして逃していた。
夕方、今までにない痛みがキュウっときて、落ち着くはずが、張ってる感覚がずっと続いた。1時間が経った。胎動も感じられなくなった。病院に電話しようか。こんなことで、と思われるかな。少し怖気付いた。でも、お腹の子に何かあったとしたら。そう決心して緊張しながら病院に電話した。思い返せばここで、母の自覚が芽生えた気がする。遅すぎるかもしれない。でも私はここだった。
ちなみにこの判断は正しく、子が、苦しい状況にあるかもしれないと入院になった。

陣痛促進剤、帝王切開、麻酔、あらゆる可能性の説明を聞いて入院した。今夜様子見て、明日の朝に判断しましょうと言われたが、その3時間後には分娩台に上がっていた。想定より子が苦しそうだから帝王切開にしましょうと言われ、分娩台に上がったらお産の進みが良いので自然分娩でこのままいきしょうと言われた。展開が早すぎる。今思い返すと私の脚本くらい展開が早い。サッサと進みすぎでは。急展開すぎる。そのうえ、痛くて「痛い!!!!!」と叫び、いきみたくて「いきみたいですぅ…」と助産師さんに懇願し、セリフが単純すぎた。もっとこう例えば、痛みを「もう嫌だ!!!無理だ!!!」と拒否することで表現するとかなかったのか…(例えも上手く浮かばない)。そのまま、あっという間に産んだ。23:18。子が出てきた瞬間も「良かった〜」だったし、ほんとにあと少し、産まれた瞬間に間に合わなかった主人が入室してきたときも(これは結構ドラマティックだった)「産んじゃった〜」と声をかけた。単純過ぎておもしろい。
苦しい状況にいたけど、無事元気であることが確認された後、子を胸に抱かせてもらった。小さくてあったかい、子。ドッキリじゃなかった…本当にいたんだ…。感慨に浸った。そして、初めての言葉を贈った。子へ最初にかける言葉、子が産まれて初めてかけられる言葉はこれにしようと、決めていた。『ハリーポッター』で、母のリリーが最期にハリーへ贈った言葉。ハリーを護り続けた言葉。これも単純な言葉なのだけど。この子の一生も、この言葉に護られ続けて欲しいと心から願った。声に出してみると、その願いはより強くなった。母の芽が、またほんの少し成長した。

1か月が経ち、母である自覚はさらに成長したが、正直まだまだこれからだ。自分の母を大木に感じるとしたら、私の母レベルは双葉がちょんと地面から顔を出してるくらいに思う。この子に、母にして貰うんだなと思う。新しく増えた、母の自分がどうなっていくか、そしてこの子はどうなっていくか小さな不安もあるが、概ねとても楽しみだ。とても、とても。
そして人生は続く。

茨城県水戸市内で活動する演劇ユニットこれっきりに所属し演劇をしています。