23.10.07の記録「書く」

どうにもこうにも、1つが上手くいかなくて悩んでいる。その1つは小さなことだけど受け止める方としては、とにかく大変なことのように感じてしまって、酷く憂鬱だ。海に釣り糸を垂らし1匹も釣れないことが全ての自分を否定してしまうようだ。こう憂いているとそもそも私は、このまま進んでしまって果たして良いのだろうか?と別の、こちらも小さいが漠然と大きな、人生の悩みを釣り上げてしまう。最悪。
自分と向き合うことは分からない将来を考えることになっているのが良くないのだと、今これを書いていて急に思いついた。今の自分、置かれた立場と気持ちをよくよく考え、どう進んでいきたいかを見つめるべきだと。進んだ先と思われるところを想像したってどうしようもないのさ、そこに辿りつく為のスタート時の自分は今いるところにあるのだから。海外の児童書に出てくる哲学的なキャラクター口調になって落ち着く。それもそうだよなぁ。日本の子どもの私は、単純に頷く。
指先が私の脳みそを出力してるなんて、変なの、何それ、おもしろ、という気分になってきた。この画面を見てる目の方が脳みそに近いのに、目では論理的に分かりやすく、私の内側の世界を表現できない。指先も、語彙力が少なくて、全てを現わせている訳ではないのだが、まぁ指先だけの問題ではない。目と耳と脳みそも一緒に、沢山のことを読んで見て聴いて言葉の全てを吸収したい。言葉が味方につけば、最強になれる気がする。また、進んだ先を考えている。吸収する方法を具体的に考えるべきなのに。
とにかくモヤモヤした夜を過ごしていて、ふと、書こうと、PCを立ち上げ画面に向かい、つらつらと指先を動かして今だ。モヤモヤが晴れだした。まだモヤはいるけれど、今日の昼頃に見た富士山にかかってた雲、くらいのモヤモヤだ。ほぼ全景は見えているけれど、あの、ちょっと、何ていうか、ウ、ウンチみたいな?形の雲、8合目あたりにチョロっといる雲が無ければ全景がスッキリ見えて綺麗なのにね、っていうくらい。大体よろしい。先に進もう。山に登ろう。山頂にいる自分になる為には、今この一歩を踏み出すしかないのさ。3頭身の哲学的なキャラクターになっている私。
今日は家族の大切な用事があって、富士山をあちらこちらから眺めた1日だった。楽しくて、美味しくて、私はこの人たちと一緒に楽しく生きたいなと強く思いました。おしまい。おやすみなさい。

茨城県水戸市内で活動する演劇ユニットこれっきりに所属し演劇をしています。