21.11.07の記録

ようやく追いついた。少し気を抜くと途端に記録をつけるのが大変になる。大甘ルールで数文字で終わらせた。今日は午前中仕事で、午後はスタンの埋葬をするために実家へ帰った。2019年6月末から飼っていたキンクマのスタンハンセンは11月3日に亡くなった。享年2歳半、ハムスター 半角スペースぐらい、あっという間すぎる。スタンは私の気持ちが沈みすぎて沈没、そのまま仕事を休んだ日に、主人が「毛玉を飼おう」と提案してくれ(元々私が飼おうと駄々をこねていた)ホームセンターへ迎えに行った。たくさんいるハムスターの中で彼は、他と比べ1ヶ月早く生まれていて、つまりいき遅れだった。寿命が短いハムスターの1か月はでかい。なんとなくかわいそうで決めた。金色の毛並みだからと言う理由で、金髪のレスラー・スタンハンセンをそのまま名付けた。我々は往年の名レスラーをスタンちゃんと呼び、1匹と2人の3つ暮らしが始まった。
家に帰ると、毛玉のいる生活は大変心地良い。その姿に癒されるのはもちろん、命のよりどころが主人との双方向だけに留まらず、一方的だがスタンに預けられるのは精神衛生上とても良いことだった。例えば主人と喧嘩してソファで寝てやる!となった夜、ソファ横に置いてあるゲージの中から聞こえるスタンちゃんの滑車を齧る音(回すのではなく、齧る)で落ち着く心があった。真夜中に帰宅し、主人は寝ていて、スタンはジッとしている。ジッとしているスタンを闇の中で眺める。好きな時間だった。あとは主人が朝食代わりにしているナッツ(私はナッツが好きではない)をスタンの餌と呼び、この家でナッツを食べるのは2、食べないのは1、つまり食べる方が多数派であるとか冗談を言って笑う時間も楽しかった。
スタンは10月中旬を過ぎた頃に、目に見えて衰えた。それまでも寝てる時間が長くなったように感じていたが、真っ直ぐ歩くことができなくなり、堅いペレットは食べられず、痩せこけ、同じ場所で寝続け、まさに寝たきり状態となった。餌も柔らかいおやつや齧りやすいフリーズドライの豆腐などに換え、介護をした。
スタンは11月3日の朝7時過ぎに、亡くなっているところを主人が見つけた。眠くてウダウダしている私に「スタンが…」と声をかけてくれて、ゲージを覗いたら亡くなっていた。3日の3時くらいに私が帰宅した時は寝ていた。その後だった。3日は祝日で、私と主人どちらも休み。日中に用事はあったものの、2人で埋葬をどうするか話し合えたし、そもそもスタンが亡くなったことの悲しみを、バタバタしている平日の朝ではなく、時間のある休日の朝にしっかり受け入れられて良かった。良いハムスターだった。
そして今日、いつでも会えるようにと、実家に埋葬した。父母に連絡をして夕方に着いたら、弟もいた。既にスコップを持ってどこに穴を掘るか考えてくれていた。私の仲良しの猫の墓の隣にしようと思って行ったのだが、猫の隣はやはり可哀想か、という話になって、日当たりの良い木の根元に穴を掘った。
木箱に巣材を敷き詰め、そこにスタンを乗せ、ひまわりの種やフリーズドライの苺など好きな物を入れた。母が育てている黄色、紫、赤、白と色とりどりの花を貰い、巣材の上いっぱいに手向けた。綺麗だった。箱に蓋をして、穴に入れ埋め、お線香を焚き菊を供えた。日暮れ、晴れ、冬に近づいている寒さ。ありがとうスタン。生きているときは狭いゲージの中での世界だったから、せめて今は土、野、森、空、深くて広くて高い自然の中をたくさん駆け回って欲しい。どうか安らかに。

茨城県水戸市内で活動する演劇ユニットこれっきりに所属し演劇をしています。