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大学院の指導教官のスルーが意外とキツい

50歳になって修士課程に入るとき、最も心配したのが自分と指導教官の年齢差だった。肩書きから、お若い人なのだろうということはわかったが、噂で聞いた年齢は30代前半。私との年齢差は20歳近くある。私の方は学術的知識はないが、現場を踏んで何も知らない訳ではないので、私の意欲が強いほど嫌われる可能性はあるとは思っていたが、これまでのところ、指導教官との関係性を樹立することは想像以上に難しい。

実は私の姉もまた、40代で大学院に戻り歯学博士をとったのだが、その1年目、指導教官からかなりひどいアカハラに遭いラボを異動した。

私の場合、アカハラなどは全くない。姉のケースに比べると取るに足らないくらいだろうが、どうも嫌われている感じがしてならない。というのも、授業で学生が発表をすると、他の学生が質問をしたりコメントをしたりするのだが、私のコメントに対して先生からはノーコメントということがかなり多い。「はい」もなく、完全スルーというケースもある。もちろん、私のコメントに対し質問したり、乗っかってくれることもあるのだが、完全スルーの場合は、何も聞こえなかったのかというくらい何も言わない。そしてそれが私にだけ続けて起こっている。こういうことが重なると不思議なもので、小学生の頃、授業のドッヂボールのチーム分けで排除された時に感じた「無能感」のようなものが沸き起こり、そして母や夫への懺悔の気持ちが湧き上がる。

自分の意見が無視されるって、自分の存在自体がないもの、価値のないものとされているってこと。だから産んでくれた母や、伴侶に申し訳ない気持ちになるんだろう。

恐らく、私が大分ズレたコメントをしてしまっているだけなのだろうけど、生徒たちの間でLINEの「既読スルー」がなぜあれほど話題になるのか、今なら心の底から共感できる。

ただ、これまで履修した指導教官の授業の評価が2つともA+なのはどういうわけか。教員として自分よりも遥かにキャリアの長い私に悪い成績はつけられないと思っているのか、あるいはゼミ生には全員A+をあげているのか。思い起こせばはるか昔の20代の頃に在籍した某私大の大学院でも、ゼミの教授の授業は全て「優」だった。そういうことかな。

長期履修制度を利用しての在籍なので、あと3年。入学当初は期待していなかった、達成度評価には載らない重要な学び(苦難とも言う)の機会がこの先もきっとあるのだろう。

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