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vol.4 アトリエスタとは? 「遊び」に「学び」を重ねて観るサイクル

「アトリエスタを、やってみませんか?」

そんなメールをいただいたのは、確か2018年の春ごろでした。

学生の時に「驚くべき学びの世界―レッジョ・エミリアの幼児教育」という本とはすでに出会い、その社会運動に共感を覚えていたので、アトリエスタが 「(保育士に対しての )芸術士」であることはすぐに理解しました。

驚くべき学びの世界―レッジョ・エミリアの幼児教育


とはいえ、私が保有する資格は、2013年に取得した教育職免許の中学高校美術です。保育士の資格はもちろんないし、独身の私は乳幼児についての知識もありません。子どもの発達と年齢に応じた彼らの能力については、自分で企画したアートプログラムを通して「ああ、これは楽しんでできるのか、これはまだ難しいのか」と、体当たりで得た経験だけでした。それも3歳以上で、当時の私にとって0〜2歳は未知に等しい存在です。
けれども、ちょうどその頃、ちょっとずつ関わる対象年齢を下げるなかで
「0歳さんでも、美術教育の観点から関われることが、絶対にある...」
と感じていたところでした。
同じ頃、保護者の方からも
「まだ1歳半年なんですけど、参加できませんか?」
というお問い合わせを、ぽつりぽつりといただいていました。それぞれの事情を抱えて、我が子とアートをやってみたい、と漠然なりにも思ってくれる方々が、私の周りに集まってきていました。
ところが、0歳からの美術教育について資料を求めインターネットをさまよってみるものの、なかなか良さそうな日本の書籍やオープンなアーカイブに遭遇することができません。3歳以上の資料は見つけられるのですが、0歳からとなると一気にハードルが上がるようなのです。
レッジョ・エミリア幼児教育が高い評価を得た理由の一つは、アーカイブの質と数の豊かさだと聞いています。私はこの時、その重要さと彼らの功績に改めて関心したのは言うまでもありません。日本でアトリエスタを持つ幼稚園、保育園は、少ない試みではありますが、実践の歴史がひどく浅いわけではありません。高い評価もされているはずです。
優れた情報に適切な対価が支払われるべきだということはよく分かります。しかし、まだまだこの教育方法が浸透しているとは言えない現段階で、インターネットでのリサーチが日常化しているこの時代に、ここまでクローズドなことが果たして美術教育業界の発展に繋がるのか、教育格差を産まないのか。私はほんの少し、引っかかるものを感じています。noteのような手軽に公開できるメディアを私が選んでテキストを書こうと思ったのは、実はこうしたところに問題意識を持っているからでもあります。

アトリエスタのお誘いを受けて、諸先輩方の教えを得るのが難しいこのお仕事に私が務まるかどうか自信はありませんでしたが、とにかく心がわくわくしました。
「ぜひお願いします。打ち合わせはいつが良いでしょうか?」
と前のめりに、メールのお返事をすぐに書きました。

ご連絡をくださったコミュニケーション・コーディネーターの滝口優さんから「週に1日、保育園に来てもらいたい」というご依頼で始まったアトリエスタは、毎回どのように振り返り、どう反省をしたら良いものか、ひとりで悶々とする日々が続きましたが、その半年後に同経営が新設するこども園にも同じく週1日の頻度で通うことになり、関わる子どもたちの数が一気に倍になったことで、私は自分のなかでの比較対象を持つことができました。それはとても大きな手がかりで、誰かからの指摘を待つことなく、自らの力で課題や疑問を見つけられるようになりました。その頃から相談できる保育士さんたちとの関係性も育ってきて、今では少しずつですが良い連携が築けているように思います。結局このお仕事も、保育士さんや職員さんとのコミュニケーションが一番大事になってくるのだと、つくづく感じます。


あえて専門職を用意した職場
私に何を求めているのでしょうか?

約束した勤務時間のなかで、ただただ幼い子どもの可愛いところだけ、あやして楽しく過ごすこともできる仕事です。それでお金をいただけるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。でも、私はベビーシッターのアルバイトとして、ここに呼ばれたわけではない。アートの専門職として呼ばれた人材です。ぼんやりと過ごしていたら、私は週に一度来て赤ちゃんと戯れ、それより少し大きくなったお兄さん、お姉さんのために、棚に折り紙を補充する人になりかねませんでした。(もちろん、画材補充やメンテナンスも大事な仕事ですが。)

どうして、なんのために
・週1日というペースで、且つ継続的に
・保育園側はわざわざ経費を割いてこのポジションを用意し
・教育者ではなく「本職・美術家」を名乗る私が
ここに呼ばれたのだろうか?


働き始めて間もない頃、沸々とそんなイシューを自分に対して持つようになりました。
結論から言っておそらくこの問いについては、私だけが考えて答えを得ても仕方のないことだと、考え至った今です。同じ現場の保育に携わる人たちと共に考え、常に変動しながら最適解を築き続けなくてはならないのだと思います。現場によっても、抱える課題は異なります。答えを得ることより、問いを立て続けることの方が、大変だけど重要だと考えたのです。また、役職に与えられる仕事というのは、自分ひとりでは築けません。共に働いてくれる人があって、初めて自分の役割が定まってくるものなのかもしれません。

保育士さんたちが私の存在を有効活用するために、まず、この問いの存在に気づいていただくことがファーストステップだと考えました。保育士さんたちの頭に「アトリエスタ...?(図工の先生じゃなくて?)」とクエスチョンマークが浮かぶ段階は、むしろそれこそが私の仕事だったのです。
そのために、造形活動が子どもたちの成長と学びに、どのような影響を与えるのかについて、自分なりの言葉で語れるようにしておかなくてはならないと考えました。

最初に思い浮かんだのが
「美術教育のサイクル」です。

これは中高生美術教育免許を取得する際に受けた講義の中で知った考え方ですが、乳幼児にも当てはめて考えることはできるように思います。

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上記の写真は実際に私が書いたメモです。

[ 発想 / Idea ] → [ 制作 / Output ] → [ 鑑賞 / Feedback]

この3つの活動がひとつのサイクルになり、螺旋階段上に学びを深めていく、という考え方です。ひとつづつ説明を付け加えます。

[発想/Idea]は、思いつき。もっと簡単にいうと、その時「やりたい!」と思ったこと。「アイデアが浮かばない」ことがトラウマな大人は少なくないかもしれません。でも子どもたちはみんな「あ、いいこと思いついた!」とキラキラと目を輝かせて、毎日遊んでいます。別にそれは、工作やお絵かきといった造形に関わることに限りません。新しいゲームや遊び方、道具の使い方、塗り絵に課したマイルール。そのどれもが発想です。
発見や発明、感動体験もこの段階でに起こることで、もっとも子どもたちの心が大きく動く瞬間かもしれません。見立てによる想像力も、刺激できるでしょう。

発想を現実世界に実装するときに、何をするにしても技術が必要になります。その段階が[制作/Output]です。
クレヨンを思うように使いこなす技術。折り紙を折れる技術。糊を貼る技術。テープを千切る技術。
難しい技術ばかりではなくて、身体が成長して、指や身体の動きを器用に調整できるようになれば難なくできることですが、子どもたちにとっては大人が何かの技術を習得するときと同様に、難しく、楽しいことです。
この活動では脳の動きも活発になりますが、身体の動かし方や、力のコントロールを習得することにも有効です。また指先を細かく動かすことは脳への刺激にもなるので、赤ちゃんが小さな指で何かを加工できるような遊びはとても有効だろうと思います。
また、[発想]と[制作]は行ったり来たりしながら、前に進みます。その間に、トライ&エラーを経験し、粘り強さや、工夫する面白さ・楽しさの体験にも期待できます。

[鑑賞/Feedback]の授業を受けたことがある大人たちは、全国的にみて多くないと思います。少なくとも、昭和62年生まれの私は義務教育時代に鑑賞の授業はありませんでした。それもそのはずで、教育指導要領に鑑賞の項目が入ったのは、ここ15年くらいのこと。長く教鞭をとってこられたベテランの先生になればなるほど、戸惑われただろうと思います。
鑑賞はとても重要です。これがなくてはフィードバックを正しい形で受け取ることができません。また鑑賞は意見交換をする場にもなり、それによって個人の自尊心を育てることができ、同時に他者を認める心を育みます。ファシリテーションによっては哲学的な議論へも、思考を深めることができると思います。
保育現場においてどのような鑑賞方法があるかについては、まだまだ私も試行錯誤する最中です。「先週、こんなの描いたねぇ」とゆっくりお話しできるのは3歳くらいからかなという実感を持っています。それは言語学習能力が一定にまで発達し、落ち着いて会話のやりとりができるようになってくる年齢であり、当然個人差もあります。何気ないやりとりですが、作品を通して記憶を辿りながらする会話のなかには、観察力、分析力、想像力といった、様々な刺激が含まれています。
そのほか、園内に作品を飾り、家族やお友達との話題にあげることで、愛着心を育てたり、自信を高めたり、その延長には他者への理解、尊重といった関係性を育むことにも期待できると思います。
そうしたやりとりの中から、「次はこうしてみよう!」とか「もっといいこと思いついた!」というような、[発想]の言葉が子どもたちから引き出せるようになれたら、次へのサイクルに自然と繋げることができます。

実は、この三角形のサイクルを、美術作家やクリエイターを育てる美術大学では当たり前のように行なっています。
私たちは「鑑賞」とは呼ばず、「講評」という会をもうけ、教授たちからいろんなことを言われるのです。美大を舞台にした漫画などでは、その講評でズタボロに傷つく描写も度々見られますが、私から言わせれば...それで傷つくのは、教授絶対主義者の人たちではないでしょうか。(笑)
身のためになったと思うことが、本当にいっぱいありました。安全面からのアドバイス、材料・技法の選び方についてのアドバイス。理論の組み立て方は本当にこれが良かったのか。他の可能性は考えられなかったのか。「君はもしかしたらこういう作家、好きかも。見ておいた方が良いよ」というグーグル検索では見つけられないアーティストの紹介。そして教授からだけでなく、同じ時代感覚をもつ学友たちとの意見交換....。

美大出身の私は当たり前のようにこのサイクルをこなし、現在も美術家として近いサイクルを幸いながら続けることができているのですが、子どもたちの「日常的な遊び」を見ていても、同じことが言えるのではないかと気がつきました。

アトリエスタが子どもたちにしてあげること(仕事)は、この「日常的な遊び」の全面的バックアップです。子どもたちの[発想]を後押しし、技術面で困難なところをお手伝いしたり、危険性のない方法を示唆したりすること。発想の否定はなく、発想を現実的に行うための方法をアドバイスすることです。
子どもたちの活動を丁寧に読み解くと、たくさんの、言葉にならないような発見をしているはずです。それを全て追うことは、大変難しい作業だとは思います。けれども、この作業を根気強く続けることは、子どもたちの可能性に「ダメ」の蓋をしないで済む、いちばんの近道ではないかと思うこの頃です。3つの活動のサイクルがあることをわかっていると、子どもたちの「日常的な遊び」に段階を位置付けて読み解くことができ、遊びと学びの可能性を引き出しやすくなるのではないかと思います。

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出した絵の具を全て水に溶かし、色の変化を楽しんでいる。

ご紹介した3つの活動のサイクルは、仮にそれが外遊びの最中でも、近いことが起こるはずです。その時は、言葉を英語に置き換えてみると良いかもしれません。

Idea → Output → Feedback

それは長期的なこともあり得ますが、すごく短期的、数分レベルで行われていることも多いです。

子どもたちの遊びを、学びと繋げて観察していくことは、とてもワクワクするプロセスです。ぜひそんな視点を隅っこにおいて、こどもと一緒にこどもになって、遊んでください。そんな仲間が増えてくれると、私もとても嬉しいです。




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