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vol.3 「造形遊び」って、何だろう?

造形/遊び。単語としては、2つに分けることのできるこの言葉。近年の小学校学習指導要領で初めて正式に取り入れ、その時は現場に少々混乱も起きたというような報告を読んだことがあります。

「造形」+「遊び」

皆さんは、この2つの単語の間にどんな助詞を入れると、しっくりくるでしょうか?

「造形  の 遊び」
「造形 による 遊び」
「造形 と 遊び」

私は保育の現場に携わるようになってからこの言葉を使うようになりました。専門的な単語ではあるだろうと思いますが、特に保育士さんたちに意味を尋ねたことはありませんでした。
保育の現場において「造形遊び」という言葉は、子どもたちの日常的な遊び、例えば「お外遊び」や「絵本」「塗り絵」などのうちの1つとして、位置付けられているように感じています。
したがって、もし私が「造形遊びって何ですか?」と聞かれたら
造形能力が必要になる、子どもたちの「遊び」のこと
と、かき集めた自らの経験を元に、そう答えるでしょう。
それが絵でも、立体でも、例えば空間を横断するような長いテープで作られた線路でも、子どもたちが「遊び」のなかで必要に迫られ(?)、何かしらの造形が作られたのであれば、それらはどれも「造形遊び」の活動という認識です。このスタンスで同僚である保育士さんたちと話していて、これまでズレを感じたことは、私のほうではありません。
ところが、小学校の学習指導要領まで踏み込んで読み解くと、どうやらズレがあるのかもしれない、と思っているのが今の率直な感想です。

今回は、そうした私の個人的な違和感から出発して、私が認識していた保育現場での「造形遊び」と、小学校の学習指導要領で使われている「造形遊び」について考察、それらの比較から、この活動が子どもたちの成長にどのように関わり、学びのコンテンツとしてどのような利用価値があるのかについて、考えてみたいと思います。


小学校の「造形遊び」と
保育の「造形遊び」は、違うものなのか?


小学低学年の図工教科書を見ると、「造形遊び」として紹介されているワークは「現代アートで言うところのインスタレーションに近い」と言って、概ね差し支えは無いように思います。

Wilipediaより「インスタレーション」
インスタレーション (英語: Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。...

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

Wikipediaでは、ロンドンの現代美術館テート・モダンでのレイチェル・ホワイトリードによる『エンバンクメント』が、一番最初に紹介されています。

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せっかくなので、筆者のインスタレーション作品も、ここに載せておきましょう。オルゴールを使った作品やドローイング作品、購入した本に手を加えたを空間に配置しています。

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https://maayamiki.jimdofree.com/works/2013/%E5%80%8B%E5%B1%95-sink-sign-sing-%E6%B7%B1%E3%81%8F%E6%B2%88%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E3%81%8C-%E7%A7%81%E3%81%AB%E8%A9%A9%E3%82%92%E5%A5%8F%E3%81%A7%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B/


それに比べて、下記の画像は、実際に教科書に掲載されている課題案です。
どうでしょうか? 似てませんか?

日本文教出版_

「どんどん ならべて」
身の回りにあるものを、どんどん並べよう。どんな形ができるかな?

画像は日本文教出版より拝借しました。日本文教出版による「造形遊び」の解説も丁寧に書かれており、参考になります。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art035/

私は美術大学に入学し、卒業制作では、いわゆるインスタレーションの形態で作品を展開し、現在に至ります。
そんな自分からすると、まさに教科書のような課題案は、現代アートのインスタレーションそのものです。もし同様のワークが現代アートとして発表されたとしたら、おそらく作家は意味深な「タイトル」「コンセプト」あるいは「メッセージ」を作品につけて、パッケージングするでしょう。
こうした指摘はすでに学会でも取り上げられて論文も出ており、教師たちの理解を助けてくれるものになるかもしれません。

「造形遊び」の概念をめぐる試論(PDF)  吉村壮明」より
「造形遊び」はインスタレーションという美術形式と酷似していると言っても過言ではない。やや美術史の教科書的になるが、インスタレーション(installation)とは、「据えつけや設置」を意味する用語であり、日本の文脈においては、1960年代後半から1970年代にかけて、「もの派」がこのインスタレーションの方法論を主導し、一般化してきたと言えるが、一番の特質は展示される空間にあわせて作品が制作され、終われば物理的に解体されるという「一回性」7)をベースとする点である。この一回性と
いう視点は従来の作品概念から考えると非常に特異な点である。通常、大人の作品であろうと、子どもの作品であろうと、美術作品とは、なにがしかの材質によって作られ、作られた時点で、それは固有の時間的な永続性を持つと信じられている。無論、作品の「質」という問題や「劣化」という不可避な特徴はあるにしても...(中略)...美術作品が複製不可能な唯一の存在であると信じられる所以である。ところが、インスタレーションは、展示中においてのみ成立しているのである。このテンポラリーな作品形態のありように、筆者は造形遊びの本質を感じずにはいられない。
出典:http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/tk03605.pdf?file_id=8772

さらに、こうした設置型の作品制作は、広い空間を使用するため、グループワークが必然となります。コミュニケーションや、計画性も求められます。個人の世界観に没入し、表現方法を深めるといった学びの目的は当てはまりません。つまり、小学校の「造形遊び」は、完成と言うよりむしろプロセスでの学びに重点をおいたプログラムと言えます。現代アートであれば「コンセプト」に当たるところを、「学習の目的」に置き換えて考えることができるかもしれません。完成した最後の場面だけが、鑑賞の味わいどころや、評価の全てでは無いのです。

「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」を開いてみると、第2節「図画工作科の内容」にはじめて「造形遊び」の言葉が登場します。

この造形活動は、大きく2つの側面に分けて捉えることができる。一つは、材料やその形やいろなどに働きかけることから始まる側面と、もう一つは自分の表したいことを基に、これを実現していこうとする側面である。
 前者は、身近にある自然物や人口の材料、その形や色などから思い付いた造形活動を行うものである。児童は、材料に働きかけ、自分の感覚や行為などを通して形や色などを捉え、そこから生まれる自分なりのイメージを基に、思いのままに発想や構想を繰り返し、手や体全体の感覚などを働かせながら技能などを発揮していく。これは遊びのもつ能動的で創造的な性格を学習として取り入れた材料などを基にした活動で、この内容を「造形遊びをする」とし「A表現」の(1)アおよび(2)アで取り扱うこととした。
出典:「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」文部科学省

遊びのもつ能動的で創造的な性格を学習として取り入れた材料などを基にした活動」の意味するところはつまり、小学生以前、幼児期の間に経験するであろう”造形能力が必要になる、子どもたちの「遊び」”、私が最初に書いた保育現場における「造形遊び」を指していると、解釈することは可能なように思います。

ところで、私がアトリエスタとして関わっているKanade流山セントラルパーク保育園、そして、のだのこども園では、子どもの「遊び」と「学び」には密接に関係があるという考えを前提に、日々、保育をしています。

Kanade流山セントラルパーク保育園:https://www.kanade-ncp-nursery.com/
のだのこども園:https://nodano.jp/kodomo/

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のだのこども園の保育アプローチ・ベースには、このような言葉が掲げられています。

こどもたちは自ら学ぶ存在です。自らの興味や感心に基づいて、仮説をもち、それらを共同作業の中で、検証したり、仮説自体を豊かにして行くことができます。こどもは可能性において豊かで、有能な学びてであると言う視点を大切にしています。」

「こどもたちは自ら学ぶ存在です。」
私はこの一文がとても好きです。本当にこどもたちは、自ら学び、工夫し、次の遊びを創造して行きます。私は今回の記事を書くにあたり、小学校図工教科書を画像検索して「造形遊び」の写真を見たときに、何よりも「遊び」の言葉が当てられていることに、異様に引っ掛かりを感じました。その理由は、つまり、ここにあるのだと思います。

「造形/遊び」。言語の構成として末尾に「遊び」がついている以上、それらは小学校で行われる授業の「学習」として相応しくないように感じられました。それは何か言葉の本質から、ズレている気がするのです。
「遊び」は子ども発信だからこそ「遊び」だろうと、そう私は思います。大人が用意したインスタレーションのような仕掛けに、児童は「遊びを通して学ぶ」ことはできるでしょうが、果たしてそれは「主体的に学ぶ遊び」と同一のものなのでしょうか?教師たちから沸き起こった混乱の声も、原因はこの辺りにあるのではないだろうかと想像します。

本当の「『遊び』は『学び』」を実現するためには、教育者たちは子どもは自ら学ぶ存在と信じて見守り、教師と生徒というような上下の関係を振り払うことが必要です。その暗黙のカーストを、この現代でどこまで取り払うことができるのか、学習指導要領は〈挑戦的な一歩〉を踏み出そうとしているということなのでしょうか。
とは言え、学習指導要領のなかでわざわざ「造形遊び」の言葉を取り入れたことについては、非常に評価すべき動きです。なぜなら、「遊び」のなかにこそ複雑で豊かな「学び」があるという考えを、文科省が推進していると読み取れるからです。いずれにせよ、これまでの学習指導要領と比較すれば〈新しい一歩〉であることは、間違い無いでしょう。


アート専門集団から見る
保育の「造形遊び」とは?

小学校学習指導要領に描かれた「造形遊び」を丁寧に追ったことで、保育での「造形遊び」がどのように重要視されているかについては、ある程度、お伝えすることができたのではないかと思います。

では、保育での「造形遊び」とは、どのような活動を指すのでしょうか?

近年、東京芸術大学美術館では
「幼稚園から大学まで美術教育の流れを体感する展覧会
 美術と教育 全国リサーチプロジェクト2019
 こんな授業を受けて見たい!」

と言ったタイトルを掲げて、日本の美術教育の現状と将来的展望について、様々な実践をしています。

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https://research-project.geidai.ac.jp/

2017年からこのプロジェクトは始まっており、2018年には上野の芸大美術館で展覧会が開かれました。今年も開催されたこの企画は、多くの人が関心を向けやすい内容に仕上がっていたようで、たくさんのイベントやトークが開催されていたようです。(不覚にも2019年は見に行けず...)
2018年の展覧会を見に行くことができたのですが、乳幼児を対象にした造形遊びについて報告は、まだまだ手薄に感じてしまいました。2019年の開催内容を見ても、小学生以上を対象にした美術イベントや、今年度は大学の美術教育にフォーカスを当てた内容が目立ち、保育や幼児教育についてのディスカションを見つけることができませんでした。
これは美術教育側の問題だけの問題なのか、日本の保育園制度自体に、まだまだ余裕が無いのか。様々な理由が絡み合っているのかもしれませんが、ぜひ来年度の芸大は、乳幼児を対象にしたレポートも、力を入れていただきたいものだと思います。

私はアトリエスタ(芸術士)と言う立ち位置から保育現場に関わっていますが、本質的に大事なことは、専門的な技能よりも、日々子どもたちが抱く興味関心、その移ろい、成長を共に追い続けることです。週一日のペースでしか関わらない私は、実のところ影の立役者でしかないことも、心しておかねばならないと自戒を込めてここに書き記します。
しかし、学校に限らず保育の現場いおいても、材料の揃え方・選び方・整え方についての知識、制作経験の有無は、最終的に助けになるはずです。それは美術畑から突然保育現場に入った私の、小さな自信(武器)でもあります。

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小麦粉粘土を小さく千切ることが楽しい、1〜2歳のクラスにて。


アート・エデュケーション(Art education)≒ 美術教育
という言葉があります。

「=」ではなく「≒」を使って表したのには、理由があります。
「education」と「教育」という言葉には、厳密に言えば違いがあるからです。
松島 鈞氏(『現代教育要論』)によれば、

「語源からいうならば、educatioというラテン語に遡る。この語には動詞として、大きくするeducareと引き出すeducereの二つを派生させている。
この語は、もともと、動植物の生命を引き出し、それを飼育・栽培するということを意味していたとされる。次第に、子どもを養い育てることを意味するようになった。つまり、親が子どもの成長が引き出されることを願い、育てることを意味するようになったとされる。」
出典:「現代教育要論―教職教養の教育学」松島 鈞/巽 幸孚/鈴木 三平(編) 日本文化科学社


「教育」という言葉には「大人から与えられる」という印象がありますが
「educetion」は、「子どもの能力を引き出す」という印象を持っているのです。

保育での「造形遊び」においても、子どもの能力を「引き出す」という大きなヴィジョンを大事にして、帆を広げたいと私は思います。

「造形遊びをする」では、児童が自ら材料や場所などに働きかけ、そこから発想して行く...(略)
出典:「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」文部科学省

このプロセスを美術家たちの活動に置き換えると、作品プランを練り出すための準備運動、そのものです。この段階でどこまで素材のことを深く知れるかどうかで、仕上がる作品のテーマ性や深度も決まってくる、非常に重要な作業工程です。これはアーティストに限らず、クリエイティブな仕事をする全ての方々にとっては、誰もが思い当たるプロセスではないでしょうか。
「造形遊び」は、「アート・エデュケーション」で引き出す先の土壌を育む段階を指しているように思えます。プロのアーティストやクリエイターたちは、大人になっても、そうした作業を何度も何度も、繰り返しているのです。

同世代の美術関係の知り合いで、保育現場に行っている人を、私は今の所知りません。それだけ、まだまだ美術教育業界からは開拓の行き届いていない分野なのではないかと思いますが、こうして見ると、保育現場に関わって欲しい職業人は、美術界にもたくさんいるように思います。
...求ム!同業者!



まだまだ掘り下げたいのですが、今回はここまで。
次回は、保育での「造形遊び」が重要な理由や、育まれる能力について、より具体的にしていきたいと思います。
保育士さんたちと行った実際の勉強会をベースに、書く予定です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。いただいたサポートは、試作材料費に使わせていただきます。